葬列はペトリコールと共に・弐

 翌日、空からは相変わらず雨が降っていて、じめじめとしていた。この湿り気のせいで、授業中は髪がハネて集中出来ないから困る。


「んう"う"ーー」

「頭ばかり触ってどうしたんだ。頭痛……もしかして風邪か!? 大丈夫か?」

「いやいやバカは風邪ひか、イッテェ!」


 成瀬の足をかかとで踏んづけ、一路くんには心配してくれてありがとうの気持ちを込めて、ミルキィを一個贈呈した。


「一路だけ贔屓だ! 幼馴染をもっと大切にしろこの断崖絶壁! ミルキィちょーだい」

「傘を忘れた幼馴染をおいて帰る薄情な幼馴染より、心配してくれる友達のほうを贔屓するのは当然でしょ。ミルキィはやらん」

「美味しいよな、ミルキィ」


 ミルキィに免じて断崖絶壁と言ったのは雨と一緒に排水口にでも流してやろう。因みに私のどこが断崖絶壁なのかは言わずもがな。


「雀部ー、お前にお客さん」

「いないってって!」


 なんだかとてつもなく嫌な予感。だって一路くんの時と状況が一緒だ。デジャヴ。居留守を使うのが吉。存在を限界まで希釈しろ。


「ね、行かなくていいのん?」

「成瀬うるさい。私はいま影を薄くしてる最中なんだからはなしかけないで」

「雀部、無視はよくないぞ。相手に失礼だ」

「グッ正論」


 竹を割ったような性格の一路くんに、真っ直ぐ目を見てド正論を言われるのは、なんだか自分がひどく薄汚れている様に感じる。

 たしかに無視はよくない。されたら感じ悪いと自分でも思う。


「……骨は拾ってね」

「お、行くのか。偉いぞ!」

「ありがと」

「顔シワッシワだな」


 やっぱり一路くんしか勝たない。どうして出会って日が浅い同級生が心配してくれてるのに、幼馴染はにやにや楽しそうにしてるんだろう。まじ極刑。

 席を立ち、呼ばれた方へと歩み寄る。私を呼んだ生徒は、一路くんのときにも私に客の来訪を告げた吉田。おのれ吉田、居留守を拒否したこと、ずっと忘れないぞ。


「ちゃんと来たな。偉いぞ偉いぞー」

「うるさい吉田」

「来るなり辛辣じゃん」

「吉田、アダ名ツケタ奴。ユルサナイ」

「はは、アマゾンとかにいそー」

「そろそろいいかしら」


 凛とした声が耳に届く。落ちついたソプラノは、私より僅か下から聞こえてきていた。目をやると、やや下からこちらを見上げる女子がいた。ぱっと見て百四十センチくらいの子。どこかで見た覚えが……あ。


「もしかして、昇降口いた?」

「そうね、いたわ」

「そうだよね。風邪ひかなかった?」

「ひいてない。大丈夫よ」

「そりゃあよかった」

「……」

「……」


 なんだこの微妙な間。というかこの子全く話してくれない。呼び出しておいて会話これで終わり? 吉田は席についてるし。お前仲人役だろ。はなし繋げてくれ。陰キャには荷が重い。


「あなた、憑かれてるわ。とてもとても、厄介なものに」

「エ」

「昨日見たのよ。気をつけないと、道連れにされてしまうわ」

「エ、エ」

「今日はそれを言いに来ただけ。じゃ」

「え、ちょっと!」


 女子は要件はもう無いとさっさと去っていった。行き先は一年B組の教室。一路くんのクラスだった。


「おかえり。なんの用だって。告白か?」

「いやだからどんだけ告白にしたいんだよ」

「告白じゃなければ……決闘?」

「まったく全然ちがう」


 席に戻るなり見当違いの戯言ざれごとを聞かされて、なんとなく肩の力が抜けた気がした。知らない人と話すのは緊張するものだ。


「なんか『憑かれてる』って言われた」

「え『疲れてる』?」

「いや、"とり憑く"とかの"憑かれてる"だろ」


 一路くんの天然ボケに呆れる成瀬は「小日向さん随分スピリチュアルな子なのねー」とまるであの子を知ってるふうに言った。


「小日向さん?」

「そ、小日向こひなたみやびっつって、他校にめちゃくちゃ美人な姉ちゃんいるって有名」

「家が医療関係者で金持ちってことで、うちのクラスで噂されてたな」

「へぇ、そうなんだ」

「でも、それだけじゃないんだよね〜」


 やけにもったいぶってくる。成瀬は手をちょいちょいと動かすので一路くんと共に顔を寄せると、手を自分の顔の横に添えた。


「あの子、ガチで霊が見えるんだって」

「ほほう、情報源は」

「あの子自身だよ。あとはそーね、肩が重いとか足が痛いとか、体に違和感を覚えてる奴らにあの子が触ったら、たちまち違和感が消えたって話聞いたわ」

「へえ、凄いんだな!」


 なるほど、小日向さんは払える系スピリチュアル女子だったのか。これはすごい。

 ああいうのは視えても払えない人が多い。だからとり憑かれたり、家に住み付かれるわけだが、彼女はそんな煩わしい憂いを、自分でどうにかできてしまうのだ。羨ましい。


「でも、なんにもないところじーっと見てたりして、気味わりぃってんで誰も近づかなくなったんだよ」

「あー、うん。やっぱりそうなるよね」

「なんでだ? 霊に取り憑かれたら払って貰えるんだろ?」

「うーん」


 一路くんを改めていい子だと思った瞬間だった。最初会ったときにクソ陽キャクソって思ってごめんね。


「あのね、一路くんはもう幽霊がいるってわかってるから、そう思えてるだけなんだよ。普通は自分が見えない、理解できないものを見えるって言ってる人は怖いし不気味なんだ」


 これは私の経験則だ。小さい頃、ま、視えはじめた頃によく霊にチラチラ視線をよこしてた頃があった。その事が不気味だと、気持ち悪いと言われたことがあったのだ。


「あとは狂言で人の気を引こうとしてるーとか思う奴もいるよねー。小日向見た目かわいいもん」

「成瀬は小日向さんがタイプかー」

「いんや、俺は姉のが断然タイプ」

「ふーん。一路くんミルキィも一個いる?」

「貰おう」

「いやお前ら欠片くらい興味もてや!」


 成瀬のタイプなんざ塵も興味ないが、小日向さんのことは少し気になる。彼女が私と同じ境遇の人間かもしれないということを差し引いても、だ。昼あたりに接触でも図ってみようか。


「とか思ってたけど、私みたいな奴がいきなり来たりでもしたら不快な気持ちにさせてしまわないだろうか。とても不安だ……」


 一年B組の教室の前で立ち止まって、壁に額を預ける。いや、大丈夫だ。自然に会話を導入するくらい私にだってできるはず。あれだ。「さっきの話が気になっちゃって、お昼食べながらお話しない?」って言えば自然だろう。行け行ける。私はやろうとさえすれば平均的にできる子だ。


「あのー」

「あ、えっと、無い壁さん?」

「違うナイス絶壁……じゃない! 雀部です雀部! 小日向さんっていまいるかな」

「あー、あの子お昼はいつも体育館裏で食べてるのよ」


 た、体育館裏。体育館裏なんてぼっちが好む場所ランキング上位の場所だ。そんな所でわざわざお昼を食べるとは……まさにぼっちの究極形態じゃないか。


「教えてくれてありがと。行ってみるね」

「うん。まだいるといいね、無い壁さん!」

「私はさーさーべーでーす!」


 名前を叫びながらB組をあとにする。


 さて、体育館は完全に外にあって靴を履かなければ行けない場所にある。あんな場所、授業でなければ究極ぼっちかいちゃいちゃしたいカップルしか使わないだろう。

 体育館裏を壁からひょこり、顔を出して見てみると、屋根のある体育館の裏口に腰掛け弁当を小さくつつく小日向さんが座っていた。


「なあに、つづらさん」

「ひえ、どど」


 声もかけていないしこちらを見てもいないのに私だって気づかれ動揺する。なんでわかったんだ。

 そりゃあ雨が降ってるわけだし、傘を差しているのだから誰かがのぞき込んでいることは分かるだろうが。


「立ってないで、隣に座りましょ」

「え、うん。じゃあ、失礼します」


 彼女は下にビニールシートをわざわざ敷いていた。その上を軽くポンポと叩くので誘われるように隣へ腰掛けた。


「……」

「……」


 え、えー。座ってみたけどなにも会話が発生しない。さっきと同じ空気だ。とりあえず弁当を開けよう。いや、私から訪ねてきたんだし、やっぱり私から会話を生ませるべき?


「あのう、さっきの話……」

「ねえ、葬列って、見たことある?」


 思わずとなりを見る。私の勇気を振り絞ったひとことを遮って、いきなり口を開いたかと思ったら葬列だと? 意図がわからん。


「葬列……は、ちょっと見たことないかな」

「そう、ないのね……そう……」

「というか、今の時代に葬列なんてなかなか無いんじゃないかな。ほら、霊柩車れいきゅうしゃとかが普及してやらなくて済むようになったって」

「そうね。今は葬列なんて組まないわ。遺体は霊柩車で、親族や遺族はバスや車で移動するからやる意味がないもの。でも――」


 自身の弁当を通り越して地面を見ていた彼女が、ゆっくりゆっくりこちらを向く。真っ黒な目に、私が映っているのが見えた。そのぐらい、見つめ合っていた。


 たっぷり時間をかけて、小さい口は「でもね」と言葉を形成する。


「葬列は"いる"のよ」

「……いる?」

「そう。この街に、来ているの」


 得体のしれない感覚が、肩のあたりをかけめぐる。いる、というのは葬列に使うには違和感のある言葉だ。どうしたって違和感だ。

 だって、葬列とは親族たちが遺体を火葬場や墓場に移動させる際に組まれる列なのだ。

だから葬列が「いる」でなく「葬列がある」や「葬列を組んでいる」と表現するのが普通な気がする。


 彼女の言い方だとまるで「葬列」という名前のがいるみたいじゃないか。


「あいつらはね、普段は仲間を探して色んなところを彷徨さまよっているの。でも、たまに違うのがいるのよ」

「なんの、はなしかな。葬列じゃないの?」

「ええ、葬列の話よ。でも、あれは葬列であって葬列じゃない」


 ほんとうに何を言っているのかわからない。なんだかメル先輩を思い出した。あの人も、こういう話をするときはだいたい、何を言っているのかわからないのだ。


「ね、その『葬列』って、なに? 普通のとなにがちがうの?」

「この街に来ている葬列はね、遺体を運ぶために組まれてるんじゃないの」


 遠くから、雨の音に混じって鈴の音のようなものが聞こえてきた。


「私を、」


 音はだんだん近づいてきている。私は弁当の蓋をしめ、傘をぎゅっと握って下を向く。


「殺すために組まれてるのよ」

「ヒュッ」


 だ。足がある。大量の足が、人が、目の前に立っている。


 開いた傘ごしに、黒い靴をはいた足がたくさん見えた。おかしいのは足音がしなかったことと、こんなに地面がぬかるんでいるのに、汚れ一つ靴についていないこと。そして、学校の敷地内に部外者がいること。


 おかしい、おかしいおかしい、おかしい。


 傘で膝から上は見えないが、見てしまってはいけないと、脳が警鐘を鳴らしている。足はこちらを向いているから、顔は確実にこちらを見ている。確実に、こちらを、見下ろしている。


「……」

「……」


 私も小日向さんも、なにも言えなかった。なにも喋ってはいけないというプレッシャーを感じていた。これは、この感じは、生者からするものではない。


 目の前の足は、人のものではない。


「……っ、あ、あー!! なんかクリームパン食べたくなっちゃったな!! まぁだ購買にあるかなー!! よし、見に行こう!!」


 まだ一口も手を付けてない弁当も傘も、それから小日向さんの手も引っつかんで、強引にその場を去った。その際、絶対に膝からその先が見えないよう、下を向いていた。


 混乱する頭の中で、ふと先輩が昨日言っていた事を思い出していた。


『今日はあまり前を見て歩かないで。傘で前を隠して、何がみえても足元だけ見て帰りなさい。約束ですよ。いいですね』


 ああ、昼休みは碌なことがない。

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