二つで一つの存在証明・参

 怪異案件。全くもってその通りである。

 怪我したことにはついさっき気がついたが、どこで負ったかは心当たりはある。たぶん、さっきのアレだ。



 ―回想―



 あのとき、上から下に一瞬で何かが通り過ぎた。物が壊れる大きな音がして、下を見ると広がるように植木鉢が散らばっていた。


「――っは、」


 もう一歩、一路くんに近づけば、植木鉢は私の頭にぶち当たっていただろう。下手すれば死んでいた。恐怖に身を固める彼の顔を見て、次いで上を見上げて、全身を悪寒が走った。


 手だ。手が伸びている。


 3階の窓から細い手が、まるで何かを落としたあとみたく止まっていた。私にはわかる。理解ってしまう。あれは、あの手は人の手ではない。


「ひえ、な、なにあれ……」

「逃げてくれ!!」

「なになになに!?」


 数秒前まで石化していた一路くんは、いきなり慌てて背を押してきた。すごい力だった。急展開に混乱するばかりの私を置いてけぼりにして、事態はどんどん動いていく。


「これ、おれのメールアドレスだ! 事情をメールで説明するから、安全圏に着いたらすぐに連絡してくれ!」

「エッ今どきメール? じゃなくて!」

「じゃあおれも安全な所に逃げるから、お前も早く逃げろよ! じゃあな!」

「ちょ、ま、はや」


 私にメールアドレスを書いた紙を握らせて、颯爽と消えていった同級生。一人になってしまった……。校舎裏は陰になっていて薄暗い。おまけに人通りが本当に少ないのだ。


 紙を見て、バラバラの植木鉢をみて、それから上は見れなかった。さっきから誰かに見られているような視線を感じているのだ。

 もし、もしも上をみて、長い髪を垂らした女がこちらを覗いていたらどうしよう。


 目があってしまったら、どうしよう。


 私は途端に怖くなって、その場から即走り出した。少しでも明るい場所へ。少しでも、安心できる場所へ。



 ―回想終了―



「それで断る暇も与えられず、また断る事もできない状況にされ、鉢植えで切れた足でここまで来た、と」

「ソオデス」


 メル先輩は、先ほどとは比べ物にならないくらい機嫌がよく、鼻歌を歌い始めそうな雰囲気をまとっていた。そんなに怪異に関われるのが嬉しいのかこの先輩は。

 ホラーに愉悦を覚えるのはいいが、後輩が関わっているものに関してそんなもの覚えないでいて欲しかった。ほんっとに怖かったんだぞこちとら。


「その怪我、一つの霊障ってやつですよ。元凶をどうにかしなければ一生治らない。つまり、その一路素直という生徒の事を強制的に助けてなければならない。策士ですね!」

「れ、霊障……一生治らない……」


 どうしてそんな事が分かるのかとか、色々思うことはあった。でも、一番頭を占めているのは、やっぱり人生ってクソなんだなって思いだった。


 ……一路くんは多分、本当に困っていて、助けて欲しくて、藁にも縋る思いで私の所に来たのだろう。だから、別に策士という訳じゃない。成るべくして成った結果なのだ。これは。


「……」

「連絡するんですね?」

「はぁーーーー」


 メールアドレスを登録して文章を飛ばす。返信は三十も経たないうちに来た。


『とうろくしたれんらくかんしゃする』


「スマホに不慣れな人のメール文ですね」

「トークアプリが主流の時代で、わざわざメールを使う子だし、機械に弱いのかも」


 一路くんの話は鉢植えのせいで触りの部分しか知らない。だから、まずは先程の影に関する話を聞くとしよう。


「現状を把握するために、聞きたい事をいくつか質問します。まずは影が取られそうになった経緯を教えてくださいっと」

「影、とは?」

「なんか、自分の影を取られそうなんだって言ってました」


 詳しくは今から聞きますと伝えると、先輩は顎に手を添えて黙ってしまった。なにか考えてる風だ。「気になることでも?」と聞こうとしたが、タイミングよくメールの受信音が鳴ってやめる。


 さて、メール文だが……長い。恐らくあらかじめ用意していた文章なのだろう。

 改行も変換もされていなくて、怪文書みたくなっているので、以降は読みやすく改変したものを載せるとする。



 ―経緯―


 ある日の放課後。

 一路くんは部活が終わって下校するとき、自分の下駄箱の近くに黒いモヤみたいなものを視認する。どことなく人の形をしていたそれは、なんだか酷く嫌な感じがして、大きく避けて無視をした。


 上履きから靴に履き替えていたとき、ふっと影がさした。何となしに見上げた先に、いつの間にかモヤが近づいてきていた。

 部活で疲れて幻覚でも見ていると思っていたものが、目の前まで動いてきている。何事かと身構えていたら、モヤが腰を折るみたいにゆっくり低くなった。


 実態をもったそれが、腕のようなものを二本、地面にスローモーションで近づけていく。


 その二本の向かう先には己の影があった。

 彼はその事に嫌悪と危機感を覚える。


『モヤに己の影を触れさせてはいけない』


 こいつの二本の腕が影に到達した瞬間、咄嗟とっさに『奪われる』と強く思った。本能からの『恐れ』を、そのモヤに抱いたのだ。時間が経つたび、その気持ちは大きくなってゆく


 以降、モヤは自身の周りに現れるようになる。立ち止まっていると、いつも影に手を伸ばす。何度も、何度も、何度も。


 授業や部活動のとき、家にいる時にはモヤは寄ってこなかった。でもそれ以外はずっと着いてくる。あのモヤが視界に映るたび、精神が削られる思いがする。でも、それを誰かに相談しようとは思わなかった。だって自分以外には見えていないし、自分以外には害がなかったから。


 しかし、事態はそうも言っていられないものになっていった。自分の周りで、怪我をする人が多くなってきたのである。


 最初は母親。次は姉。その次はクラスメイトで、その次は部活仲間。命に関わるほどのものではなかったが、部活仲間なんかは手を怪我して試合に出れなかった。

 そして、怪我をしたみんなは口を揃えて言ったのだ。


 『誰かに押されて怪我をした』と。


 あれの正体は?

 なぜ付きまとわれる?

 影が取られたらどうなるんだ?


 わからない。何も、わからない。


 ――わからない事は、とても恐ろしい。



 そんな中、私と成瀬が話しているところを目撃する。自分と同じように明らかに人の仕業ではない事象に悩まされ、それを解決したという人物。仲間意識と安心感を勝手にいだき、この状況を打破してくれるかもしれないという希望を勝手にもった。


 そこからはもう昨日今日の出来事。


 話をするチャンスを逃すまいと教室に凸撃してきた。これが経緯の全てであり、今につながるはなしである。



 ―経緯終了―



「ふぅん。モヤ、ね……」

「?」


 経緯を終えるとメル先輩は自分の椅子を引っ張って隣まで移動してきた。ボタン締めの施された高そうな椅子だ。


「聞いて欲しい事があるんですけど、打ってもらっても?」

「アはい、大丈夫ですよ」

「ありがとうございます。では、"怪我した方達は全員女性ではなかったか"と聞いてください」


 言われた通りにメールを送信する。しかしなぜ性別なんだろう。どこか重要な部分に関わってくるのだろうか。

 通知音と共に画面にバナーが下りてくる。返答は『Yes』だった。


「思い返してみれば全員女性だったって書いてあります。なんでわかったんですか。もしかしてエスパー?」

「マ、ちょっと考えたらわかる事ですよ。モヤの正体も影を狙う理由も大体掴めました」


 私は隣を見て目を見張った。今までの話の内容からもう正体と理由がわかったというのか。メル先輩はニヤリと笑い、人差し指をピンと立てた。


「モヤの正体はズバリ、女ですね」

「女……」

「そ、女」


 先輩は何か確信を持って言っているようだが、果たして本当に女なんだろうか。


 一路くん曰く、そのモヤはかろうじて人型を取っているらしいが、彼ははっきりと「黒いモヤ」と表記している。

 その事から、容姿、性別等の視覚的情報は一切ないのだろう。モヤはモヤだ。


 ならば、先輩は何を根拠に女と言ったんだろう。メールの経緯には根拠になりえる情報は無かった気がするが……。


「今の話の中に女性に関する話は怪我を負った母親、姉ぐらいしか無かったですよね」

「ええ、そうですね。一路素直さんのメールの内容には憑いているものが女性である、という内容は含まれてませんよ」

「じゃあなんで女ってわかるんですか?」

「なんでって、つづらさんがご自身で言ってたじゃないですか」


 はて、私はこの人に一路くんに憑いているものが「女性である」なんて明言しただろうか。全く身に覚えがない。


「そんな事言いましたっけ」

「はい、確かに」

「ええ?」


 いつ言ったっけそんなこと。

 たしか部室に駆け込んで、泣き喚いて、怪我を抉られて――あ。


「……」

「思い出しました?」


 そうだ。確かに言った。私は自身の口から確かにことを明言していた。


「つづらさん、植木鉢が落ちてきた時に『窓から手が伸びている』と仰ってましたよね。手が伸びている、という事は腕が内側から外に伸びている状態。もしかして身体までは見えてなかったのでは?」


 そうだ。私と一路くんは校舎に近い場所、窓の真下に立っていた。そこから見上げた時、位置的に室内は見えなので、結果腕だけが窓から外にニュッと伸びている様に見える。


「衣替えは六月からなので男女ともにまだ長袖のシャツをきているはず。女子はジャンパースカート、この頃暑いので、男子はみんな学ランを脱いでいるでしょうから、手だけでは男か女かはわからない。ならば――」


 メル先輩は私の顎を持ち上げて、顔をぐっと寄せた。


「なぜアナタは『がこちらを覗いていたらどうしよう』なんて思ったんでしょう。ねえ、つづらさん」

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