第2話

 香港。

 ネオンひしめく観光地から、それほど離れていない場所。何もかもがごった返す、どこか煙たくほの暗い街の一角で。

 1階に寂れた食堂を持つ、薄汚れたビルの2.5階。


 そこに、小さな占い屋があった。


「いっくん、見て見てー! 日本のセーラー服! ちょー可愛くない?」


 薄めの化粧をして、黒く長い髪をひとつに括って。日本のどこかの高校の制服を着て、その場でプリーツスカートを広げくるりとまわってみせた少女。この店の主人、ユキだ。


「それ本物の制服か? そういうのは通販で売ってても買っちゃいけないんだよ」


「違うし! 拾ったの! 捨ててあったの!」


「それはそれでダメだろ。ゴミを着るな」


「ゴミじゃなーいっ! このすかぽんたんいっくん! 捨ててあるのが全部ゴミな訳ないでしょ!」


「ゴミだろ」


 ユキにぷんすか怒られている、背の高い黒いチャイナ服の男。樹は無表情でカップに茶を入れていた。


「やっぱちょー可愛いなぁ、このセーラー服。大事にしよーっと」


「本当に拾ったなら、せめてクリーニングには出せよ」


「だーめ。せっかくステキな痕がついてるのに」


「はぁ?」


 ユキは1度スカートを優しく手で撫でてから、ストラップが大量についたスマホを取り出し、パシャパシャと自撮りをはじめた。樹は表情を変えずに、奥のキッチンに引っ込んだ。


 そして、深い紅色の扉が開けられる。


「あの.......すみません。主人に言われて来たのですが」


「わお。お客さんだ」


 上等なスーツを着た中年男性が、ゆっくり店に入ってきた。すぐに樹がティーポットとカップを持って顔を出す。


「お客さん、お名前は?」


王偉ワンウェイです。今日は主人に、ここに行くよう言われて来ました」


「その人のお名前はー? ねえ、そのカバンの中の黒いつつみ、見せてちょ?」


「!」


 ばっとカバンを手でおさえた男は、信じられないような目でユキを見た。


「な、なぜその事を」


「ご主人に言われなかった? 今日行くのは、古い魔女の所だって」


 三日月のように歪んだ瞳が、冷や汗を流す男に向けられる。


「こーんなもの、アタシのお店に持ち込んじゃって.......しょうがないなぁ、もう」


「.......わ、私は、主人にただ、これを持っていくよう言われただけで」


「ならお代は誰が払うの? 占い屋で占い以外のことをするんだもん、高くつくよ。あはっ!」


「か、金なら持ってきた! 足りなければもっと出すと主人が!」


「お金はあるだけ、全財産。それからあなたの主人の舌と、目玉と、右腕。それでもまだ足りないから、主人の娘が使ってるかんざしをちょうだい」


 青ざめ、腰を抜かした男に、樹が無表情でパイプ椅子を勧めた。セーラー服姿のユキは、立派な机にいつものように座り直した。そして、つまらなそうに。


「それだけのことをしたんだよ、君たちは」


「.......っ」


「さあ、つつみをちょうだい」


 男が震える手でカバンから取り出したのは、薄汚れた布で巻かれた塊。樹がそれを受け取ろうとして、ユキに止められる。


「触っちゃダメー。お盆で運んで、いっくん」


「わかった」


 ユキが渡した金属製の盆にそのつつみを乗せ、樹がユキに渡した。ユキは、じっとそれを見下ろして。


「着替えてくる。待っててー!」


「おい、なんで急に着替えなんて」


「大事にするの、この服は!」


 部屋の隅のついたての向こうに消えたユキは、3秒と経たずに戻ってきた。へそ出しのトップスに、黒いレザーのミニスカート。銀のブレスレットや指輪、ネックレスが光り、耳には大量のピアスがついていた。


「じゃーん、ちょっとメタル系ー! やば、ちょー可愛い!」


「主人、肌が出過ぎだ。風邪をひくぞ」


「オシャレは我慢なの! あーん、でもこれに着替えるならメイクもっと濃くすれば良かったー!」


 机に座り直したユキは、またつつみを見下ろす。

 そして、躊躇うことなく巻かれた布を取り払った。


「ひいっ!」


 男がパイプ椅子から転がり落ちて、四つん這いのまま逃げ出そうとしても、無表情の樹が扉の前に立ち塞がる。


 つつみから現れたのは、まるで生きて、血が通っているようにみずみずしい。



 切断された、人の手首だった。



「ひああっ!!」


「これ、腐らないから困ってるんでしょう? 本当は手首以外の、全身残ってるんでしょう?」


「し、しし、知りませんっ! 私は知りませんっ! 私は主人に言われて、来ただけでっ!!」


「人より上のモノに愛された人間を殺したね。宥めてあげるけど、それだけよ。あなた達はこれから先、ずうっと嫌われて生きていくの」


 ユキは、そっと手首を胸に抱いた。そして、愛おしそうに、悲しそうに頬を寄せる。

 しかし、すぐにぱっと表情を明るくして。


「じゃ、ご主人によろぴくぅ! いっくん、お客さんがお帰りだよ!」


「ありがとうございました」


 深い紅色の扉を開けた樹の横を、男は転がるように通り過ぎて店を出て行った。


「主人、その手首はなんだ」


「うーん。神様のおもちゃ!」


 樹は表情を変えずに、解決しない疑問に少し首を傾げた。その拍子に前髪がはらりと流れ、耳にかかった重い黒縁メガネが音を鳴らす。

 その様子を見て優しく笑ったユキは、机の引き出しを開けながら。


「人より上のモノはね、見方によっては全部神様なんだよ、いっくん。空も、山も、滝も、そこから始まる川だって。全部全部、人間より上にいる、神様なの」


「そうか」


 ユキには、樹には見えないモノが見えていた。樹が知らないことを知っていた。樹には、出来ないことが出来た。

 樹は霊や妖怪、神を信じていなかったが、ユキのことは信じていた。なので、ユキが言うのなら神も霊も存在するのだろうと思った。樹が占いを信じるのも、ユキが言うことだからだった。


「その神様達はね、たまーに産まれる特定の人間が好きになるの。器の足る人間、って感じの、上がっても壊れなそうな人間。神様はね、それがちょー大好きで大好きでたまらないの。我爱你あいらぶゆーってね!」


 ユキは、樹に向かって投げキッスとウインクをプレゼントした。樹は表情を動かさない。


「それが、その手首の人間か?」


「そう。でも、神様が大事にしてたものを、下で勝手に殺しちゃったんだね。だから、機嫌を損ねた」


 年代物の酒の瓶と、小さな仲の見えない瓶をいくつか机の上に出したユキは。


「神に嫌われたらどうなるか、よく見ておくといいよ、いっくん」



 ◆◇◆◇



 大きくも小さくもない農村の中を、黒いフリルのついたゴスロリを着たツインテールのユキが、ヒールを鳴らしながら突っ切っていく。その横にいる黒いチャイナ服の樹は、無表情のまま。


「どお、いっくんこれ」


「.......恐ろしいな」


「違うよ、このゴスロリのこと! 全然サイズが無くて、仕方なくネットでパチモン買ったんだから!」


「パチモン買うな。正規品買えよ」


「やっぱ原宿行かなきゃダメかぁ.......ネットだと、これもうちょっと可愛く見えたんだけどなぁ。実際着たらボリュームが少ないって言うか、スカートぺたんこっていうかぁ.......可愛くないって言うかぁ.......」


 樹はぐずるユキから目を離し、村に目を向けた。

 泣き声が響く家の隣りは、生き物の気配を感じないほどの静かな家。その隣りも静かで、その隣りは怒号が響いていた。畑は荒れ果て、水路は水量が減り井戸は朽ちていた。地獄のようだな、と樹は心の中で呟いて。


「主人、これが神に嫌われるということか」


「そうよ。SNS炎上より怖いでしょー」


「あぁ」


 無表情で、樹が頷いた。メガネのツルを、そっと指で撫でながら。


「そんな顔しなくてもだいじょーぶいっ! 日本よりこういう管理が雑な中国でも、めったにこんなこと起きないから!」


「そうか」


 ユキは、人々の泣き声を聞きながら村外れの川まで歩いた。


「お酒に目玉に舌。はいどーおぞ! プレゼントふぉーぬし様!」


 ユキは、川に酒瓶といくつかの小瓶を投げ入れた。


「おい、ポイ捨てはやめろ」


「捧げ物だからだいじょーぶいっ!」


 ダブルピースをキメたユキは、じゃあ帰ろー! と笑顔で来た道を戻り始めた。


「おい、何しに来たんだ」


「捧げ物だってば! 本当は生きてる若い女の子とかが良かったんだけど、持ってなかったから」


 樹は、無表情で少し首を傾げて。


「俺ではダメなのか」


「もちのろん」


 村を出たユキは、香港へ戻る車の中で。


「今日は私もマントウが食べたいなぁー! ひもじーけど、そのままで食べちゃおっかなー!」


「主人の分は買ってないぞ」


「あんなに沢山買ってたのにひとつもくれないの!? ひっどーいいっくん!」


 夕飯の時ユキは結局、マントウを1口食べておかずを要求した。

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