第23話 スワンプマン計画。

「なんじゃ。お主か――半間くん」

 少し驚いたのか、コーヒーを持つ手が震えている。

「はい。予想とは違いましたか?」

 コーヒー片手にくつろぐ保。

 意外と余裕がありそうだ。

「そうじゃのう」

 深いため息を吐き、コーヒーをすする保。

「飲むかい?」とコーヒーを差し出してくる。

 俺はこくりと頷き、勧められたまま、目の前のソファに腰をかける。

 コーヒーにミルクと砂糖をいれ、飲む。苦いのは苦手だ。

 一服落ち着くと、俺から切り出す。

「ラプラスの悪魔、どこまで知っているのですか?」

「ことすべてにおいて」

 ふむ。すべてときたか。

 そんな訳はない。じゃなかったら、この部屋に入ったとき、あんな驚いた顔をするはずがない。

「ここに俺が来ることも想定ずみですか?」

「いや、それは……。まあ……」

 言葉に詰まる保。

「ほら。これで証明できたでしょう? ラプラスの悪魔なんて存在しないんだ」

「お主は特別じゃからな」

 俺はずっと思ってきた。なぜ俺を特別視するのか。

 そんなに俺のDNAが珍しいのか。そんなにサイコ粒子が珍しいのか。

 特別、調べもしないで、騒ぎ立てて。怒りは頂点に達しようとしていた。

「お主はイレギュラーな存在じゃ、だから計算できない」

「ふざけたことを言うな! 俺はただの人間だ。特別なことなんて何もない」

 立ち上がり、机を叩いた。

 誰だって好きでこんな立場にいるわけじゃない。

 俺の気持ちも考えずにあれこれ言う。冗談じゃない。俺にも自由にする権利があるはずだ。

「葵を起こしてやってくれ。それから話そう」

「それは無理な話じゃ」

 きっぱりと言い切る保に不安を覚える。

「どういう意味だ? あいつだけこのまま寝たままというわけにはいかないだろ!」

「そう言われても、覚醒の理由すら分からんのじゃ」

 覚醒の理由が分からない? じゃあ、俺は、俺たちはどうやって覚醒したんだ?

「俺たちの覚醒した理由から推察すればいい」

 俺はきつめの言い方をし、保の意見を仰ぐ。

「そう、じゃな。じゃがお主らは何故か適量の麻酔薬で目を覚ます。おかしな話だ」

 麻酔薬。

 それを聴いて驚きが漏れる。

 俺も医者だった記憶がある。だから科学的な知識は身についている。

 だからこそ、麻酔薬は本来神経を麻痺させるもの。神経を高ぶらせるのとは真逆だ。理屈が通らない。

「最新のデータからは体質とも言われておる。が、はっきりとしたデータはまだ足りぬのじゃ」

「そ、そんな……」

 葵は俺にとって大事な後輩だ。小悪魔みたいな性格で、こっちをおちょくって、そんな可愛げのある彼女を置いていくなんてできない。

 葵とはこちらでも会えると信じていたのに。

「じゃ、じゃあ、無理やり引き離せばいい。あのカプセルから出れば覚めるはずだ」

「そうしようと試みたが、精神が剥がれ落ち、二度と肉体に戻らなくなるわ」

 吐き捨てるように言い、コーヒーをすする保。

 顔をしかめる。苦いのか、あるいは……。

「このままじゃ、わしは捕まってしまう。反政府組織『ギリトーゼ』によって。残念ながら、わしはもう終わりじゃ」

 彼らが言っていた科連邦とは保の所属する科学研究所のこと。

 保主導で行われてきた研究に、ギリトーゼが見逃す訳ない。

「外では大騒ぎじゃ。このわし一人のために数千の命が奪われる」

「冗談じゃない! それだったら最後まで抵抗してみせろよ!!」

 俺は怒りのままにコーヒーを手にし、逡巡する。

 コーヒーを飲み下し、落ち着いた頭で、言葉を選ぶ。

「あんたの存在がなければ、この研究は止められない。俺たちの他に眠っている人がまだたくさんいる、それを――!」

「だから数千と言った。わしが管理しているカプセルはその規模じゃ。彼らが犠牲になる」

「だったら!」

 数千と言われ、最初はコロニーに住む者かと思った。だが違った。

 保はこの研究所からほとんど出ない。

 それはこの研究所にいるみんなを守るためだ。異常事態を想定し、いくつもの苦難を乗り越え、このプラントを形成していった。だからこそ、その責任をまっとうしようとしている。

 保以外に、これだけの労力をさくことなどできないのだ。

 頭では理解している。だが心が追いつかない。

 保を許せない自分がいる。

 俺たちを長年閉じ込め、夢の世界で生きることを強いたのだ。

 何が特殊サイコ粒子だ。何がスペシャルDNAだ。

 俺には関係のないこと。

 俺は長年連れ添った仲間を助けたい。そばにいて安心したい。一緒に歩んでいきたい。

 理彩、玲奈。俺は……。

 後ろのドアが開き、アサルトライフルを構えた集団がなだれ込んでくる。

「保博士、ご同行いただこう」

「そっちの君、確か最初に生まれた覚醒者だったか。保護する。きたまえ」

 テロリストの一人が手を差し伸べてくる。

 だが俺はその手を取らずに叫ぶ。

「ふざけんな! 俺は葵を取り戻して、安静な日々を過ごしたいだけだ。邪魔をするな!」

「なんだと!」

 スペーススーツを着た巨漢の男が前に歩み出る。

「待て。彼はまだ理解していないのだ。自分の哀れな人生に」

「どういう意味だ?」

 細身の女の子が前に出る。

「あたいは多摩たま。あなたたちは〝スワンプマン計画〟の犠牲者よ。だから安心してあたいたちに任せな」

「スワンプマン計画、ってなんだよ! ふざけんな!」

 俺は怒りのあまり多摩の胸ぐらをつかむ。

「おい!」

 さっきの巨漢が手をつかむ。その力はすさまじく、骨が折れるんじゃないか、ってほどだ。

 とっさに手を離した俺は未だに理解できていない。

 スワンプマン計画とは?

 俺は保を見やる。

 やるせない気持ちを抱いているのか、顔をうつむけている。

「なんだよ。スワンプマン計画って。なんだよ!」

「スワンプマン。それは泥の人間――つまり、あんたたちのことだよ。半間くん」

 多摩は表情の読めないフェイスシールドをこちらに向ける。

「ある男がハイキングに出かける。

 道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。

 その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう」

 多摩の淡々とした説明に頭が真っ白になる。

「つまり、同じ人間が生まれる――ってことか?」

「そうなるわね」

 ここのプラントで見た。記憶転写室。

 そうか。俺たちが見ていた夢の世界も、記憶の転写。

「だ、だが、一卵性双生児は別人格になるはずだ。記憶やDNAが一緒でも――」

「そう。それだけじゃ変わらない。でも今の世界は違う。魂の核と言われるサイコ粒子の発見、その先駆者・安里あさと保。彼の論文によれば無意識下領域すらも、サイコ粒子で復元できる……だったかな、保博士」

 言われて、目を伏せている保の口が開く。

「その通りじゃ。半間くん。……もう一人の半間くんは80になり、なおも生きようとしておる。その手助けとなりえる、若い身体の提供。それさえできればこの計画は終わりだった。じゃが……」

「そこで特殊なサイコ粒子を発見したわけだ」

 俺が言葉を引き継ぐと保は申し訳なさそうに頭を下げる。

「サイコ粒子の転写、それ自体は完璧じゃ。今や半間くんのサイコ粒子は精神疾患の人々すら治せる力を持っておる」

「さあ、詳しい話はあとで、保博士」

 銃口を向ける多摩に促され保はしょぼくれた様子で部屋を出ていく。

「半間くん。君も来なさい。我々は手厚く保護する」

「で、でも保がいなければカプセルの人々は……!」

 俺はなおも食い下がり、一番の心残りを叫ぶ。

「あたいたちでなんとかやるわ。それより匂うわよ。半間くん」

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