Ⅳ-Ⅺ

 一行はコボルトの村にある酒場で身を潜めていた。

 身を潜めるといっても、別に物陰に隠れているわけでも地下室に潜っているわけでもない。

 昼間の閑散とした店内に置かれた丸テーブルと小さな丸椅子。その椅子に思い思いに腰を下ろし、ただ待機しているだけである。


 最初、ルドルフはドワーフ達の洞窟にでも匿ってもらうつもりかと思っていたが、男はそれには及ばぬと言い、酒場で待っているようにと指示をした。


 メルというコボルトの村娘は酒場の看板娘であり、自警団長のクリフの実の妹でもあるという。つまりこの店はクリフの実家なのである。


 昼間は酒場の裏――と言うよりそちらが表というべきだが――にある小さな店で酒や日用品を売っているという話なので、アルラーシュとミリィが昼間にクリフ達に絡まれたのは偶然ではなく、店に来た見かけぬ客を自警団が怪しんで尾行つけた結果だった。

 しかし小さな村のことである。コソコソしていても遅かれ早かれ村人に目撃されただろう。


「ホントに信用してもいいんですかあ? あの人が悪者だったらどーするんです?」


 ミリィが何度目かもわからないセリフを口にして、ぺたんとテーブルに突っ伏した。


「あのクリフというコボルトが彼の話には耳を貸していた。人間嫌いとは別に、あの人物に一目置いているということなのだと思うよ。それに……」


 アルラーシュは幼子に語り聞かせるような口調で言ったあと、曖昧に言葉を途絶えさせた。

 彼としては鉛色の髪の男が対面時に見せた不可解な態度が気になっていたのだ。その表情は何かを懐かしむように見えたものの、単純な喜色だけではないように見えた。さりとて害意を感じるものでもなかったので、彼の提案を退ける理由にはなり得ないと思い、あえて触れずにいるのである。


「でも、でもでも、もしあの人がスパイだったら大変じゃないですか。アタシ達をここに足止めしといて仲間を呼ぶのかも」


「仮に仲間を呼んだとしても、この辺りではそうそう精鋭の部隊は編成できまいよ」


 ミリィをたしなめるように口を挟んだのはヨシノだった。


「この村に到着した後で、カイにこの周辺の地理について聞いた。……ミリィ、お前に頼んだ買い物の中に地図もあっただろう」


「アタシ、地図読めませえん」


 机に突っ伏したまま顔を横に向け、ミリィは器用に頬を膨らませた。

 彼女が読み書きできるのはごくごく簡単な日常の単語と自分の名前くらいである。


 ヨシノは酒場に持ち込んでいた荷物の中から巻物になっている地図を出し、テーブルに広げた。それほど大きな地図ではないのでファキールの全土は記されておらず、せいぜい南半分といったところだ。この村で調達するならこの程度で精一杯だろう。


「ここが王都ファキーリアだ。我々はその東側を流れるフェルナ河に出て、このあたりで舟を捨てた」

 ヨシノは地図の上側ぎりぎりに書かれた文字を指し示し、話しながら指を地図の上で滑らせた。


「カイの案内で街道を逸れて山に入った。木に遮られて太陽や星の位置が確認できず、方角がわかりにくかったのだが、まっすぐに南下したのではなく南東に向かっていたのだな。今いるのはここだ」


 彼女が指を止めた位置には文字の代わりに円が描かれていた。円の中にはぎざぎざの模様がある。コボルト達が自分達を示すために用いる印なのかもしれないが、この場にわかる者はいない。


「周りに道がないんですけど。この村からどこにも行けないってコトですか?」


「このような地図では主要な道以外は省略されているものだ。実際は細い道がある。そうでなければ人間の町から兵士も来られないだろう?」


 ヨシノはそう説明して、今度はコボルトの村から西に行ったところにある文字を指差した。


「地図で確認できる最も近い町はここだな。このあたりは要衝ようしょうでもないから大した道もなく、町も小規模だ。大所帯の部隊は駐在していない。指揮官を除き、構成員のほとんどは地元の人間だろうな。そこから更にコボルトの村に派遣する人員となると兵士としての質は期待できん」


「つまり…………どういうコトですか?」


「……仮に男が仲間を呼び寄せたとしても、大した戦力ではないということだ。少なくとも我々の敵ではない。だから多分、あの男の見立てどおりに事は運ぶのだろうな」


 ミリィは唇を尖らせて「ふーん」と気のない声を漏らし、再びテーブルに顎をついた。

 彼女を横目にルドルフも地図を眺める。この国には来たばかりで、だいたいの地理しか頭に入っていない。ここから目的地までの道くらいは確認しておきたかった。


 コボルトの村から森を隔てて、一番近い町の名は「ラドガ」と記されている。

 ラドガから西に伸びる道は細い線で描かれており、その先で太い線――フェルナ街道と交わっている。

 この街道は王都ファキーリアからほぼまっすぐに南下する太いもので、同じくファキール王国を縦断する大河・フェルナ河と同じ名を冠していた。

 地図を下ると、やがてフェルナ街道は途切れる。そこが道の終わりであり、その先は森とけわしい山が続いているようだ。


「この先はどうなっているんだ?」


「未踏の地と言いたいところですけど、その森にはエルフ達が住んでいます」


 いつの間にか寄ってきていたリュカが、近くの椅子に座りながら言った。

 エルフの森ということは、彼の故郷でもあるのだろう。


「そこには描かれていないだけで、森の中にも道がありますよ。森の中に精霊を祀る廟があって、昔の方が王家の関係者なんかがよく来ていましたね。精霊石もそこにあったから」


「精霊石が?」


 ルドルフがリュカの横顔に視線を当てると、反対側からアルラーシュも、そして少し離れた椅子に腰を下ろしていたモノも、視線を上げてリュカを見ていた。

 三人の視線に気付いているのかいないのか、リュカは笑みを浮かべたまま続ける。


「二十年前の戦争のために精霊石はファキールの王家によって廟から移されたんです。エルフ達、特にエルフの長は最後まで反対していましたけどね。結局、戦争が終わっても精霊石は森に戻されることはなかった。元々、廟はエルフと人間の共同管理というか共有財産というか、そんな扱いだったんです。だから未だに怒っているエルフもいるんですよ」


 ルドルフは王城に滞在中に聞いたソニアの話を思い出す。

 ソニアはエルフからの反発を彼らの信仰心の問題であり、エルフはファキール王家のことを精霊石の管理者に過ぎないと看做みなしているのだと語っていたが、それはだいぶ人間側に寄った話であったようだ。

 今の話を聞くと人間とエルフの間に横たわる問題は、精霊の廟ひいては精霊石の管理や権限をめぐる確執だと見るべきだろう。

 エルフとて無欲な種族ではない。おそらく多分に政治的な意図を含んでいる問題だ。


「その森よりさらに南は、俺よりヨシノ様の方がお詳しいです」

「リュカ、貴様いい加減なことを言うな」


 ヨシノはリュカを睨みつけ、軽く溜め息をつくと、仕切り直すようにフェルナ街道を指で示した。彼女はフェルナ街道の南の終点から少し北に戻った地点で指を止める。

 そこは道が十字の形になっており、東西にやはり太い線が伸びている。

 東に向かう道は山々に突き当たるようにしてすぐに終わっていたが、西に向かってはずっと山と森とに挟まれながら伸びていた。その先には「メクレンバーグ」の文字が書かれている。


「フェルナ街道が南北に通じる街道ならば、王国の南部を東西に横断する最も大きな街道はこのトリベ街道だな。その先が鉱山公の所領、メクレンバーグだ」


「それは見ればわかるが、なぜヨシノが山に詳しいんだ?」


「アインハード、貴様わざとか?」


 ヨシノは柳眉を逆立ててルドルフを睨みつけた。横でリュカが膝を叩いて肩を震わせている。

 ヨシノはやや乱暴にメクレンバーグを指すと、その領内を通り抜けた南側にある山々をトントンと突いた。そこから続く山岳地帯は広く、先ほどのエルフの森の奥から続く山々とも一部繋がっている。


「私の出自は山の民だ。これだけ言えば十分だろう」


「……この地図、アタシの故郷さとも載ってるのかなあ」


 突然ぽつりと呟いたミリィの声は、その大きさに反して、はっきりと周囲に伝わった。

 虚を突かれたような顔をしたヨシノに代わるように、アルラーシュが首を傾げてミリィの顔をのぞき込む。


「ミリィはどこからファキーリアに来たんだ?」


「アタシが住んでたのは紅き竜の谷です」


「紅き竜の谷?」


 アルラーシュは目を丸くした。

 リュカが「リベンタル渓谷けいこくのことですよ」と教える。


 リベンタル渓谷という名であれば、アルラーシュも知っていた。ならば「紅き竜の谷」というのは、そこに住むウィングローグ達による美称なのだろう。

 今、一行がいる場所とは地理的にかなり離れている。王都ファキーリアからずっと西にある大きな谷で、スタンリー家の所領であるポートランドと王国の西側を繋ぐ要所の一つである一方で、翼を持たぬ種族にとってはとてつもない難所として知られている。

 この地図はファキール王国の南側しか描かれていないので、彼女の故郷は載っていない。


 アルラーシュがそう言うと、ミリィは「そっか、遠いんですね」とだけ小さく答えて、地図に目を落とした。

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