第22話 命狙われました!

 意識を取り戻して目を開けると、そこは見たこともない巨大な建築物が立ち並ぶ、時代遅れの都市があった。ガキの頃に遊んでたゲームのポリゴン都市を現実に映し出したかのような、豪華絢爛な街並みだ。現実の都市とはまた違ったインパクトがある。


「…………あ?」


 俺——内海翔太の人生は、この異世界へと吹き飛ばされたことで、なんの前触れもなく中断することとなった。

 五感を刺激する異次元の感覚を前に、俺の脳は思考回路を急激に回し、状況整理を試みる。自分が立つのは、恐らくはこの都市の中央街道。周囲はバッグ片手に商品を物色する人間達と、馬に跨った貴族みたいな見た目の連中でごった返しており、かなりの盛況ぶりだ。


「明晰夢、ってやつか? 酒で酔い潰れちまったかもしれねぇな」


 俺の現実での最後の記憶は、仕事帰りの飲み会で上司からの大酒を喰らい、駅前のベンチで座り込んじまったことだ。あのくそ上司、無能のくせに肝臓の調子だけは一丁前になりやがって。何かヘマしたらさっさと引きずりおろしてやる。

 しかし、なんだって俺はこんな夢見てるんだ? こんなふざけたこと考えるきっかけなんて、何かあったk——


「——ハイム、待ちなさいよ!」


 その時だった。その一言が、俺の腐りかけた学生の記憶を引きずり出し、その中の一つのピースを思い起こさせたのは。


「うるせぇ! こっちなんだろ本部は! 早く向かうぞ!」

「違う! 入団試験の会場は本部じゃなくて、ケルダン郊外にある予備訓練所なの! だからそっちじゃ——って、話聞きなさいよぉ!」


 俺の正面と背後で繰り広げられる、二人の会話。見た目の年齢は高校生くらいで、イカした面構えの男と、それを追う綺麗な女の二人組。もちろん話したことも、今までに会ったこともない他人。

 だがその名前だけは、確実に聞いたことがあった。


『ハイム! あなただけでも向かって!』


 俺さ、記憶力はけっこう自信あるわけよ。それに大学の頃、俺に文句言ってきたやつはあいつだけだったからな。頭に強く残ってたんだと思う。


「おい……俺、もしやあいつの作品の夢を見てるのか?」


 せっかくだ。あのバカのこと思い出しながら、できる限りこの世界を堪能してやろうじゃねぇか。


 ——あっちよりも、こっちのほうが楽しいに決まってる。


—————————————————————————————————————


「そんでこの街をふらついてた時、なんか俺と似てるキャラを見つけてさ。妙にシンパシー感じたから、ずっと幽霊みてぇにつきまとってたんだよ」


 憎たらしい笑みを浮かべるショウタ——否、内海翔太。今、こいつを殴ることのできない自分が、本当に悔しく感じた。

 僕がショウタというキャラを作った理由。それはこの男を忘れないため、あの屈辱を忘れないためにあった。

 いつか必ずこの男に「この作品、お前が書いたのか」と吐かせるため。絶対に夢を成し遂げるため。ショウタ・ゲイルというキャラクターは、まさに僕の臥薪嘗胆の化身だった。

 といっても、その憎たらしい本性はかなりマイルドに薄めている。大嫌いな人間をイメージすることほど、辛いものはない。少しでもあの時のことを思い出せれば、それでよかったからだ。

 でもこいつは、何の奇跡かこの世界にまで現れると、仮初のキャラクターの身体に宿り、僕の前に再び立ち塞がっている。

 この現状に僕は、またしても自分の作品が穢されたように感じ、途方もなく巨大な屈辱、そして嫌悪感と怒りを心中に積み上げていた。


「そしたら不意に合体できてさ。夢もなかなか覚めないし、このキャラの扱いもある程度はわかったからよ。なりきってごっこ遊びしてたわけ」

「……つまり、お前は最初から、僕が一緒にいたことを……」

「んあ? 夕方のことか? あぁそうだよ。ずっと気づいてたぜ。俺のこと散々睨みつけてきやがって。触れられねぇから無理だと思ってたが、どうやらキャラの肉体を介してならさわれるみたいだな。ぶん殴っときゃ良かった——よぉ!」


 ——瞬間、視界を拳が遮ったかと思うと、激痛を伴った衝撃が顔面を襲った。


「っが! くっ……」

「よし、これで気分晴れた。さんきゅ」


 激痛に悶える僕を見下ろしながら、翔太は綺麗な三日月を口元に作ってそう呟く。そうだ。才能や力を持たない弱者を平気で差別し、その努力を蔑視する。これが、内海翔太という人間なのだ。

 爆発しそうな怒気を抑えながら、僕は冷静な状況把握を試みた。

 今、僕はこいつに触れられない。なら恨みつらみを吐き出しても殴り返されるだけだ。なら今は大人しく、それこそ動物の肝を口に含むつもりで耐え、現実世界に戻る手がかりを見つけよう。

 まず、こいつが本物の翔太なのは間違いない。こいつもきっと僕みたいに、現実からこの世界にやってきたのだ。だとすれば、まだ重要な部分がわかっていないじゃないか。


「お、お前も、装置の声を聞いたのか? それと、因子って言葉に聞き覚えは?」


 そう。僕と同じなら、目の前のドアの先にある装置の声を、少なからず聞いているはずだ。因子という言葉だって、頭の中に残っているはず。


「……因子だと」


 この時、感覚でわかるかどうかというレベルのほんの一瞬、僅かに翔太の雰囲気が変わった。


「そう。僕達が持っているらしい因子だ。やっぱり、何か知って——」

「——んだよ因子って。知らねぇな。けど、装置ってのはわかるぜ。そこの部屋にあるバカでかいやつだろ? 適当に見回してたらいきなり俺に話しかけてきやがったよ。マジビビった」


 え? 因子を知らない? もしやこの世界に来る瞬間、酔っぱらって寝てたからわからないのか?

 いや、この際それはしょうがない。それよりも、もうこいつは装置と接触しているようだ。なら、せめて装置の言葉だけでも知れれば。


「そ、装置は……なんて言ってた?」


 しかし、事はそう上手く運ばなかった。

 再びそう質問を飛ばすと、翔太の表情が明らかに曇り、目を吊り上げて苛立ちを全面に見せる。そして途端に口調を荒げ、吐き捨てるように言った。


「てめぇに答える義理はねぇだろ。それよりも、この夢の世界はいいよなぁ。別に腹は減らねぇし、邪魔な連中はこのキャラの力でどうにでもなるし。そう、どうにでも……」

「お、お前何言ってんだよ。まだこの状況が夢だと思ってんのか⁉ これがただの夢だと——ぐぉ!」


 立ち上がった僕の腹に右足が突き刺さり、再び僕はその場に崩れ落ちる。だが今度はその状況を笑うことはなく、この怨敵は続けざまに二打、三打を蹴りを打ち込んでくる。

 辛うじて視線を顔に向けると、そこには先程までの余裕ぶった笑みはどこへなりとも消え去り、その表情はお面のような「無」へと変わっていた。まるで機械のように淡々と、しかし何か強烈な衝動を持って僕を蹴り上げる怨敵の姿は、恐怖すら感じられる光景だった。


「ぐぅ……がぁ……」


 たった数秒の間に、僕の貧弱な肉体は大いに傷つけられ、全身の感覚が痛みに統べられる。やがて連続した暴力は終わり、僕が全身を抉るような痛みに耐えていると、翔太は息を荒らしながら言葉をこぼす。


「悪りぃな、色々あってよ、お前を装置んとこに向かわせるわけにはいかねぇ。この夢は……終わらせらんねぇんだ」


 月華の明かり差し込む廊下に、ハイムと同じ白銀の刃が煌めいた。


—————————————————————————————————————


 よく耳を澄ませて声を聞くと、そのくぐもった声は部屋の押し入れから聞こえていることが分かった。


「…………」


 意表を突かれて全身を硬直させること十数秒、ようやく俺は沈み込んでいた闘気をしばしの間復活させ、その未知の存在が眠る引き戸に手を伸ばす決意をする。未だ恐怖の残る腕だが、開けるくらいならまだできる。不審者を捕らえるくらいなら……こんな俺でもできる、はずだ。


「——誰だ!」


 俺は勢いよく押し入れをこじ開け、今の俺が出せる最大限の怒声を響かせる。


「…………は?」


 しかし、俺のなけなしの威勢は、視界に飛び込んできた存在の姿にすぐさま打ち消され、俺は再び驚愕によって身体の自由を奪われることになる。


「……んぅ、まだにぇむい…………」


 世の闇に紛れてその光沢を光らせる黒の長髪。目鼻のそれぞれが身をわきまえたようなきれいな顔立ち。そして何より目を引く、暗闇でも色合いのわかる派手なピンク色の寝巻。

 その押し入れの空間を占拠していたのは、未知の文化を身に纏い寝息を立てる、一人の少女の姿だった。

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