第3話

「お母さん……」


 どこからともなく母親を呼ぶ少女の声が聞こえてくる。時刻はあれから妖魔を探して周ったため午後十一時を過ぎていた。こんな遅い時間に、しかも、こんな僅かな光りさえ届かない真闇の路地裏でである。


「……鴉丸、あの声は?」


「彩葉、あの声のところに妖魔が現れる。ほな行くで」


 鴉丸は再度、印を結ぶと、何やらぶつぶつと唱えながらゆっくりと歩き出す。彩葉もその鴉丸の後ろを同じ歩調でついて行く。


 少し歩くと空き地に出た。


 そこも路地裏と同じく闇に包まれ、奥の方まで視界の届かない場所である。そんな空き地の真ん中に年の頃、十歳前後の少女が何かを探すかのようにぽつんと立っていた。


「……あの子は?」


「あの子が妖魔を呼び出すキーパーソンや……ええから、黙って見とき……妖魔の気配も感じるさかい……そろそろ出てくる頃や」


 手前にある角に隠れ、空き地内の様子を伺っている鴉丸は、質問した彩葉の方へと振り向きもせず答えた。何か言いたそうにしていた彩葉だが、今は鴉丸の指示に従い、同じ様に黙って空き地の中を注視している。


「お母さん……出てきて……」


 ゆらり……


 ゆらり……


 少女が立っている所からさらに空き地の奥。その空間の一部が目で見て分かる位に歪んでいる。そして魚の腐った様な臭い。


 妖魔が来る。


 鴉丸の横で様子を伺っていた彩葉の刀を持つ手に自然と力がこもっていく。そんな彩葉の様子をちらりと見た鴉丸。


 空き地の奥で次第に形作られていく妖魔の姿。


「お母さんっ!!」


 少女が叫ぶと同時に妖魔へと駆け寄っていく。妖魔が完全に姿を現したのだ。


 彩葉は一瞬、戸惑った。


 その姿は彩葉の想像と違っていた。いつもの妖魔ならその姿も禍々しく、人間の恐怖を煽る様な姿であったが、今、少女の目の前に現れた妖魔は、三十代半ばと思われる女性の姿である。


 あの少女の母親の姿であろう。


 駆け寄ってくる少女へ両手を広げ迎え入れ抱きしめる妖魔。その光景は、娘に再開した母親の姿そのものであり、娘も母親に会えた喜びを、その顔いっぱいに表している。


 他と何ら変わりのない母娘。


「姉さんのケルベロスと同じ様な妖魔なの?」


 彩葉の姉である万葉も、ケルベロス姿の妖魔を従えている。しかし、それはケルベロスが一度も人を襲った事がなく、また今でも襲う様子がないからだ。


「ちゃうで……ケロの奴は人を襲った事がないし、今でも襲おうとせえへん。でもな……あの妖魔は……もう何人も人を……魂を喰っとるんや。知っとるやろ、彩葉」


 確かにここ最近、彩葉の住む町で見つかる妖魔に喰われた人の残骸。世間では猟奇殺人扱いだが、それは今、目の前の空き地にいる少女がお母さんと呼ぶ妖魔の仕業である事に間違いない。


「そう、それなら……斬らなくちゃね」


「ま、待たんかいっ、彩葉っ!!早まるなっ!!」


 鴉丸の制止も聞かず、彩葉は勢いよく飛び出し、妖魔へと小狐丸を抜刀し斬りつけようとした。


 それに気づいた少女が妖魔の前へと立ちふさがる。少女のとったまさかの行動に彩葉の動きが一瞬止まった。


「逃げて、お母さんっ!!」


 少女がそう叫んだと同時に、妖魔の姿が空気中へと溶けていく様に消えた。それを呆然として見ているだけの彩葉に後ろから鴉丸が声をかけた。その声で我に返った彩葉の目の前から少女の姿も無くなっていた。

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