第25話 模倣犯

 6月4日に発見された遺体は、埼玉県の山中に遺棄されていたため、通常であればA大学法医学教室に司法解剖の依頼がくるはずのない案件だった。

 しかし、件の遺体は一連の花師事件と大いに関連があるとみられるため、これまで解剖を行ってきたA大法医学教室、小野田に依頼されたのだった。

 解剖は遺体発見の翌日である、本日午前中に行われるのだが、近藤は小野田に予備知識として遺体発見時の様子などを伝えるために、県警から運ばれてくる遺体よりも先に法医学教室に到着していた。


 現場に残されていたスマホは、推測通り被害者の所持品であり、そこから身元が判明した。

 桐谷紗季、21歳。A大の学生だった。


「胸が痛いですね。学部は違えど、我がA大の学生だったとは……。これ以上、被害者が出ない事を切に祈っていたのですが……」


 小野田は沈痛な面持ちでそう呟いた。顔も名前も知らなくても、大学という縁で繋がれた者の死の報は、やはり心乱されるものだったようだ。しかも、小野田はこの後、彼女を解剖するのだ。やりきれなさに溜息が出てしまうのは仕方のないことだろう。

 近藤は小さく頷き、スマホや遺体発見時の写真を並べて話を続けた。


「ネットの掲示板に投稿された画像は、桐谷さんのスマホで撮影され、投稿されたものでした。投稿者を犯人とみて情報開示を求めようとしていたのですが、被害者のスマホが使われていたのではね……」


 被害者のスマホにはロックがかかっていなかった。彼女が生きているときに、犯人に設定を解除させられたのかもしれない。

 彼女のスマホは画像投稿に利用されただけでなく、出島のSNSアカウントへのメッセージ送信にも使われていた。送信者のアカウントを辿れば、花師を見つけられるのではと色めき立ったのも、つかの間のことだった。

 また、指紋はまったく残されていなかったため、犯人は手袋をはめていたと思われる。スマホとケースの隙間から見つかった微量のコーンスターチは、ニトリル手袋の内側に塗布されていたものではないかと推測された。

 家族の話から、彼女が消息を絶ったのは2日前、6月2日の朝と分かった。大学へ行くために家を出たあと、彼女はキャンパスに到着することなく姿を消していたのだ。発見時、死後24時間以上経過していると推定されたことから、家をでた後何者かにさらわれ、間もなく殺害されたと考えられる。

 それは、屍が顔のない怪物に応えてから、数時間後ということでもある。

 近藤は淡々と、被害者のその日の行動や遺体の状況等と説明したが、ラストサンクチュアリでの顔のない怪物と屍のやり取りや、出島の件は伏せていた。あまり先入観を持たずに遺体をみてもらうためだった。


「では、よろしくお願いします」

「はい。あの、解剖前ですし、断定的なことは申し上げられないのですが、今回の御遺体はこれまでと違うように思ったのですが、近藤さんはどのように思われましたか?」


 現場写真を見つめる小野田はひどく落ち込んだ様子だった。

 その小野田の問いかけに応えたのは、佐木だった。近藤といっしょに、またもやまるで警官のような顔をして、堂々と同席している。


「違うとは?」

「写真を見た印象ですが、乱雑というか、花師らしさを感じないと言いますか……」

「へえ、花師らしさ、ですか。先生でもそんなことを言うんですね。まるで俺みたいです」


 佐木の物言いに小野田は少し怪訝な顔をしたが、言った本人は知らぬ顔でニコニコと持論の展開をはじめた。


「今回の遺体の写真を見て疑問に思った1点目は、生け花としての美しさがないことなんですよね。これじゃあ、ただ花を挿しただけです。2点目、作品の発表場所が埼玉の山奥ってこと。誰に見せるんです? サルですか? イノシシですか? 人間に見せなきゃ意味ないでしょう。3点目、何を考えたのか知りませんが、犯行と犯行のインターバルが短すぎる。そのせいなのか、全体的に仕事が雑すぎる。全くもって花師らしくないです」


 佐木は指を一本二本と立てていき、最後に小野田の台詞を借りてそう言い、首を振る。疑問点はまだ他にもあるのだが、今は割愛した。

 じっと小野田を見つめて、佐木はニタッと笑う。


「ところで、花師らしさって何ですか?」

「……佐木くん? 私はただ、模倣犯が現れたのではないかと言っているのですが」

「はい、俺もその可能性を疑ってます。ですので、よろしくお願いします」


 佐木の少々挑発的な態度に、小野田は不快気に眉をしかめた。

 そこにノックと同時に扉が開き、スーツの男が入ってきた。


「失礼します。あと15分ほどで御遺体が到着するとの連絡がありました」

「そうですか。では着替えて準備しましょうか」


 男は佐藤という法医で、今日の解剖では小野田の助手につくことになっている。

 小野田は立ち上がり、さっさと部屋を出ていってしまった。近藤や佐木への挨拶は無しだった。いつもは穏やかな紳士なのだが、自大学の生徒が犠牲になったことがショックであったのか、佐木の言動が鼻についたか、今日の彼は少々苛立っているように見えた。

 佐藤は出て行く小野田を見送り、入れ替わりに部屋に入ってきた。


「あの、先ほど、言われた通りにメールしましたけど……」


 近藤に向かって、彼は困惑気味に言った。


「でも、どうして今?」

「ちょっとした実験です。連絡メールが届けばそれでいいんで……お手数かけました」


 問いに答えたのは佐木で、佐藤はうさん臭げに見やってから、自分も準備があるのでと言って退室した。

 ミーティングルームには近藤と佐木が残された。

 うんうんと楽し気に頷く佐木に対して、腕を組んで近藤は苦虫をかみつぶしたような顔をしていた。


「ね? 俺の言った通りだったでしょう? 小野田先生はこちらが何も言わなくても、今回の犯人は花師じゃないって言いだすって」

「だからってなぁ」

「まあ、とにかく様子を見ましょう。ところで先輩、法医学教室で6月2日に休んだ人間は、佐藤先生と学生の横山くんで間違いないですか」


 佐木は、近藤が取り出したメモ帳を覗き込んだが、ミミズがのたくっていたので諦めて返事を待った。


「ああ、間違いない。佐藤先生はインフルエンザで昨日まで休んでたんだとよ。病み上がりで気の毒だが、仕事はしてもらわないとな。この前来たときに、お前がうつしたんじゃねえのか?」

「いやいや、それは無いでしょ。あの時は顔も合わせてないのに。学生くんはよく休むのかなあ? まあ学生だしねえ」


 腕を組み厳しい顔を崩さない近藤の横で、佐木は足を投げ出してだらしなく座り、ニタニタと笑っている。


「面白くなりましたね」

「面白がってるのはお前だけだ」

「小野田先生はどこまで察してるんでしょうね。あまり質問されませんでしたけど」

「やめてくれ、胃が痛む……。お前の推測が当たったって、ちっとも嬉しかねえよ」

「さて、こちらも行きますか。先輩、忘れずに実況してくださいよ」


 佐木は立ち上がり、無線イヤホンを片耳にだけ装着した。そして、解剖に立ち会う近藤のスーツの襟にマイクを仕込む。中に入れない佐木が、解剖室内での様子を知るためだった。


「俺のほうも実況したほうがいいっすか?」

「いや、いい。こっちの実況しながら、そっちの話も聞くなんて器用な真似できん。なんかあったら、その時連絡しろ」

「了解です」


 後ほど鳥居が合流するまでは、くれぐれも軽率な行動はするなよと、近藤がこんこんと説くのを、佐木はおざなりに返事をして笑うのだった。

 ミーティングルームを出ると、丁度松田刑事がこちらに向かってくるところだった。近藤が、おうと手を挙げて松田に呼びかける。


「お前、今日は撮影係だからな」

「え、ええぇ、撮影ですか……。あ、学生が来てましたよ。取り込み中だから入るなって止めたんですけど、法医学教室に出入りしてるって言ってたんで、彼に撮影やらせれば」

「お前がやるんだよ。解剖室に学生は入れない。執刀する小野田先生と助手の佐藤先生、あとは俺たちだけだ。ほら、腹すえろ!」


 近藤に背中をバンと叩かれて、松田はげんなりと肩を落とした。

 佐木は窓から外を眺めた。この建物の入り口付近に学生らしき姿を認めてうっすらと笑う。そして視線を二人の刑事に戻す。


「松田くん、初立ち合いだってね。がんばってねぇ」

「余計なお世話です。どこにでもちょろちょろと湧いてきて……。えっと佐々木さんでしたっけ?」

「そう、佐々木だよ」


 よろしくねとヘラヘラに笑う佐木を、松田は蛆虫でも見るような顔で睨むのだった。天雲とのドライブの一件で、佐木は彼の怒りを買っているようだった。


「今度は遺体を誘拐するつもりですか? そうはさせませんよ」

「やだなあ、なにバカなこと言ってんの。で、学生くん、何しに来たの? 解剖に興味あるの? 松田くんは写真撮影やりたくないの?」

「やりますよ! 学生は解剖があるって聞いたらしくて、興味津々というより驚いてました」

「なんで驚くの? 解剖なんて珍しくないでしょ?」

「知りませんよ! 別に驚いてたわけじゃないかもしれないし」

「その彼、ちょっと連れてきてくれる?」


 松田は、小声で近藤になんでこいつを追いださないんですか、一般人が紛れ込んでるなんてまずいですよと、不満をこぼしていた。

 近藤は少々バツが悪そうに、ラストサンクチュアリの件を例にあげて彼の協力があって目星がついて来たんだからと、部下の肩をポンポンと叩くのだった。そして、学生を呼んで来てくれと、松田を送りだした。


「来ましたね」

「先生に呼ばれりゃ来るだろうよ」

「違いますよ、先輩。佐藤先生には、今日これから解剖があることだけ伝えて貰ったんです。来いとは言ってない」


 いちいち説明させないで下さいよと、ギラつく目で佐木は笑う。

 搬入口の辺りが少し騒がしくなった。そして、しばらくするとストレッチャーのガタガタという音が聞こえてきた。県警のほうで検死を行い、保管されていた遺体が搬送されてきたのだ。


「ここは法医学教室です。解剖なんてしょっちゅうやってるんです。学生くんが驚く要素がどこにあるんです?」


 近藤は、この問いに対する佐木の回答をすでに聞かされている。今からその答え合わせをするのだ。もちろん、正解していることが望ましい。しかし、正解したからと言って清々しい結果になるとは限らない。

 近藤はムッと口を歪めて、廊下の先を見つめる。音が大きくなり、角の向こうから、松田の先導でストレッチャーが運ばれてきた。後方に、学生が1人ついてきていた。

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