第4章 君はどんな花を生ける?

第16話 ドライブ

 佐木は、近藤が運転する車の助手席に座り、外を眺めていた。

 車は、現在天雲が匿われているホテルに向かっている。それは高級ホテルなどではなく、一般的なビジネスホテルだった。2部屋借り、1室に天雲と鳥居、隣の部屋には男性警官が交代で常時1名配置されていた。現在、天雲と一緒にいるのは松田と女性警官の島田だ。

 近藤は被害者が務めていた会社周辺の聞き込みに向かう予定だったのだが、天雲がSNSで余計なことを発信しているため、まずは説教をしに行くことになったのだ。

 そして佐木は、ホテル経由でいいから家まで送ってくれ、と図々しく同乗しているのだった。


 後部座席では、鳥居が松田に電話をかけていた。

 近藤はもうスマホを取り上げてしまえと言っているが、電話の向こうでは天雲への対応に苦労しているようで、鳥居の語気は荒くなっていくのだった。そして天雲本人を電話に出させ、説得に移った。

 そのやり取りを聞き、近藤がため息をつく。


「ったく、どいつもこいつも人の言うこときかねえ。おいザギ、足降ろせって言ってるだろ」


 佐木は靴のまま、座席で三角座りをして近藤に背を向けていた。車に乗った途端どっと身体が重くなって、憂鬱な気分に支配されてしまっていた。

 小野田は、花バサミを故意に刺した人物の存在を明確に否定することはなかった。そして、後頸部の傷さえなければ詩織が助かった可能性を肯定した。

 この返答は予想通りのものだったのだが、それでも佐木を打ちのめしていた。

 あの日から後悔しない日は無かったが、またさらに悔恨が深くなるのだった。

 

「せめて靴を脱げ」

「……先輩うるさいです。俺は今、マリアナ海溝の奥底まで気持ちが沈んでるんです。放っといて下さい」

「ああん? ガキかてめぇは! 座席を汚すなって言ってんだよ」


 せっかく憂鬱を堪えて軽口を言ったのに、と佐木は眉をひそめる。そして、近藤に察して欲しいと思った自分が馬鹿だったと、更に脱力した。面倒くさそうに足をもぞもぞ動かして靴を脱ぐと、佐木は物憂いため息をつくのだった。


「……会いてぇなぁ……」


 エンジンの音と鳥居の声が響く中で、ふとこぼした小さな呟きが近藤の耳に届いたかどうかは分からない。でも、すねたように背中を丸める佐木に、近藤はそれ以上はなにも言わなかった。

 佐木は腕をさすり、目を閉じた。

 後部座席では、相変わらずカッカした声で、鳥居が電話を続けている。


「天雲さん、あなたの安全の為に言ってるのよ。わからないの? 我々の指示に従って貰わないと困ります! ファンサービスは、事件が解決してからにして下さい!」


 鳥居は金切り声を上げて電話を切った。近藤がバックミラーから覗くと、顔が真っ赤だった。


「しょうがねぇお嬢さんだな」

「駄目です。私も松田くんも舐められてしまって。近藤さん、どうにかして下さい」

「俺が怒鳴って効くかは分からんが、取りあえずガツンと言ってやる」

「もうさ、公務執行妨害ってことでいいんじゃないですか? しばらく留置場に放り込んじまえば、彼女も言うこと聞くようになるでしょ」


 佐木が投げやりな口調で言うと、鳥居は無言で力強くうなずき、近藤はガハハと大声で笑った。


「そりゃいいや。留置場なら花師も手は出せねえ。って、そんなことできるかよ! なあ、鳥居。マスコミが騒ぐわ!」


 後部座席では、鳥居があからさまにがっかりした顔をしていた。

 佐木は天雲の話題にはそれ以上乗らず、また窓の外を眺めた。今、佐木の頭にあるのは、詩織の命を奪った者のことだった。

 花師の事件と妙に符合する詩織の死。しかし、事件の性質は全く違う。近藤の言うようにあり得ないとも思うし、動機も見えない。どういうことだと繰り返すばかりだ。

 しかし、佐木には偶然の事故とはどうしても思えないのだ。たまたま事件現場に居合わせた人間が殺したと考えるのは、たまたまハサミが刺さったと考えるのと同じくらい無理があるとしても。


――まったく顔が見えない……。他の犯罪者なら人物像が浮かぶのに、ヤツだけは全然見えてこない。化け物だ。顔の見えない化け物だよ……。お前が花師なのか? 違うのか?


 佐木は苦々しく唇を噛んだ。

 小野田の言葉を思い返す。2つの事件に繋がりがあるとしたら、なぜ6年の時間差があるのか、と彼は言った。

 単純に、月日が人を変えたと考えてもいいのだろうか。詩織を殺してから6年後に、花師として復活したのだと。

 だが、何かが釈然としない。佐木は、自分が不甲斐なくてたまらなかった。

 窓の外を流れる風景を見ていると、目眩がしてきた。身体がだるくてならない。


「着いたら起こして下さい。少し寝ます」

「どうした? 具合悪いのか?」

「まあ、いつもの貧血だと思いますよ。しばらくすれば治ります」


 佐木は目を瞑った。しかし寝ることはできなかった。鳥居が大声をあげたのだ。スマホを後ろから差し出してきた。当然、運転中の近藤には見ることはできなかったが。


「天雲さんが、さっきの私とのやり取りをSNSにアップしてます! え!? ……ええぇぇ?! こ、これホテルのカードキー写真なんじゃ」

「ああぁぁ? 何やってんだ、あのアホは! もう本当に留置場に放り込んでやる!」

「松田くんクビかなぁ、可哀想に」


 止めさせろと言っている端から、こんな投稿を許してしまった松田の責任は大きい。近藤の大目玉を喰らうのだろうなと、佐木はクスクスと笑った。

 そして、再び電話をかける鳥居の声を聞きながら目を閉じるのだった。苛立ったその声は子守唄代わりにするには少々難ありだったが、不思議と不快感はなかった。

 彼女の声は、詩織に似ていると思った。




 約20分後、車はホテルの前で停車した。近藤は車を降り、佐木にホテルの裏にコインパーキングがあるから停めて待っているように指示し、足早に建物内に入っていった。当然、鳥居も近藤についていく。

 1人残された佐木は、面倒くさそうに運転席に移動し車を発進させた。

 せっかくここまで来たんだから、自分も天雲に会わせてくれと頼んだのだが、天雲に余計なことを吹き込まれては困ると言って、近藤は聞き入れてくれなかったのだ。

 ゆっくりとホテルの角を左折し、裏手に向かう。確かにパーキングはあったが、生憎と満車だった。

 佐木はチッと舌を打つ。路上駐車して一服することにした。煙草を取り出して、ふと思い直しスマホを手に取る。左手に見えるホテルの裏口をちらりと見てから、SNSの操作を始めた。


『やあ、天雲ちゃん。死神骸骨のザギだよ。今、近藤先輩たちがそっちに向かってるんだけど、お説教がいやなら降りておいで。ホテルの裏から出て来たら、ドライブに連れてってあげるよ』


 天雲にDMを送った。

 送信の後、改めて煙草を吸い始めた。大きく煙を吸い込み、肺に満たしてからゆっくり吐き出す。いつもは心地よいはずの酩酊感が今は少し不快だった。先ほどより不調が増したような気がする。

 前方100メートルほど先に、コンビニの看板が見える。松田がミルクティーを買いに行かされた店だろうかなどとぼんやり考えながら、煙草を消した。

 ピンと着信音が鳴った。


『わーい!』


 天雲からの返信だ。恐らく、了解の意だろう。

 自分で誘っておきながら、佐木は眉間に深い皺が寄ってしまった。一度しか会ったことがない相手からの突然のDMだというのに、天雲には躊躇がない。彼女と話したかった佐木にとっては幸いなことなのだが、こんなに易々と人について行こうとするなんて笑えない。


「復讐だかなんだか知らんが、目的があるなら用心深くなれよな。って俺の思い違いだったのか? ただのアホなのか?」


 近藤の制止を振り払って、果たして本当に天雲がやって来ることができるのか疑問だが、佐木はとりあえずドアのロックを解除し、エンジンをかけていつでも発車できるようにスタンバイするのだった。

 そして数分後、ホテルの裏口に人影が見えた。天雲だった。

 佐木は肩をすくめて苦笑した。助手席側の窓を開け、大きく手を振る。


「天雲ちゃーん」

「あ、ザギー!」


 天雲が満面の笑みで走り寄ってきた。鳥居と松田と思しき男が追ってくる。部屋に戻りなさいと怒鳴っていた。


「あのね、愛美、もうストレス限界だったの!」


 天雲は即座に車のドアを開け、飛び込んできた。


「だろうね。行っちゃう?」

「うん!」


 扉を閉めたところで鳥居が追いつき、ドアを開けようとするが、天雲はロックをかけ窓ガラスを閉める。


「バイバイねー」

「ちょ、ちょっと! 何してるの、降りなさい!」

「愛美、ザギとドライブしてくるー」

「鳥居ちゃん、小一時間したら帰って来るよ。先輩によろしく」


 佐木がヘラヘラ笑いながらアクセルを軽く踏むと、鳥居が金切り声をあげた。


「何言ってるの! やめて、停めて!」

「ごめんね鳥居ちゃん。今度、君もドライブに連れてってあげるから」

「どうでもいいから、天雲さんを降ろして!」


 鳥居と松田がバンバンと車体を叩いていたが、佐木は無視して発車させた。二人の警官の声があっという間に小さくなっていく。

 それにしても、なぜ近藤がいなかったのか不思議なのだが、彼に止められなかったのはラッキーだったと佐木はクスクスと笑うのだった。

 特に目的の場所があるわけではないので、佐木は大通りをひたすら真っ直ぐに車を走らせていた。


「ねえザギぃ、1時間と言わずにさあ、このまま私をどっか遠くに連れてってよ。ね、愛の逃避行ってヤツしてみようよ」

「いやあ、無理だなあ。愛はカケラも無いから」

「ひどっ!」


 天雲はぶうと頬を膨らませた後、すっと真顔になった。

 シートベルトをしろという佐木の言葉は無視し、椅子を一番後ろまで下げ足を組んだ。運転席の佐木からは、横目でこっそり彼女の様子を伺うことができない位置にいってしまった。


「でさ、私に何の用なの?」


 つい先ほどまでと打って変わって、今までに聞いたことのない低い声だった。テンション高く甘えたようなしゃべり方は、やはり素ではなかったようだ。

 これは面白いと佐木の唇が吊り上がる。気分が高揚してきた。

 落ち着いた声で天雲は続ける。


「何がドライブよ。下心見え見えなんだけど?」

「おしゃべりしたかっただけだって」

「あんた本当は刑事じゃなかったじゃない。まあ、元刑事だとは聞いたけど。アドバイザーだかなんだか知らないけど、なんで事件に首つっこんでんの?」

「警察に協力してるだけさ」

「嘘。あんたの目は近藤さんたちとは全然違う。本当のこと言いなさいよ。あんた何者よ」


 斜め後ろからピリピリとした空気が漂ってくるのだが、佐木は愉快でたまらなかった。警察署で感じた、彼女は目的のために計算づくで行動しているという考えが正しかったのだと、嬉しくなってくるのだった。


「何者って聞かれても、ただの引きこもりだしなあ。花師のファンみたいなもんかな?」

「……警察の情報を花師に流してるの?」

「まさか! 流すもなにも、連絡先を知りたいくらいなのに」

「本当のこと言って。あんた、何がしたいの」


 耳元で天雲が囁くと同時に、青白い火花が顔の横で一瞬バチバチと激しい音を立てた。

 思わず佐木は目を瞬き、そして笑ってしまった。彼女の勘の良さには感服したが、脅し方は下手だなと肩をすくめる。

 不意打ちでスタンガンを使ったら、その衝撃から佐木が運転を誤り事故になるかもしれない。だから放電で威嚇するにとどめたのだろうが、裏を返せば絶対に当てないということでもある。脅しになっていなかった。

 

「怖くて、それ当てられないくせに」

「うるさい! 何しようとしてるのか言いなさいよ!」

「…………君と同じ、って言ったら信じる?」


 肩越しに天雲を振り返って佐木はニヤリと笑う。

 天雲は無表情で、その視線を受け止めた。


「前見て運転して」

「了解」


 スタンガンを引っ込め、天雲は座り直した。

 車内には互いを探るような沈黙が流れた。佐木はこのヒリつく空気を楽しみながら、彼女の言葉を待っていた。


「コンビニ見つけたら停めて」

「了解」


 また車内は静まり、それはコンビニを見つけるまで続いた。

 佐木が車を停めると、天雲はさっさと降りて店に入っていった。遅れて佐木が入店すると、もう彼女は角型電池とペットボトルを2本持ってレジに並んでいた。


「電池交換? 怖いなあ。車降りたらヤル気満々かよ」


 今このタイミングで電池を買うということは、スタンガン用としか思えない。


「ヤられたいの? さっき近藤さんに結構使っちゃったからね、交換しとこうと思って」

「あ、そうなんだ。なるほどね、近藤先輩がいなかったわけだ」

「近藤さんには、ザギにそそのかされて、仕方なくやったって言っとく」

「…………ひでぇな」


 会計を済ませ車に戻った。

 天雲は佐木にお茶のペットボトルを差し出し、自分はミルクティーの蓋を開ける。


「ここで少しおしゃべりしてあげる」

「了解」


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