第6話 自己紹介
D社企画開発部オフィス内には、複数のデスクをくっつけた塊がいくつかある。
それらはベージュ色をした床という海の上に浮かぶ島々のようである。
それらの内一つが、正社員や契約社員、庶務担当のパートタイマーがいる島であり、他が、請負のスタッフがいる島である。
島を構成する各デスクの上には、デスクトップパソコンがあり、そのほとんどはタワー型。
ゲームの開発を行うために使用するので、スペック及び拡張性を要求される、というのがタワー型を採用する理由である。
タワー型ではないのは、パートが使うパソコンくらいのものだ。
この部署はノートパソコンもいくつか所有しているが、これらは主に会議での議事録作成やプレゼンテーション等に使用される。
「何だこれは!?」
もじゃもじゃ髪に面長の男性が驚きの声を上げた。CG制作チームのリーダー、
――いくら何でも、スケジュールきつすぎないか?
彼はパソコンのディスプレイを前に困惑している。
ディスプレイ内にあるのは、メールソフトの画面。
メール本文に先日行われたプレゼンテーションの内容が書かれており、その時の資料が添付されている。
彼はインフルエンザに
彼は立ち上がり、格樹の席に向かっていった。
格樹がデスクにて考え事をしていると、そこに引戸がやって来た。
格樹がスーツ姿であるのに対し、引戸はチェック柄のシャツに、ジーパンという私服姿である。
企画開発部は基本的に私服OKの部署だが、格樹は顧客と顔を合わせる機会が多いためか、普段からそのような姿をしている。
「格樹さん、先程、メールを見て知ったんですけど、今回のプロジェクト、いくら何でも無謀ではありませんか?」
引戸が格樹に尋ねると、格樹は向き直って引戸を見上げる。
プレゼンテーションの時、出席者は誰も格樹に質問しなかったが、引戸はその点では他の社員と違っていた。
「それ、菊軽さんからも言われましたけど、最後は納得してくださりましたよ。まず、規模が大きいのでスタッフを増員します」
「はい……」
「人件費がかかりますけど、その分は売り上げで元を取ります」
格樹が簡単に説明するも、引戸は、どこか
「菊軽さんが既に人材の手配をしていますし、私の方でもシナリオライターや漫画家、ミュージシャンの方々にお願いしています。ですから、あまり気にしないでください」
「……わかりました」
引戸は渋々とそう言った後、自席に戻っていった。
パソコンのディスプレイを前に腕を組みながら考え事をしている男性がいる。
年齢は三十を過ぎたくらいだが、髪の所々に白髪が混じっている。
企画開発部に常駐しているN社の正社員である
彼はD社内におけるN社の窓口的な役割をしている人間であり、常駐しているN社スタッフのまとめ役でもある。
彼の考え事は、これからの開発環境についてである。
――納期が非常に厳しそうなのに、ゲームエンジンを変えなければならないのか。
ゲームエンジンとは、一言で言うとゲームを作るためのツールである。
RPGツクール等のツクールシリーズもその仲間と言われる事があるが、この会社で使われるゲームエンジンは、それらのプロ仕様版、オールマイティ版とでも言うべき代物である。
これさえあれば、難しい演算やプログラミングの手間が大幅に省けるのだ。
とはいえ、ゲームを作り込むためには、やはりプログラミングを駆使する必要がある。
ゲーム内容を色々とカスタマイズするためである。
そのための言語が、前回と今回とで異なる。
それを除いても環境が変われば、諸々の使い勝手がいくらか変わってくる。
――メンバーに伝えよう。
システム開発担当でもある彼は、メンバーに連絡するために、メールを打ち始めた。
彼の指がキーボードを叩いていく。
「ゲームエンジンが変わるそうだ」
男性にしては髪が長い
「プログラム言語がC#からC++になるそうですね。C++なんて、いじった事無いですよ」
川鳩が重坂に言った。
川鳩は学生時代にC言語の勉強をした事はあるが、C++については経験が無い。だが……
「Cがわかっていれば、何とかなりそうな気もするけど、まあ随時勉強だな」
C++はC言語と互換性がある。なので、C言語について知っていれば、その多くを生かす事ができる。
手も足も出ないという事は無い。ただし、積極的に精進していく必要はある。
「そうですね。前回のC#も経験が無かったんですけど、何とかなりましたし、今回もきっと……」
「だといいんだけどね……」
「と、言いますと?」
川鳩が眉間にシワを寄せ、不安そうな表情になる。
「メールにも書いてあるけど、今回、納期の割に異常なまでに工数が多いらしいんだよ」
重坂がそう言った後、川鳩が改めてメールの内容を見る。
「わかりました。大変そうですね」
川鳩は神妙な顔つきで言った。
石窓からのメールを受け取った重坂と川鳩は、T社の正社員なのだが、N社に派遣されるという形で、ここに常駐している。
そう、二人の雇用形態は常用型派遣。
一応、正社員ではあるが、実態は非正規である派遣社員達とたいして変わらない労働者である。
N社はD社の業務を請け負うため、D社に常駐スタッフを送り込んでいる。
その中に重坂と川鳩がいるのだ。
重坂は二十代半ばの男性で、大学卒業後、T社に入社。N社に派遣されるという形で、一年前からD社に常駐。
川鳩は二十代前半の男性。産業系の短期大学校卒業後、T社に入社。重坂とは同じ形で五ヶ月前からD社に常駐。
二人は石窓の元で前回のプロジェクトから携わってきており、今回もプロジェクトに参加予定である。
担当業務はシステム開発の内、プログラムやデバッグ、テスト等である。
太った大柄な男性が、パソコンのディスプレイを前に、渋い顔をしている。
CG担当の契約社員、
三十手前の男性で、リーダーである引戸と年齢的には変わらない。
引戸よりも下の立場ではあるが、関係は良好で、時折おしゃべりする事がある。
先日行われたプレゼンテーションの出席者は正社員のみ。
彼はメールを見て、初めてプレゼンテーションの内容を知った。
彼は一月当たり三十時間分の残業代込みで契約している。なので、月の残業時間が三十時間を超えても、超過分はもらえない。
――これだと余裕で三十時間オーバーだ。それどころか、何倍にも膨れ上がりそうだ。
彼は、ため息をついた。
これまで、三十時間を超えないようにしてやってきたが、今回はそうもいきそうにない。
「どうした? 苦そうな顔して」
向かいの席にいる引戸が、話し掛けてきた。
「メール見たんですけど、これ大変そうだなと思いまして」
「同感だな。ここだけの話、俺も、これには気が進まないんだよ。あまりにもきつそうで」
「全くですね」
二人は、ささやき合うようにして話した。
眼鏡を掛けた目つきの鋭い男が、パソコンのディスプレイを見つめている。
彼は格樹とは向かい側の座席に座っている。
システム開発チームのリーダー、
――あのボンボンめ! 一体、どういうつもりだ!
彼は無茶と思える今回のプロジェクトと、その発案者である格樹に対する苛立ちを隠せない。
彼は引戸や堀後と同い年で、格樹より僅かに年上である。
格樹の事を苦々しく思う彼だが、格樹に面と向かって強く言うような事は無かった。
理由は菊軽達と同じである。
オフィスの扉が開き、そこから三人の男女が入ってきた。三人ともスーツを着ている。
一人は菊軽である。
「みなさん! 本日より企画開発部に配属となる新人二人を紹介します。それではどうぞ」
菊軽が新人二人に自己紹介を促す。
「須分考太と申します。
菊軽のそばにいる若くて地味な男性が、お辞儀すると、拍手が沸き起こった。
「紺倉多絵と申します。
小柄な若い女性が、お辞儀する。同様に拍手が沸き起こる。
「それでは、みなさんもお願いします」
菊軽は社員達にも自己紹介を促す。
「プランナー兼ディレクターの椎尾格樹です。よろしくお願いします」
「システム開発チームリーダーの鞭岡です。よろしくお願いします」
「CG制作チームリーダーの引戸です。よろしくお願いします」
こうして、正社員、契約社員、パートタイマーの自己紹介が終わった。
「あちらの方々は、エヌデストウルさんからいらっしゃっている常駐のみなさんです。それでは、お願いします」
今度は請負達の番である。
「エヌデストウルの石窓です。システム開発を担当しています。よろしくお願いします」
石窓がお辞儀すると、同様に拍手が沸き起こる。
こうして、N社のスタッフ達――T社からの派遣含む――は、次々と自己紹介していき、やがて川鳩に出番が回ってきた。
「テキヤシースからエヌデストウルに派遣され、ここに常駐している川鳩です。よろしくお願いします」
川鳩が自己紹介をすると、オフィス内が固まった。皆、黙っている。
「テキヤシースから派遣されていると言っちゃダメって、鍋見さんが言ってなかったっけ?」
重坂が川鳩に耳打ちすると、川鳩は「すいません」と言って、頭を下げた。
須分は鞭岡の隣に、紺倉は引戸の隣に、それぞれ案内された。彼らのために用意した座席である。
チームのリーダーとはいえ、鞭岡や引戸には、これまで正社員の後輩がいなかった。
なので、指揮の対象は、派遣社員達――引戸の場合は契約社員も含まれる――だった。
そんな鞭岡と引戸に、今日、初めて正社員の後輩ができたのだ。
ちなみに、前回のプロジェクトには派遣社員達――N社に派遣されているスタッフではない――も加わっていたが、先月で解約となったので、ここにはいない。
新人二人は緊張しながらも、にこやかな顔をしている。
だが二人は、これから先に待ち受ける地獄を知らない。
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