第5話

「君、もう自分の足で歩く必要無いんじゃないですか?」


 新居に着いて早々、私の足は引っこ抜かれる危機に陥った。


 新居に到着して早々の狂言に愕然としていると、彼は何故か腰を低くした。抜刀する様子もないし、私の足に触れもしない。奇妙な沈黙だけが流れていると、「姫抱きさせなさい」と、唇を尖らせてきた。


「姫抱き」


「君が前、同期に押し付けられていた恋愛小説の表紙にあったでしょう。二人きりの移動時は、あれがしたい」


「筋力が衰えるのも、重く思われるのも嫌なので、玄関までなら」


 彼は「では」と、私を姫抱きした。


 分厚い胸板に触れて、顔もぐっと近くなる。血生臭くない彼の香りでいっぱいになって、どきどきしてきた。


 手を握られたときも思ったけど、私はグラーヴェ団長に触ることが好きかもしれない。


 気を確かにしていないと、これから一生一緒に暮らすわけだし、抱き着いていないと死ぬみたいな、中毒患者にさせられたらどうしよう。


 今まで、真面目な同期がお酒にのまれていくのを何人も見てきた。


 常時彼に触らないと正気で居られなくなったら……。


「やっぱり今日はなしです」


 しかし、グラーヴェ団長は私をすぐにおろしてしまった。どうしようとは思っていたけど、残念な気持ちも出てきてしまう。私が彼を姫抱きにすることは許されるだろうか?


「何が駄目だったんですか」


「太ももに手がいく」


 そういって、グラーヴェ団長は自分の左手を見つめている。手はぷるぷると震え、まるで麻痺毒にでもあったようだ。


「太ももに触るの嫌ですか」


「君の身体ならどこも好きですけど」


「じゃあ良くないですか。私も好きですよ」


「は? な、なんだと?」


 彼は驚いた。私が触られるの大好きな変態みたいじゃないかと、私は「違います」と冷静に否定する。


「私は団長に触るのと触られるのが好きなだけです。他の人間なら切り殺してます」


「なんて破廉恥なことを言うんですか君は……!」


 団長は「心臓がもたない……!」と頭を抱える。怒られるのかと思いきや、顔を覆いつつ、ちらっと顔を上げて私を見て、また顔を覆うこと繰り返している。


「えっと、早速新しい家をご案内していただいても……?」


 このままだと埒が明かない気がして、私は団長に声をかけた。


「そっ、そうですね。そうしましょう」


 彼は門を開ける。真っ白な壁に、薄っすらとした桃色の屋根の可愛らしい三角屋根の屋敷だ。しかし、二人暮らしにしては大きい


 寮では寮母さんが料理を作っていたけれど、寮母さんが休みの休日は非番の人間が交代で料理を担当していたし、掃除も当番制だった。私は家事に困ることもないし、苦でもない。それに、戦が終わったということで仕事がない。報奨金はその都度貰ったものの、所詮戦時。使う場所もないし、私はほかの団員と違って貢ぐ人間もいなければ、酒も嗜む程度で、趣味もなかった。


「誰か他にも住むんですか?」


「私と君だけだですが何か?」


「広くないですか? 夫婦の寝室に、お手洗い、お風呂、書斎、広間、客間と考えても、計算が合わないのですが」


「客に来てほしくないから客間はなし。ただ君を閉じ込める部屋が五つ。一室だけだと気が狂うと思い、日替わりです。そこから案内しましょうか」


 そういって、彼は玄関扉の見える道を外れる。一緒に屋敷の裏手に回ると、可愛らしい家の雰囲気を破壊するような鉄造りの扉とともに、武骨な南京錠が見えた。


「一週間って、七日じゃないんですか」


「七日間ずっと起きているわけでもないでしょう」


「たしかに。半日ずっと寝てたりしますもんね」


「え……」


 彼は顔を真っ赤にした。私から一歩離れて、じっと見てくる。徐に狼の真似をして威嚇すると、身体をびくつかせた。どうしよう、彼の新しい反応が楽しくて仕方がない。


「あまりいじめないでくれませんか……」


 一方彼は脱力した様子で鍵を取り出し、ちょこちょこと手を動かしている。さっきのこともあるし、なんだか、いままで彼が武器や剣を持っているのを見てきたせいか、小さいものを持っているとほのぼのとした気持ちになってしまう。


「ここですよ、脱出は不可能だと思ってください」


 南京錠を開け、武器庫のような薄暗い廊下を抜けて辿り着いたのは、窓のない一室だった。


 多様な書籍が並んだ本棚に、レコードが飾られた硝子棚、そして二人用の寝台がある。小さな台所もついていて、囚人を入れておく場所には思えない。


「私をこの中に入れておくんですか」


 問いかけると、団長はすっと冷えた眼差しを向けてきた。


「ええ。君がほかの誰かを好きだなと思ったら入れます。その誰かと会えないようにします。そして私も入ります」


「普通、捕らえた人間は隔離しておくべきでは」


「私は君と離れないし、離れることも許しません」


 その言葉に、ときめいてしまった。駄目だもう、グラーヴェ団長が何をしても可愛く見えるし、命令口調にすらにやにやしてしまう。


「じゃあ、別にこの家の中で二人でいても変わらなくないですか」


「……そうですね」


「あと問題が二つ」


 これは、重要な問題だ。私の言葉を、彼は固唾を飲んで待っているけど、そこまでされると引いてしまうし、申し訳ない気持ちになる。


「私がほかの誰かを好きになることは無いことと、逆に私もここでグラーヴェ団長に好き勝手出来るのではと思い至りました」


「……ここから出ましょう。普通に、玄関から入り直します」


 彼は、ちらっと私を見て、両手で口元を抑えていた。


 戸惑いの顔をしている。こんな部屋を作っておいて、人をけだものを見るような態度をとるのはやめてほしい。それに私は彼の顔写真を部屋に張り付けたり、周りの人間を殺すことなんて仄めかさない。


 なのに彼はじろじろ見てきて、悔しくなった私は思い切りその手を握ったのだった。

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