第2話

 5年前に患った病と言われるそれは、私の心に未だ根をはっている。遠目から見ているから踏ん切りがつかないのかと、あえてそばへ行ったり、茶化すことだってあった。


 いっそ、告白でもしてみようか。そうして完全に、失った思い出にするのもいいかもしれない。


 これから先、どうやって生きていくかあまり考えてないけど、少しずつ自分の心と折り合いをつけていくことにしよう。


「待ちなさい」


 しかし、一歩勇気を踏み出す前に、私はグラーヴェ団長に呼ばれてしまった。


 今までは「お前は屈伸運動500回追加だ」とか、「お前は山向こうの部隊を弓で射れ」と言葉が続けられていたけど、今日はいったい何の命令だろう。


 グラーヴェ団長は真面目な顔つきで、これから単独で進行でも命じるかのように、私に近づいてくる。


「わ」


「はい?」


 突然、驚かせに来たのだろうか。なんだろう、戦が終わって浮かれている? 初めて見る歯切れの悪そうな態度につい首をかしげると、グラーヴェ団長が私の手首を掴んだ。


「お」


 わお? 一体なんだろう。勢いがすごかったから、強く握りしめているように錯覚したけど、私を掴む手はやけに優しい。そして、ひどく熱っぽくて、汗にぬれていた。今まで団長が汗をかいているところなんて見たことないし、あまりに異質で困惑する。


「お、れ、わ、わたし、おれ、おれ、おれお」


「だ、団長落ち着いてください」


「私、は、貴女を愛しています。あ、貴女が良ければ、私と、結婚し、し、てい、いただけますか」


「え」


 彼は私に指輪を渡してきた。武器の手渡しは三秒以内に速やかにという彼の規則上、反射的にぱっと受け取ってしまう。すると彼は大きく目を見開き、目を潤ませた。


「絶対に……っ幸せに、しますから……!」


「え」


 彼は指輪を私の手から取り、今度は左の薬指にはめてきた。


「2分……待ちます。嫌なら外しなさい。今なら外したことに、罰則も処分もつけません」


 私は左の薬指を見つめた。これを外さなければ、私は彼と結婚ができる……? いや、結婚ってそういうものだっけ……?


「私も、グラーヴェ団長のことが好きです。なので、外したくないです」


「本当に?」


「はい」


「なら、もう、絶対に離しませんから……」


 グラーヴェ団長はぎゅっと私を抱きしめた。まるで人間のような笑みを、それも確実に精神が病んでいらっしゃる笑みを浮かべ、私の両頬に触れてきた。


「ずっと、一緒に生きてくれますか?」


 声色が、完全にいつもの「これから敵の本拠地へ向かいます、準備はよろしいですか?」だ。そのせいで私は「はいっ」と、即座に返事をしてしまう。


 私は彼に、淡い想いを抱いていた。それはもう、認めるしかない。けれど、初恋が叶うといっても──これはあまりに、凶暴すぎるのではないだろうか。


◇◇◇


 戦が終わり、国中が浮かれた空気とともに夕焼けに包まれる中──


「君に婚約者がいたら殺す気だったから。余計な血を流さず済んで良かったです。君も流石に婚約者を殺されたら、私を怖がるでしょうし」


 私は、甘い口説き文句と共に脅迫を受けていた。


 隣にいるのは元上司で、今日から婚約者になったグラーヴェ団長だ。あれからとりあえず途中まで一緒に帰ることになり、さらに国中お祭り状態のため馬車が通る道は軒並み歩道扱いとなり、我々は歩きで帰ることとなってしまった。


「私のこと、いつから好きだったんですか?」


 暮れ行く日に当てられながら、私はグラーヴェ団長に問いかける。こういうことは、最初に聞いておいた方がいいだろう。長引かせると聞きづらくなるし、普通にすっきりしない。


「ずいぶん直球ですね」


 黙々と歩いていた彼は、照れた様子で頬を染めた。なにこの表情、見たことがない。一瞬夕焼けが悪さをしているのかと疑ったけれど、視線も彷徨っていた。


「聞いたら駄目でしたか」


「最初は、ふざける君に煩わしさしか抱きませんでした。でも、私の周りをちょこまか動きまわる君が可愛く見えて……今思うと、初めて出会った頃から好きだったのかもしれない」


 いつもグラーヴェ団長は、私を射殺すように見る。その次に出る言葉は、「やめなさい」「ふざけるな」「くだらないですね」「ふん」で、ふんが一番多い。


 怒るときすら淡々と言葉を並べるのに、今日の彼は、忙しいし、よく口ごもる。


「私に対して異常にメニューを増やしていたのは、茶化した報復じゃなかったんですか」


「強くなってほしかったんです。正直もっとふざけてしまえと思っていました。でも君は訓練中ふざけないから、苛立ちを覚えていたくらいです」


「苛立ち」


「だから訓練場での移動中はチャンスでしたよ。でもそれだけでは足りないと思い、連帯責任での追加訓練を思いついたときは、つい浮かれて君以外の人間を過労死させかけてしまった」


 照れ顔で言っているけれど、ほかの隊員からしたらいい迷惑だろう。実際、団長のもとで働くことは、この巣食うような恋心に呪われてのことだ。団長が好きではなかったら、たぶん後ろから刺している。


「私は君にだけは死んでほしくなかったんです」


 そう言われると、過去に腕立て伏せ1500回を命じられた時、「彼は一年に一回電気で充電しないと機能停止するなんて新入りに言わなきゃ良かった」と簡単に考えて行っていた自分が恥ずかしい。


「ごめんなさい。私は、あなたに好かれているなんて思いもしませんでした」


「でしょうね、私は普段から、自分以外の人間は下等な生物だと思っていました。でも、部下には平等に接しなくてはいけない。だから君のことも、見下すよう努めていたので」


 この人に命を預けていた隊員が聞いたら、化けて出るような言葉だ。とはいえ、この人の命令を聞いていた隊員はみんな生きている。私含めて。


 どう返事をすべきか悩んでいると、その空気を感じ取ってか、「でも」と、団長は続けた。


「毎夜君を想っていましたよ」


「いかがわしい意味で?」


「……半分くらいは」


 団長に顔を真っ赤にして目を逸らされ、私は頭を下げた。うっかり遊び心が出てしまったけど、もう絶対しない。今までは「ふざけるな」という罰則が対だったけど、それがない今気恥ずかしい。過ちを後悔していると、彼は改まった様子で私を見つめた。


「代り映えしない、何故自分が戦っているのかもわからない世界の中で、君の冗談や、のんびりした態度、馬鹿らしい言動は救いでした」


「団長……」


「生きて戦いの終わりを迎えた以上、一緒に生きて、一緒に死にたいです」


 そう言われると、誰より平和のために武功を上げ続けてきた彼の願いを、叶えなければという気持ちになった。


「その願い、私が叶えます。ほかにもいろいろ、こうしてほしいとかあれば、それも全部」


 というか、一人で100人倒して来いとか、腹筋1000回、失神するまでスクワットするより平和的で、簡単にできることだ。よかった。これからの結婚生活、馬車馬のように家事をさせられ、彼の基準を満たせなければ永遠に腹筋と腕立て伏せをさせられるのは嫌だなと疑っていた。申し訳ない。


「……手でも繋ぎませんか?」


 真っ赤な顔で言われ、私は早速、グラーヴェ団長に手を伸ばした。


 彼は私の手を握り、そのままゆるゆると動き、夕焼けの影を確かめるように歩いていく。


 ただ歩いているだけなのに、彼は微笑んでいた。耳まで赤い。


 今まで、彼が赤くなるといえば返り血だけだった。だからなのか、彼のことがひどく可愛く見えてしまった。


「ではこのまま、貴女の屋敷で顔合わせをして、婚姻の書類を提出、私の家で事後報告をして、そのまま新居に行きますよ」


 でも、やっぱり可愛くないかもしれない。


 だって予定の組み方が、常軌を逸している。


 完全に、過去の地獄のような時間割による訓練の名残が出ている。


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