第19話〈覚悟〉2

 その夜。携帯のメール画面を睨みつける虎太郎は、携帯を置いては手に取り置いては手に取りを繰り返している。


まだ送られていないメールの内容は「電話して良いか?」と尋ねるとても短い文だった。


 散々それを繰り返した結果そのメールを削除した虎太郎は、覚悟した様子で再び携帯を手に取る。


通話ボタンを押し、千夏が電話に出たのはコール五回目だった。


「虎君どうしたの?私の声が聴きたくなっちゃった?」


第一声から茶化す千夏に、虎太郎は緊張が一瞬で無くなったように笑い返す。


実際メールでのやり取りは増えたが、電話で話すのは初めてだった。


「面接受かったわ、ありがとうな」


軽い口調だが真剣な面持ちの虎太郎に、千夏は小さく頷く。


「それだけ言いたかったんや、じゃあな」


感謝を言えた事に満足したのか、虎太郎は素っ気なく電話を切ろうとするが「まだ‥‥、早い!」と千夏は無邪気に引き止め会話を続ける。


友達や家族の事、ドラマやニュースの事、将来や夢の事、二人の話しは尽きず気付けば深夜になっていた。


「虎君って意外と優しいのね、うん‥‥、じゃあね‥‥、おやすみ‥‥」


「おう、またな‥‥」


電話を切った次の日から、虎太郎は慣れないバイトに明け暮れる毎日が始まる。


朝8時から夕方5時迄、最初の二週間は皿洗い。


バイトが終わると病院に行き秋人とギターの練習、そんな忙しい日々が続いていたが虎太郎は充実しているようだった。


理由は明白。


初めて電話した日から数日おきに続く千夏との電話が、変わり始めていく虎太郎を支えていた。


どんなくだらない話しも二人なら笑い話に変わり、時間を忘れる程長話を続けていた。


「夜ヒマなんやったら、しゃーないから俺が話し相手になったるわ」と強がっていたが、救われているのは寧ろ虎太郎の方だった。


それから数日後。


「そろそろ厨房やってみるか!」


昼時を過ぎて客が減り始めると、洗い場に来た店長が虎太郎の肩に手をおき厨房に連れ立つ。


「油を引いて水を入れて蓋をする、焼き音が変わったら‥‥」


店長は説明しながら手際良く餃子を焼き、虎太郎は真剣な眼差しで手順を覚える。


「ほな、やってみよか」


説明の最中もオーダーは増えていき、店長が見守るなか虎太郎は餃子を焼き始め。


不慣れながらも要領良く順調にオーダーをこなしていく虎太郎に、安心した店長は「このまま任せたぞ」と焼き場を離れ休憩に出て行く。


皿洗いよりは遣り甲斐が有るのか虎太郎は楽しそうだったが、困ったのは他の店員だった。


今まで他の店員は如何にもな見た目のせいで虎太郎を恐れ、話し掛けられる事すら無かった。


だが厨房に入るとなれば、さすがに無視する事は出来ない。


いつになく注文する側には緊張感漂っていたが「セットの餃子急ぎでお願いします!」「あいよ!」と意外に明るい仕事でのやり取りが、虎太郎に対する誤解を解き。


この日を境に少しずつ、虎太郎にも普通の仲間が出来ていく。


そんな調子でバイト生活が数ヶ月続き、いつの間にか虎太郎の立場も先輩に変わっていた。




バイト先での休憩時間、プレハブ小屋でくつろぐ虎太郎は後輩とバンドの話しをしていた。


「曲名はちょっとアレなんスね‥‥」


すでに聞いた事の有る批評で、後輩は虎太郎を苛つかせる。


「俺もバンドやってみたいなって思ってたんス!ベースにどうっスか俺?」


軽いノリで頼む後輩に、虎太郎の苛立ちは正に頂点だったが「しばくぞ!覚悟が足らんわ」と冷静に断り。


「え~!マジっスか~」そのまま俯せに倒れ込む後輩は、不満そうにダレる。


だが意外な事に、休憩時間が終わっても後輩は諦めていなかった。


「カウンターの水入れ替えてきます」


忙しくなり始め、接客等に追われながらでも気の利く後輩に虎太郎は驚く。


「お前気が利くやないか」


「そうっしょ、俺バンドでも気が利くと思うっす」


「からかってんのか、シバくぞ」


虎太郎は即答で断るが、まんざらでもなさそうに笑顔を返した。




数日後、練習日の打ち合わせ電話で「あれから電話有った?メンバーどうする?」と秋人は心配するが「バイトの後輩からバンドに入りたいって軽く言われてムカついたわ」と虎太郎は冗談っぽく舌打ちを返す。


「また断ったの~、もったいないよ~」


秋人は残念そうに情けない声を挙げるが「どうせ大した覚悟も無いやろ」と鼻で笑う虎太郎は気にもしていない。


「じゃあ明後日な!」


そう言って虎太郎は電話を切ると、思い出したように店内を見渡す。


驚かしたい一心からか、虎太郎は今居る場所について何も言わなかった。


何故ならその場所は楽器屋だったからだった。




それから更に数日後、バイト先での休憩時間。


「どうしたんやお前?このクソ暑いのにジュース買う金も無いんか?」


やたらと店の水を飲む後輩をからかうように虎太郎は笑う。


「金使い切ってしまったんっス」


「どうせパチンコやろ」


「違うっスよ~、ベース買ったんっス!俺練習するんで上手くなったらバンド入れて下さい」


すぐには返事出来ず、考え込む虎太郎に「俺本気なんす!」と付け足す後輩は、真剣な眼差しで虎太郎を見つめる。


三度目になる後輩の頼みに、まだギターを選びかね買っていない虎太郎は思わず吹き出す。


「アホか俺より格好付けるな!」


「どういう意味なんっスかソレ~?」


笑い返す後輩に「お前で四人目決定って意味や!」と虎太郎は偉そぶって後輩の肩に手を置き、後輩のグラスに水を注ぐ。


他人を認める事の少ない虎太郎が、後輩の覚悟を認めた瞬間だった。


「マジっスか~?」


狭い休憩室に後輩の喜ぶ声が響く。


余程嬉しかったのか高く持ち上げたグラスを、祝杯でも眺めるかのように後輩は見つめている。


狭い休憩室の窓硝子越しに映し出された其の氷水の空は、気持ち良い程透き通った青だった。


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