AM8時 『アイラバ』 ホタル

 腹の虫に起こされた僕は、日々のルーティーンに従いスマートフォンを手にした。いつの間にか眠っていたようだ。

 二度目の指紋認証で開かれた宇宙飛行士の待受画像をよそに、デジタル表示の時計が刻む数字を確認した。僕は空にむけて予定調和のため息を付いた。


「日本時間AM8時、未だ太陽は上らず」


 ここは日本ではないのだろうか。それとも地球ですらないのだろうか。


 僕は重い腰を上げ、再び歩くことにした。

 所々樹木の根が隆起しており、地面を裂いてむき出しになっている。根のうねる様は大きな蛇のようだ。

わざわざ急ぐ必要もないので根に躓かないよう慎重に歩いた。蛇は絶えず僕を追跡し、いつか転んでしまうのを待ち構えているみたいだった。


 そういえば、この森に来てから一度も生物を見ていない。哺乳類はおろか、昆虫さえ見当たらない。生い茂った木々の他には花さえ咲いていないではないか。この世界には僕と木と、月の他にはなにもないのだろうか。少し不安な気分になってきた。できればスマホで音楽でも流して気を紛らわせていたいが、充電がいつまで持つのかわからない。電池の節約のためにライトを灯さないようにしたのだから、今は脳内で音楽を流すまでに留めておかないといけない。というか、誰もいないこの森なら大声で歌おうが構わないし、何だったら声を聞いて誰かが駆けつけてくるかも知れない。そうだ、歌でも歌ってあるこうじゃないか。


「ひかりを 見つけて 捕まえて 私を」


 僕はすぐに歌うのを止めた。


 どうしてこの歌を口付さんでしまったのだろう。

 アイドルグループ『ISLAND LOVER』略して『アイラバ』のデビュー曲だ。今でこそ新曲を出せば1位は間違いない彼女たちだが、このデビュー曲『ピカピカLOVER』の初登場の順位は33位であった。僕は『アイラバ』のファンではあるが、このデビュー曲は正直好きではない。なぜ好きになれなかったのかはっきりと説明はできないが、多分歌詞が共感できなかったのだろう。そんな歌を無意識の内に選曲してしまった理由もやはりこの歌詞のせいだった


「ひかりは かならず 見つかる そこにある」

「どんな暗闇でも 小さなひかりがあれば 歩ける」


 森の奥で何かが光った。

 いや、光っている。何かが光を放っているのだ。こんなにも『ピカピカLOVER』の歌詞を共感できる日が来るとは思わなかった。この暗闇の世界の中でマッチにも満たない小さな黄色い光が僕にはどんな夜景よりも輝いて見えた。小さな光が眩しく感じてしまう。

 僕は歩を早め、木の根に気をつけながら光の見える方向に向かった。近づいていくにつれ、光は一つではなく、いくつも点々と輝いていた。


 誰か人がいるといいな。そうでなくとも人がいたという形跡だけでもいい。とにかく自分がこの世界に一人ではないという確信さえ持つことができたらいい。


 光は1つ2つと増えていき、無数の点が風になびくように揺らいでいた。その様はまるで満点の星空が地上に落ちてきたみたいだった。

 僕はその光景に心を打たれた。理由はわからないし、涙が流れたりするわけでも無いのだけれど、まるで宇宙遊泳でもしているようなこの景色は決して忘れることはないだろう。


 --光の正体は、ホタルだ。


 都会の路地裏にあるくたびれた古本屋の電球色、といえば伝わるだろうか。

 僕を取り囲む光は初めて見たようでもあり、なんだかノスタルジックでもある。最初に感じた宇宙的未来画は今や影を潜めていた。


 僕を警戒しているのだろうか。ホタルは僕が近づくにつれて光を微妙に変化させている。光の変化は些細ではあるが、初めて見た黄色とは少し違う、赤っぽい黄色だ。もっと適した表現があるのだろうけれど、僕は画家ではないのでライムイエローだのマンダリンオレンジだのと言われてもピンとこない。

 時折点滅をするホタルもいるが、2,3度シャープペンシルをノックするぐらいに点滅を繰り返すと、そこからはいぶかしげに光るだけだった。


 点滅。例えばこれはモールス信号か何かでこのホタルは何かを伝えようとしているのではないだろうか。


『コ ン ニ チ ハ』


 そんなはずないか。昆虫に人格を求めることは不毛だ。それでもやっと会えた自分以外の生物なのだから、会話ができるくらいの知性を期待してしまうのは仕方がないことだろう。ペットや愛着のあるものに知性や人格を求めることは人間の性(サガ)であり本能なのである。僕は虫は嫌いだが。


 しばらくぼうっとしていると、徐々に点滅するホタルが増えてきた。先ほどとは違いホタルは2,3度の明滅を繰り返した後に目を閉じるように光を閉ざしてしまった。


『ヒトチガイダ』『カエロウ』


「おいおい待ってくれよ。僕を一人にしないでくれよ」


『オマエハドコニイテモヒトリダロウ』


 酷い捨て台詞とともに光はどんどん消えていき、僕はまた真っ暗な世界に一人取り残されることになった。

 また暗闇だ。

 たしかに僕はどこにいようが一人なのかもしれない。昨日までいた場所も、今いる場所もそう変わりはしない。


 僕は孤独なエピソードを思い出して哀愁でも漂わそうと思っていたが、それを阻止する光が遠くの方から近づいてきた。


 光の正体は懐中電灯だ。さっきまで幻想的な雰囲気に浸ることができたのに、いきなりそんなものを持ち出すとは随分マナーが悪い。

僕だってホタルに囲まれている時はスマホをしまっておいたというのに、これじゃあ台無しだ。こういう場合はカンテラとかロウソクとかであたりを照らすべきだ。


 人工的で無個性な光は僕の顔を少し照らした後、懐中電灯の持ち主をライトアップした。


「やあ、元気にしていたかい」


 そこにいたのはフクロウ男だった

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