とある世界の願い

@harido-ryo

第1話 最初の出会い

目を開けたら一面蒼色だった。


頭と足元、どっちが上でどっちが下かわからない

真っ青に澄み渡った景色。

空のようで、海のようだ。

無重力のようでいて、不思議と平衡感覚はしっかりしている。

目の前には、目隠しをした執事のような、

奇妙な男が居た。

「やぁ。2代目。」

そう言って出迎えてくれた奇妙なこの男を、俺は知らない。

ここがどこなのかも、自分が誰なのかもわからない。

いろんなことが、思い出せなかった。

何かを思い出そうとすると、記憶を覆い隠すように濃い靄がかかって、

頭の中が真っ白になる。

「うん。しっかり記憶を抜かれているからね。当然だよ。」

気の抜けたおっとり口調で、男が言った。

ちなみに、俺は今10歳くらいの子どもの姿をしている。

妙な違和感があった。

体が、ひどく軽くなったような気がしていた。

「俺はベルベットだよ。」

そう名乗った彼は、一見、大きなシルクハットを被った黒服の紳士だ。

歳は若く見えるけど、目隠しのせいでなんかよくわからない。

白い布のようなもので目元が覆われている様はちょっと不気味だけど、

不思議と怖くはなかった。

「大丈夫だよ。君の知識や経験は君の中に生きているから、

君は君のことをちゃんと判断できるし、君の能力は紛れもなく君のものだ。」

そこまで言って、ベルベットはちょっとだけ小首を傾げる。

「まぁ、体も縮んでいるから、ちょっとヘンな感じはするだろうけどね。」

言われて、そういうことかと理解する。

どうやら俺の体は子どもの姿に縮んでいるらしい。

体が軽くなった理由と、違和感の正体だ。

本当の年齢は思い出せないけれど、今の姿より歳上であることは感覚的にわかる。

気を取り直して、俺はベルベットに聞いてみた。

「ここは、どこ?」

「次元の狭間だよ」

あっさりと、事もなげに言われて一瞬戸惑う。

「じげんの…?」

「はざま。世界と世界の間にいるんだよ。」

言い直されてもまだよくわからなくて、やっぱり戸惑う。

正直、思考が追いつかなかった。

「いいんだよ。そもそも簡単に理解できるものじゃないからね。

わからないっていうのも一つの結論だよ。

なんでも白か黒かで判断するこたぁない。」

のんびりと、ベルベットが言った。

そう言うものかと妙に納得できるのは、このおっとり口調のせいだろうか。

俺はぐるりと周囲を見渡してみた。

風が吹いているらしく、

ベルベットの一本に束ねられた長い髪が、細い尻尾のようになびいている。

一方向から一直線に光がこちらを照らしていて、

光が照らすところは薄く、

遠くへ向かえば向かうほどグラデーションは濃くなって、

遥か先へじっと目を凝らしていると、遠くに吸い込まれそうな感覚になった。

後方には、白い雲がひとつだけ浮かんでいるのが見える。

そして、

ひとつだけ、脳裏に浮かんでくる言葉があることに、俺は気付いた。

思いがけず浮かんできた言葉を、

ゆっくりとなぞるように、声に乗せてみる。

「…“かけづきのまじょ”」

言ってみると、それは意外にもしっくりと口に馴染んでいた。

「”かけづきのまじょ”って、知ってますか?」

確かめるように呟きながら、俺はベルベットを見た。

「うん。知ってるよ。」

なんの感情も読み取れない顔で、ベルベットはこくりと頷く。

「…その人に会えって。」

「うん。言われたね。」

「…どうすればいいですか?」

「うん。連れてってあげるよ。俺はそのために待ってたんだから。」

淡々とリズムを刻むように、

しれっと、ベルベットが言った。

「君の父上に頼まれているんだよ。君は今、自力で時空を渡れないからね。」

「父、さん…?」

ぼんやりと霞のかかった脳裏に、

言葉と共に、さっきから静かに微笑む男の顔が浮かんでいる。

“かけづきのまじょ に 会いなさい。”

その人にそう、言われた気がしていた。

誰かは思い出せないけれど、いつも静かに微笑んでいたような気がする。

少しだけ霞が晴れるように、記憶の奥底から一瞬浮かんできた情景は、

また静かに霞に隠されて、それから先はやっぱり思い出せそうになかった。

「…俺は、“まじょ”に会って何をすればいいんですか?」

「行けばわかるよ。行かなきゃわからない。」

そう告げるベルベットは、やっぱり淡々としていて、声にも表情にも抑揚がない。

どこまでも凪いだ水面のようにスンとしている。

俺は一回、深く息を吸って、深く吐き出した。

”かけづきのまじょ”に会えば、何かがわかる。

なんの確証もない、予感だけがあった。

「…お願いします。俺を、まじょの所へ連れて行ってください。」

「うん。いいよ。」

ベルベットは軽い調子で返事をすると、

スッとステッキを持ち直し、軽く足元に2回打ち付けた。

地面という地面はないはずなのに、

カンカンッとステッキの鳴る音が響く。

音に呼応するように、足元に大きな陣のようなものが現れた。

風がふわりと舞い上がって、体を包み込むようにぐるりと輪を描いていく。

ベルベットはポケットから懐中時計を取り出し、ちらりと確認すると、

またすぐポケットにしまい込んだ。

「時は流れているよ。今も一方向に。」

そう告げて、ステッキをゆっくりと横に振ると、

陣を中心に景色が波立ち、空気が大きく動き出していった。

ベルベットの背中に黒い羽根が広がるのが見えた。

「行くよ。君が針を回すんだ。

 大いなる流れのままに。」

一瞬が、

ゆっくりと刻まれていくように長く感じた。

視界が包まれる瞬きの瞬間、

ぼんやりとした瞼の奥に、また、静かに微笑む男の顔が浮かんできた。

隣に座って語りかけてくれた声が、

記憶の奥底から響いてくる。



小さな蝶の羽ばたきが、世界の裏側で嵐を巻き起こすという。

自分が認識している世界と重なり合うように、

まばたきの数だけ世界が存在している。

それは、いつでも僕らのそばに在って

繋がり合い、影響し合って、複雑な綾を成しているんだ。

だけど、時間は常に同じ方向に流れ続けているんだよ。



そう話した優しい声は、

再び濃い霞の向こうに消えていった。

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