夏至祭 Ⅴ(栱英)

 ──同級生の証言



 昔の同級生に、酒を飲もうと声をかけた。

 二年遅れだけど、成人祝いで、と薄ら寒い建前を付け加えれば、電話の向こうであきらには失笑された。高校時代から、やれ打ち上げだ祝いだ祭りだと酒を飲んでいたのである、笑われて然るべきだった。

 だが、お互いの年齢を考えて卒業祝いとするにも俺は大学院へ進むし、英ははなから進学していなかった。いっそ何も云うべきでなかったかもしれない。

 謝花じゃばな英は、高校時代の友人ではあるが、同じクラスだとか同じ委員会だとかそういうのはなかった。俺は軽音部で、英は軽音部の女子と仲が良くて(そして俺以外のほとんどの男子と仲が悪かった)、だからときどき話したし、なぜか打ち上げに紛れ込んでいることがある奴とボトルを開けたことだってあった。

 英は、お世辞にも性格が良いとは言えなかったが、俺はその方がこっちが失礼なんじゃないかと気を遣わなくていいと思っていた。それに、どうやらクラスによくつるむ奴らもいたようなので、別にいいだろうと、気安く絡める飲み相手として、お互い時たま下衆な話をしたいときに連絡する間柄だった。


 そうして一年ぶりに顔を見た同級生は、昔と変わっていた。有り体にいえば、少しやつれて見えたのだった。バーの絞られた照明の下だからそう見えるといえばそうかもしれなかったが。

 やつれた面立ちでも充分に美しいといえる顔に感嘆しつつ、「相変わらず派手な服着てんな」と、ビーズ刺繍の花で埋め尽くされたシャツを揶揄えば、コットンリネンの襟をつまんで「これメンズなんだぜ。俺に似合ってカワイイだろ」と言うあたりは変わっていない。

「で、そのヴィンテージっぽいそれはいくらなわけ」

「いくらだっけな。五万くらい?」

 乾いた笑いが出てしまった。英が浪費家なのは知っているが、仕立てたわけでもない服にそこまで金を払う気持ちは起きなかった。

「お前、金さえあれば幸せそうでいいよなぁ」

「違うって、俺にとってのシアワセがモノの形をしてるだけ」

「物質主義的だな」

「カネはシアワセじゃないけど、カネはシアワセになるためのひとつ確実な手段だぜ。いわば銃弾と一緒でさ、使うべきときに使えなくちゃ意味がない」

「金で時は買えないが、金でかかる時間を短縮する手段は買えるようなもんだな」

 そーゆーこと、と笑って頷く英は、手に持つコップのウイスキーと同じ琥珀色の髪を揺らして、色白の肌を赤くしていた。

「そいや英、俺、この間慶應のビジコンに出たんだけど、そんときMCしてた女子と飲み行こうかと思ってて」

「え? いーじゃん、俺に言ってないで誘えよ」

「いや、なんか微妙に天然なんだよな。会話が噛み合わないっつか。顔はマジで可愛いんだけど」

「慶應女子だろー? 天然キャラ作ってるってどうせ。顔かわいきゃいいじゃん」

「だよなぁ。でも一回しか会ってないからいきなり二人っきりだと警戒されそうでさ。お前来ない?」

「いや、知らない男一人増えたところで警戒心増すだけっしょ。向こうに誰か連れてきていいよって言うか、共通の知り合い誘いな」

 こいつなら簡単に来そうと踏んで誘ったのに、意外に思った。女子二人と、三人で旅行にいける男だ。

 奴は少し酔いが回り始めた目つきでこちらを見て、やる気がなさそうに提案してきた。

「どうせ誰かしらと繋がってるっしょ。インスタか、Facebookの知り合いとか見てみ」

「あーね、名案」

 素直に、Facebookのページを開くと、確かに共通のフォロワーが表示される。こちらの大学らしいメンツもそこそこいるが、学部が被っていなかったりして、いまいち直接の知り合いが出てこない。知っている奴と繋がっていないか、むやみに多いフォロー欄を見ていくと、不意に「あ」と英が声を漏らした。

 そのFacebookのページに表示された、佐藤翔太という字面を見せて「知り合い?」と訊くと、「いや、そいつの勤務先」と指さしてくる。注意してみると、確かに勤務先が書かれていた。大学生じゃないのか。

「知ってんの?」

「アレだよ、くいなが働いてるとこ」

「くいなって、羽島栱梛はじまくいな?」

 うわ、なっつかしー、と適当に返す。本当に感慨深いというほどの距離感ではない。だが、その名前自体が過去全体の懐かしさの構成要素であることは確かだった。

 英が高校時代、いつも一緒にいた奴だ。たぶん、一番の友達なのだろう。中学も一緒だと、そういえば聞いたことがある気もする。

「じゃあ羽島もFacebookやってたら出てくるかな」

「──は? そんなわけなくね」

 軽口のつもりで言ったのに、一瞬別人かと聞き間違うような低い声がした。驚いて英の顔を見ると、笑顔の消えた英の顔は目元だけ赤く、頰は白かった。

「アイツがFacebookなんてやってるわけないじゃん。SNSの意味も知らない芋男だし。てか、そんなこと始めたとして、俺が知らないわけないし」

 突然まくしたてながら、英は自分のスマホを取り出してなにか検索し始めた。ちらりと見えた画面から、Facebookを始めとしたSNSで羽島の名前を検索しているらしい。

「あー、ほら、無い。無い。だいたい、Facebookなんてさあ、おっさんだって使えるツールなんだから、これ使ってないってことは他のSNSなんて尚更やってるわけないんだよなあ」

 中毒患者のように震える指でスクロールし続けている英は、そうでないことを祈っているようにしか見えなかった。

 俺はふと思って、Twitterを開いた。高校時代の同級生のアカウントのなかで、英や羽島と一緒に行動していた奴を見つけ、フォロー欄を見てみる。

 望月──こいつは俺と同じ委員会で、学部は違うが同じ大学でもあったから、一応フォローしておいた。『フルムーンライト伝説』とかいうふざけた名前でTwitterをやっているが、その少ないフォロー一覧を開くと、ひとつ気になるアカウントがあった。何の情報もないアカウントだったが、勘が働いたのだった。

「なあ、英。これ、羽島じゃね?

 お前、あいつのこと、まりもとかイジってなかったっけ」

 俺はその『まりも』というアカウントを、英の目の前に突き出した。

 『まりも』は、初期アイコンで、なにもツイートしていない。ひとつだけ、筋トレ器具とプロテインのプレゼント企画のツイートをリツイートしていた。

「うわ、マジかよ、こいつこれだけのためにアカウント作ったの? ウケる」

 羽島が連絡先を登録してアカウント作ったとしたら、友人である望月に通知がいったのだろう。そうでなければ、こんなアカウントを見つけられた理由がわからない。 

 ケラケラ笑っていた俺は、英が酒のコップを掴んだ手を、病気のように震わせていることに気がつかなかった。

「なんで俺に知らせないんだよっ」

 突然、引き裂くような声で叫ばれてガタッと机を揺らすほど俺はびくついた。まるで落雷だった。

「い、いや。これ、企画のために作っただけだろ。別に使う予定じゃ──」

「じゃあなんで望月がフォローしてんだよ、なんで俺に通知こないんだよッ」

「気づかなかったか、そう設定してたかだろ、落ち着けよ」

 酔いすぎたか、とお冷やを頼もうとしたが、英の激昂した声に遮られる。

「おかしいだろッ。なんでアイツは俺のアカウント全部管理してるくせに自分は隠してんだよお。くそっ」

 英がテーブルを拳で叩く。コップが倒れ、酒がテーブルの上に広がって瞬く間に皿やおしぼりやスマホを濡らした。なのに英はなおも天板を叩こうとする。

「おい、英っ。落ち着けって、お前、おかしいよ。なんでそんなに羽島にキレてんだよ」

「俺じゃないっ、依存してるのは俺じゃなくてっ」

 異常だった。酔いすぎたのか知らないが、俺は慌てて英の口を塞ごうと試みる。ここは飲み屋だが、居酒屋じゃない。英の声に、店員や客の注目が集まっているのだ。

「なあ、店変えようか。それか今日はやめるか」

「飲んでられねえっ、いや、飲むっ、くいなのこと心配させてやるう」

「意味わかんねえこと言ってんじゃねえよ、もう今日はおしまいだ、お前死にそうだから」

「だからあっ、勝手に俺のこと縛り付けて、女とも別れさせたのはくいななんだよおッ。くいながイカれてんだ、くいなが俺をめちゃくちゃにしたんだ。

 おかしいのはくいなのほうだ。俺から離れていられないのはくいなのほうだ。

 俺じゃない…俺じゃないのに……」

 しゃくりあげる英の首が痙攣するように震え、長い睫毛の先端から、涙がぽたっと落ちたのを見て、俺はふとそのとき、こいつがやつれた理由が、なんとなくわかった気がした。

 英はこの一年で、削がれてはいけない部分を削いでしまったのだ。それはきっと、英がいま狂っている相手が削いで、持っている。魂の一部を。

 それがいつ起こったのか、具体的にどのようなことが起きたのかはわからない。

 だけど、それじゃあいつまで経っても満たされないだろう、魂の一部を持っている相手のことがどんなときでも気にかかって仕方ないだろうから。

「なあ、英。俺、お前の家知らないし、電車無理そうならタクシー呼ぶからな。それか、来てくれる奴いるか?」

 ほぼ、答えに確信を持って訊くと、英はがっくりと垂れた首をさらにかくんと前に折って、不器用に、悲しげに頷いた。「くいな」

「ああ、そう。じゃ、電話してくれ」

 俺カードだから、あとでPayPayで割り勘な、と俺は伝票を掴み、泣きながらスマホで電話をかけ始めた英に背を向けた。振り返る気も、電話の内容を聞く気もなかった。見て、聞いたところで、二度と英のことは理解できない、皮が美しいだけの怪物にしかみえないと感じだから。

 俺には一生わからないような、異質の生き方を垣間見たのだと思った。

 たぶん、こいつには、もうカネで買えるシアワセなど意味をなさないのだ。それよりも恐ろしくて、重たい、きっと夜のように深くて底のないもので、魂をすなどられてしまったのだろう。




「なあ、くいなぁ。おまえが俺のこと好きなんだもんなあ」

「どうした、急に。うん、そうだよ」

「俺がいなくちゃだめなんだよなあ」

「うん、だめだ。英がいなくちゃだめなんだよ、俺は」

「うん、うん、そうだよなあ。そうだよなあぁ。うう。ううぅ」

「どうした、どうした。ほら、泣くな泣くな。今どこだ?」

「うう。コリドー街の×××」

「わかった。迎えにいってやるから」

「ううう。うえぇ。くいなぁ。くいなあ」

「どうした。吐きそうか」

「俺のこと、必要だよなぁ。俺がいちばんだよなあ。おまえの目、いつもそう言ってるもんな。黒くて。あつくて。夏至の夜の目。なあ」

「おちつけ、大丈夫、大丈夫。おまえは俺の命の恩人だよ」

「くいなぁ。くいなあぁ。くそ。あんなことして。おれのこと捨てたらころしてやる」

「あきら。だいじょうぶ。おまえがいなくちゃ俺はこまるんだ。

 俺が生きているのは、おまえのせいなんだから」


 水が落ちていく音がする。

 夏の底、みえない闇夜のその奥に、水が満ちる。

 酔った脳髄に星が散る。

 夏至を浸した甘い水に溺れて、二度と浮かび上がってはこられないのだ。

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