この花、何に見えますか? 実は、教科書に載ってるあの悪魔です。

すうさん.

1、空席の彼女と赤い花



始まりの鐘の音、それは絶望の音に聞こえた。







【歴史Ⅰ】

二章 : 国のはじまり (前聖期〜聖期設立)


はい、じゃあ今日の授業はここからな。


えーと、むかーし昔 oh〜 昔。

人間は悪魔の存在に苦しんでおりました。

終わりない戦いの中で国は興り、滅びを繰り返すこと幾数回。

おー、ここの年表テストに出すぞー、覚えとけー。

人々はいつ悪魔に淘汰されるかという瀬戸際にまで追い詰められておりました。


次ページ行くぞー。

はい、そんな中、いい国作ろうと立ち上がったのが初代の聖王。

三凶と呼ばれる陸海空の悪魔を倒してこの国を立ち上げました。

はい、ここ超基本。合戦の名称と悪魔の名前に線引いとけー。


えー、命懸けの奮闘により、人間界は悪魔に占領されることなく済みました。

というね、偉人の努力あって今の我々がある訳です。感謝、感激、雨あられだ。

はい、次のページ、飛ばして次のページ。



三章 : 国と悪魔の関係 (新聖期〜現代)


はい、国設立。

しかし戦いは続き、聖王没。

二代目聖王は食糧・流通改革を行い……

三代目は経済成長を促進させた。

ここまでは要チェックだ。後は十代くらいまで特に変わり映えしないが各自見ておけな。


で、十一代目は教育革命、この学校も作りました。

はい、飛ばして……現在。

二十五代目に至るまでこの国はだいたい平和です。




「はい、二章目終了。ここまでで質問あるやつー」


鼻筋を滑ってくる眼鏡を直しながら白衣の教師はだるそうに肩を叩きながら教室を見渡した。


「…………」

呆気に取られる生徒たち。


そんな中、生徒の一人、黒髪を長く伸ばした少女が、挙手をしつつも指名を待たずに教師に苦言を呈した。


「雨宮先生、授業の進行スピードが異常です」

「大丈夫 大丈夫。俺のマイペースがちょっとだけハイペースなだけだ。付いて来い」


雨宮先生と呼ばれた教師はそう答えると質問終了とばかりに教科書に目を落とす。

しかし黒髪の女生徒はすかさ挙手をし、またしても指名される間もなく意見を述べる。


「いえ、異常です。始業から五分でこの分量、しかも解説もないまま覚えろなんて、教育上問題があると思います」


「まったく問題ありません、先生の先生もそれはすごい速さで教科書をめくらせたものです。そのおかげで俺も先生になれたので、本人にやる気があれば大丈夫だと思います」


雨宮はしんどそうに伸びをしながら言い訳まがいの回答を吐く。

質問をした黒髪の女生徒は雨宮の適当な態度にわなわなと顔を歪め、始業式に配布されていた年間授業スケジュールを鷲掴んで立ち上がる。


「学園長に相談してきます」

「えーと木尾、待て木尾っ! アンナ! ちょっと待て、いや待ってくれ。先生が間違いました。やり直すから今のなかったことにしてー」


プライドの欠片もない教師の手のひら返しに生徒たちからくすくすと笑い声が漏れる。



ここは国立退魔学園、魔徐科一年生の教室。

魔徐科とは、自らに備わる魔法により魔を撃退する術を習得する学科で、今年は十人に満たない少人数でスタートを切った。


始業からまだ一週間。

新入生もよそよそしい雰囲気で授業を受ける時期だというのに、その初々しさを大人のだらしなさで上手いこと相殺させ、早々に今の教室の雰囲気を作ったのは、魔徐科一年の担任、雨宮ナイト。

自称、流水の騎士。だそうだが、ボサ頭、無精髭、よれTの三種の神器を携えた彼が言うと自傷の蔑称にしか聞こえない。


「じゃあご指摘頂いた木尾 アンナ。二章の始めからやり直すから、このページ全部読めー」


指名されたアンナはすっと立ち上がり、きっとした目で教師を睨む。


「先生パワハラです」

「ちがーう、出る杭を打っているだけだ」


そしてまた教室が笑った。



あの空席を除いて。






<<


私は廊下を走っていた。

新品のスカートの裾が膝に当たる感触を少し不快に思いながら、知っているような道をひた走る。

……が、

そのうち、見える景色にどうしようもなく見覚えを感じなくなってしまった。

途方に暮れた私は「はぁ」と息を吐いて廊下の屋根を見上げる。


「迷っちゃった。どうしよう、迷っちゃった……」


私の声に応えてくれる人は誰もいない。

ただ鳥がピチチと鳴いて青い空に飛び立っていくだけ。

しーんとした静寂に私はまた不安になって衝動に駆られたように走り出す。


「魔徐科はどこーぉ」


どこぉー


こぉー



ここ国立退魔学園は、国唯一の退魔師養成校だけあってとにかく広くて大きい。

私が親に入学を反対される理由が、資金・学力問題ではなく、

「あんたあがん大きい学校行ったら迷うやろうもん」

と言って反対されるくらい方向感覚に自信が無い。


たしかに先天的迷子体質の私にとって、この学園の敷地面積と施設数は大きな障害であった。

しかし、ここ国立退魔学園は国立だけあって学費が安く各種奨学金も豊富。さらに進学就職の道もあるため、資金面にとても配慮の行き届いた学園なのだ。

私の家は決して貧しいという訳ではないのだが、何と言えばいいのか、経済的自立するのがカッコイイ! と思う時期でもあり、あんまり両親にお金で迷惑をかけたくなかった年頃なのだ。


かくして私は親の反対と心配を押し切り、この学園への入学を決意した。


そんなこんなで入学することができた私。

入学初日から仲良くなった黒髪美少女の木尾 アンナに連れられ、今まで無事に就学することができていた。

そして今日。

慣れの中弛みとでも言うのだろうか、うっかり寝坊してしまいアンナに置いて行かれてしまって初の単独登校となってしまった。

この一週間みっちり体に覚え込ませた寮から教への道程も一人になった途端ふうっとどこかに消えてしまった。


そして案の定迷子だ。


最初は大丈夫と自分を鼓舞してそれっぽい道を辿ってみたが、今や魔徐科の教室どころか、どんどん進むうちに道を尋ねる人にも会えなくなった。


分かってはいたけど、こんなにもポンコツだなんて、もう自分が信じられない。

順当に行けば

レンガの廊下、渡り廊下、木の廊下、わーい教室!

となるのだが。

何故だろう、石の廊下は芝生に変わり、気がつけば、ほら、辺りはもう知らない世界だ。


「もう、ここ絶対知らない所だよ~」


遅刻や欠席が多いと退学。

入学式の時に担任の雨宮先生が言っていた。

分かってはいたが、こんなんじゃ三年間やっていける気がしない。


「退学……そんなの嫌だああ」


だああぁ


だぁー


ーー



私は叫び、爽やかな春風と並走しながらさらに深みへと嵌っていった。



「ここ、どこだろう」


気付けば……

いや、随分前から気がついてはいたのだ。

もう目的地に向かっていないと。


足の向くままに藪を突き抜けると、そこに見えたのは緑が生い茂る広い庭園だった。


アンナと一緒に見た学校の見取り図にもこんなところは無かっただろう。

もう戻れる気がしないと、私はその場にがっくりと膝を付いた。


「ああ、お母さんごめんなさい。私ここで野垂れ死に……えっ」


庭園で何か動いたような気がして私は顔を上げる。

私は庭の芝生にじっと目を凝らしてみた。すると何やら庭園の緑に混じってセクシーな大根みたいなものがあちこちで寝転んでいる。

しかもたくさん。


(あれは木精? なんで校内に……って、やっぱりもう校外なのか)


この退魔学校には調伏科という悪魔を使役する学科もあるため、敢えて魔除けの結界を張らないらしい。

しかし学園内で悪魔を見ることは稀だ。


(まぁ、こんな人気のないところならそりゃ居るわ)


彼らは危害を加えない限り人を襲うということはないという。

私はゆっくり来た道を戻ろうと、そろりと立ち上がり、そおっと振り返った時だった。


「うぉっ! あー、ごめん」


七草の大根くらいの小さい木精がいることに気付かず、私は振り返った爪先で木精を蹴飛ばしてしまった。

七草大根は芝生をてんてんころりと転がって、最初は何が起こったの? という目で私を見ていた。だが、徐々に痛みが襲ってきたのか、七草大根は地面に寝そべったまま痛そうに顔を歪めていく。


「ごめん、ごめんね。お願いだから泣かないでぇー」


私は小さな木精に必死に謝ったが、私が謝るほど七草大根の顔はみるみる涙ぐんでいく。


「ムウゥ、ムゥうーリィィ!」

「はあぁ、まずい!」


振り返ると子供の泣き声に反応した大人の木精達がこちらを見ていた。

そして私が子供を襲ったと認識したのか、彼らは一斉に牙を剥き私に向かってくる。


「レェーチカァァ!」

「や、やめて……う、わっ!」


逃げようとした私の背中に聖護院大根みたいに丸々とした木精が突進してきた。

倒れた私の肩を押さえ付けるように細長い守口大根のような木精が先細った腕を突き刺さしてくる。


「シュッ、ラデシュっ!」

「痛い、いっ、いやああっ!」


深々と食い込む木精の腕。私は痛さと恐怖に声にならない声を上げる。

ばたばたと腕を振り払い木精をどかそうとしたが、抵抗しようとすればするほど木精たちが集まってくる。


(でもなんとかしなきゃ、このままじゃ殺される)


どうすれば、そう思ったとき数日前に受けた退魔実技の授業で退魔の魔法を習った事を思い出した。

魔除けくらいの効能だったが、今はもうこれに賭けるしかない。

私は覚えたての呪文を頭に思い浮かべ、諳んじた。


「かごめ かごめ かごのとり!」

「ラディッ!」


私が呪文を叫ぶと目の前にいた二十日大根くらいの小さな木精がペタンと尻もちを付いた。

しかし、二十日大根はすぐに立ち上がり、私の顔に渾身の体当たりで反撃してきた。


(失敗しちゃった!)


まだ一回しか授業をしていないのだから習った呪文は初歩の初歩。それに、まだ理解もしていない呪文が失敗するのは当然だった。

しかし私が魔法を使った事実に危機感を募らせた木精たちは、目の色を変えて私を攻撃し始めた。


「シュシュッシュッ!」

「オオォーネエエ!」


止まらない木精たちの攻撃、私は抵抗する力もなく、だんだんと身体が重たくなる。

体に激痛を感じながら、肩や背中からどくどくと血が脈打って流れ出て行くのを感じていた。


(私の人生、こんなところでお終いなのかな)


呆気なく予想外で、悔しくて。

閉じた目から悔しくて寂しい涙が溢れた。


「ルゥォヴォぉお!」

地面に擦り付けた耳に、どしん、どしん、と桜島大根の足音が聞こえる……


『…おやめなさい』


そっと、騒がしい耳を撫でるような静かな声が聞こえた。

都合のいい空耳かと思ったが、木精たちも「ム?」とその声に反応している。

やがて木精の一匹が「ムッ!?」と鳴くとその声に従うように木精達は「ム! ムッ!」と慌てるように一斉に私から離れていった。


「はあ、はあ………えっ?」


何が、起こったのだろう。

木精たちは隠れるように土に溶け、やがて庭園には何もいなくなってしまった。


声の主を探そうと辺りを見たが、誰もいない。


「誰、ですか?」


私の声に誰も返事を返さない。


「誰?」


あれは、綺麗な女の人のような声だった。

どんな人だろう。

興味に駆られた私は、血が流れる肩を押さえて軋む身体を立ち上がらせた。


私は足を引き摺りながら庭園の中へと踏み込んでいく。


庭園の角を曲がると、そこには石造りの小さな教会のような建物があった。


「…あそこにいるのかな」


随分年季の入った教会らしく、風化され壁が所々ごっそりと剥げ落ちている。

近くに表札や看板も何もないし、重そうな木製の扉ももうボロボロになっていた。


完全に廃屋のようだが、人が居るとしたらここしかない。

私は取手も腐食したボロボロの扉を全身で押した。

チクッと手のひらに痛みを感じて、見ると手のひら木のささくれがいっぱい刺さっている。

普段ならこれだけで泣いてしまいそうになるが、これくらい今は些細な怪我だ。

私は痛みも気にせずに中に入る。


「……わあっ」


そこは空気が違った。

剥がれかけた白壁の建物の中、そこにあるのはたった一つの講壇だけ、しかし、がらんどうな教会の奥の壁は一面が透明なガラス張りで、その中央に色ガラスで珍しい形の十字架が表されていた。

百合十字に鋭利な先端の十字が重なった初めて見る十字架。

廃墟にあって曇りなく透き通る総玻璃の壁に荘厳さを感じ、私はその美しさに魅せられたようにざらついた白い床を一歩奥へと進む。


「誰か……いませんか」


空間に響く自分の声に返す声は無い。

ある程度進むと、ガラスの十字架の中心には雀蜂の巣のような琥珀色の塊が付着しているのが分かった。

しかしそれが美しさを損ねるわけでなく、むしろ神秘さを感じるほど装飾に馴染んでいる。


私は十字架に見とれながら、その下に置かれた講壇の裏まで覗いてみた。

が、やはり人はいない。


「誰もいない、かぁ」


落胆と痛みに疲れきった私はその場に座り込む。

そして十字架に向かって指を組むと、私は姿のない誰かに感謝の祈りを捧げた。


「誰かは分からないけど、助けてくれてありがとうございました」

『いいえ、どういたしまして』

「……は?」


急にあの声が聞こえて、私ははっと顔を上げた。

しかし探して辺りを見渡しても声の主となるような人は誰もいない。


「ど、どこに居るの? 私、あなたにお礼を言いたいの。姿を見せてくれませんか?」

『うふふ、それはまぁ律儀なこと。よろしいですよ、少々お待ちください」


降ってくる上品な声は教会内に反響して出所が掴めない。どこから現れるのかと待っていると、上の方からピシピシと家鳴りのように軋む音がした。


振り仰ぐと、十字架の中央にある琥珀色の蜂の巣にヒビが入っていく。


(え、私を助けたのは蜂?)


なんて思っていたら、それは突然発芽した。

芽から棘のある枝葉を伸ばし、毒々しい色の葉を纏った茨は瞬く間にガラスの壁を埋め尽くす。


「な、なに?」


堰を切ったように溢れ出す茨の滝。私は逃げることも忘れてその光景に見入っていた。

やがて茨は琥珀色の塊があった場所に巨大な蕾を付け、ゆっくりと甘い香りと共に血のように濃い赤を咲かせた。


『ううーっん、寝過ぎましたわ』


血のように濃く鮮やかな花弁、あらゆる毒を湛える暗い花蕊、万葉を纏う悪魔は気持ち良さそうに茨を伸ばした。

この悪魔はきっと誰もが知っている。これは、植物系最上級の悪魔……


「せ、鮮花」


真紅の薔薇の形をした悪魔は艶やかに八重の花弁を開くと、濃く甘い香りを振りまきながら優雅に咲き誇った。


『はい、私、万毒の鮮花 ベトニアチェルと申します』

「べ、ベト? 万っ、ええっ!」


万毒の鮮花 ベトニアチェルといえば、かつて千年前の大戦で国一つを滅ぼしたと言われる鮮花の代名詞ではないか。


『ベトニアチェルです』

「し、知ってるよっ!」


私が名前を呼べなかったから再度名乗ってくれたのだろう。

確かに複雑な名前だが、そうではないのだ。

最上級なだけならまだしも、その中でも最凶の個体と名乗るものが現れたのだ。ろれつが回らなくなるのも当然だろう。


『まあ、お若いのにご存じでしたか。悪名はいつまで経っても憚りますね』


ベトニアチェルは『やだやだ』と言いながらゆっくりと花を降ろしてきた。

私は逃げようとしたが、身体が恐怖に固まってしまっている。


(ああ、どうしよう)


現状を脱しようと対策を考えるが、そんなものこの状況に何一つありはしなかった。

ただ一つ、この悪魔は毒を使うと咄嗟に思い出し大きく息を吸うと呼吸を止めた。

それくらいしか私に出来ることはなかった。


『あら、しかめっ面されて、傷が痛みますの?』


巨大な花がゆっくり私の方に近づいてくる。


「ぷは、違うよ、あなたの毒を吸わないように息を止めてるの」

『まあ、素直ですのね。ですが粗相は致しませんので、どうぞお気を楽になさってください』


ベトニアチェルはまるで笑うかのように花弁を揺らした。その様子に、私は何故か気が抜けた。というか、なんだか安心してしまった。


「なら、いっか。はぁ、空気が美味し……わぁ、いい匂い」


毒々しい見た目に反してなんて優しく甘い香り!

私が何度も深呼吸をしていると、不思議なものでも見るようにベトニアチェルが私を覗き込んできた。


『あらあら、本当に楽にされて。可愛い方』

「うん。私、あなたの匂い好きだなぁ」

『まあっ』


毒々しい赤にぽっと朱が増したベトニアチェル。

深呼吸に夢中になっていた私は、ふと当初の目的を思い出し居住まいを正す。


「そうだ、あの、ベトニアチェル……さん。さっきは木精から助けてくれて、ありがとう」

『何度もご丁寧に。私こそ、起こしていただいて感謝しておりますわ』

「あ、いえ、私は何も」


身を引きながら謙遜する私に鮮花がすうっと花弁を寄せてきた。


『本当に純粋で可愛いらしい。私あなたに興味が湧いてきました』

「え、興味……ですか?」


ベトニアチェルはずるりと茨を這わせて私に近寄ってくる。


『ええ。近ごろコソコソとして騒々しい輩が居ると感じておりましたが、いらっしゃったのがこんな純粋無垢な学生さんだったなんて』

「……はあ」


何かを見極めるような様子で私の周りをぐるぐると取り囲むベトニアチェル。

何の話かは分からないが、とりあえず相槌を打ってみる。


『かの王が張った結界を破って私を解き放ち、その礼に一体何を望むのかと……戦争?』

「せ、戦争?」

『ふふ、じゃあ怨敵の毒殺とか? そういうの得意ですよ、私』


結界を破るとか戦争とか、一切身に覚えのない話だが、彼女(?)の言葉節から、私は何かとんでもないことをやらかした気がした。


「あの、そういうアレじゃなくて。私、単純に迷子で……助けてくれた、お礼がしたくて――」


ベトニアチェルは私の言葉に嬉しそうに花を振って歓喜を表した。


『本当に? まあ! 木精を払っただけで私を八百年の呪縛から解放してくれたんですか? まるでおとぎ話のようですね!』

「花粉! やめて、花粉がっごほっ」


甘い匂いの花粉を振り撒かれて咽せ返る私に彼女は『あら、失礼』と可愛らしく言って揺れるのをやめた。

私は鼻をムズムズさせながら、危険な眠り姫を起こしてしまったと



「くしゅん、はぁ。あのね、私、教室に行こうとしてたらこの庭園に迷い込んだだけなの」

『……しかしこの教会の封印は、かの聖教王が千人の犠牲と共に施したものですし、えっ、本当に迷子?』


私は千人の犠牲を不意にしたのか……

しでかした事の重大さも、重すぎて最早他人事のようだ。この期に及んで本当に迷子だと主張すると封印した人達に申し訳ない気がしたので、彼女の問いに私はただ頷いた。


「うん」

『まあ、本当に。それはお気の毒ですね』


意外なことに、憐れみを滲ませた声でベトニアチェルは私を慰めた。


「本当にそう思ってる?」

『ええ、私が同じ境遇なら辛いですもの。例えばうっかりして初代聖教王を復活させてしまったとか……ああ、いっそ散ります』


ベトニアチェルは本当に想像したのか、花弁を大きく震わせて少し萎れた。

私はもう感性が壊れてしまったのだろう、親身に同情してくれた悪魔に親しみが湧いてしまった。


『では、最近この辺りをうろついていたのはどなただったのでしょう』

「知らないよ。私が来たときは木精以外に誰もいなかったし。ねぇ、それより私どうしたらいいと思う?」

『うーん、あら、そういえばあなた、自己紹介がまだですよ。悪魔に相談を持ち掛けるときは、まず身分を証明しなくては』


ベトニアチェルは伸ばした荊を指のようにちっちと振って見せる。

もっともな言葉に私は痛む背中をのばして正座をした。


「初めまして、私は花枝 マリア。この国立退魔学園の魔徐科一年生です」

『魔徐科、魔法使いには随分頭を悩ませましたわ。属性は?』

「うーん……火を少々」


言っている間にベトニアチェルがあからさまに身を引いてみせた。


『あら嫌だ、私の苦手分野じゃないですか』

「うん、ごめんね」

『いえ、仕方ないことです。気にしませんわ』


ベトニアチェルはそう言うとすすすと花を寄せてきて、私の前で背筋を伸ばすようにして堂々と花を開く。


『私の事はご存知でしょうが、改めて。万毒の鮮花 ベトニアチェルです。長い眠りから解き放ってくださったこと、改めてお礼申し上げますわ』


ベトニアチェルは自己紹介と共に優雅に礼をする。その動作は悪魔のくせにとても綺麗で、私は「おー」と感嘆をもらしながら拍手をした。


悪魔と挨拶なんて、すごく退魔学園っぽい。

何か新鮮だなぁと一人で嬉しさに浸っていると、ベトニアチェルが『さて、』と話を切り出した。


『マリア、本題に戻りましょう。今後の事です』

「ああ、はい!」

『私せっかく起こして頂いたのですから二度と封印されるのは御免です。かといって、辺鄙な森に逃げ込んだり、こんな日陰に黙って咲き続けるつもりもありません』


ベトニアチェルの意見に私は「はぁ」と頷いた。

すると彼女はしおらしく上目遣い(?)をするように花を傾ける。


『私、ここから出て陽の当たる場所で活き活きと生きたいのですが。マリアはどう思いますか?』

「えっと、いいんじゃない? あなたが伸びやかにひっそり暮らしてくれれば、私は知らないふりでも……」

『あ、無理でしょうね。私、派手好きですし、黙っていても華やかで人目を惹きますから』


ベトニアチェルは優雅に踏ん反ってキラキラの花粉を辺りに散らした。

うん、まばゆい。


本人がこんな様子なら伝説の万毒の鮮花を世に放つのは世界平和のためにならない。

それは今、何となく分かった。

しかし相手は大戦の三大悪に数えられる万毒の鮮花 ベトニアチェル。

ここで知らない振りをする以外、私に取れる手段はないだろう。

それは彼女も分かっていると思うのだが、彼女は何かを考えるようにうーんと花を傾げて悩んでいる。


『あなたが知らんぷりしてくれても、今の聖王が私に気付けばまた私を封印しようとするでしょう。それこそまた千人の犠牲を出して……』

「やっぱりそうなるのかな」

『ええ、おそらく。たぶん犠牲になるのはこの学園の生徒でしょうね』

「えー、そんなまさかぁ」

『まさかぁ、じゃないですよ。私、自分の価値くらい存じてますもの』


自分を理解している大人の自信。堂々として素晴らしいが、いやいや、そんな現実的な試算をされたら余計外に出せる訳がない。


「でも、いくら聖王様でもそんな封印できないよ。そんなことしたら現代じゃ大問題になる」

『現代、ですか。たしかに八百年も経てば魔法技術も向上しているのでしょうし、今はそんな無駄な犠牲は払わなくても良いのかもしれませんね。ですが、私の封印を解いて無罪放免というほど優しい社会になった訳ではないのでしょう?』

「それは、分からないよ。封印なんて無かったし…

…」


とは言ったものの、その言い分で許される事態でもないのは分かっている。


(私、この先どうなるんだろう)


お先真っ暗な未来予測に私が肩を落としていると、私の肩をそっと艶やかな葉っぱが撫でてきた。


『マリア、どうか元気を出して。私、昔なら人間がどうなろうとあまり気にしなかったのですが、なんだか、あなたが私のせいで辛い目に遭うのは、嫌だと思うのです』


悪魔って冷酷で残酷なものだと思っていた。

特に万毒の鮮花の伝説は、それは暴虐邪智に富んだ身も凍るほどの悲惨なお話ばかりなのだが、目の前にいる彼女は本当にあの伝説の鮮花かと問いたくなるほど品があって優しく、義理堅い。

それが本当かどうかは分からないが、少なくとも今は建前でなく本心から私を案じてくれていると思う。

私は肩に添えられた照り葉を握る。


「ありがとう、ベトニアチェルってあくまでなのに優しいね」

『以前はご存知の通り、身も心も尖っていましたのよ。少し寝過ぎて丸くなったのでしょうか、まさか、うどんこ病……はっ、根腐れとかしてませんよね』


そう心配そうに呟きながらベトニアチェルは葉の裏から茨の棘まで確認し始める。

視界いっぱいの茨がうごうご蠢く様はグロテスク。しかしどうしてだろう、私にはそれがスカートの裾を気にして慌てる女子みたいに見えてきた。


(なんか女の子の友達が出来たみたいで嬉しいな)


「大丈夫、ベトニアチェルは葉っぱもお花も綺麗だよ。優しくなったのも大人になったってことじゃない? きっとたくさん寝て生長したんだよ」

『そ、そうですか? あなたがそう言ってくれるなら大丈夫な気がしてきました。ふふ、あなたって素敵な解釈をしてくださるのね』


ベトニアチェルの茨が落ち着いて、私もふうっと息を吐いて彼女の茨にもたれかかる。

きっと彼女はどうこう言いながら上手く活きていける気がする。なんと言っても伝説の悪魔だし。

でも私は、どうなってしまうのだろう。


「はぁ、私、この後どうすればいいかなぁ」


どうすればいいかなんて口にしているが、私はもう今後を真面目に考える気力はなく、ベトニアチェルの蔓を弄りながらぼーっとしていた。

と、その時、弄っていた蔓が突然私の手に絡みついてきた。


『そうだ! マリア、転科なさいな!』


ベトニアチェルは良いことを思いついたと言わんばかりの声音で花を弾ませた。


「えっ、転科? 何で? 何科に?」

『使役科……隷属科? みたいな、確かありますよね、そんな学科』

「うん、あるよ。調伏科。でもどうして? 転科したら何か解決するの?」


ベトニアチェルの意図することが分からない。

彼女はほらほらと言わんばかりに花弁を開き、嬉しそうに自身を強調した。


『私がいるじゃないですか』

「え、ベトニアチェルを……使役? 私が?」

『ベートで結構ですよ、マリア。差し支えなければ私が一生あなたに憑いていてさしあげます』


名案を閃いたベトニアチェルはうきうきと踊るように荊をくねらせる。

確かに契約によって使役される魔物は基本的に人間側と位置づけされる。そうすれば私はここで死なず、ベトニアチェルは封印されない……かもしれない。

それが私たちにとって最善の案であることは私にも分かるのだが。


「そんな、一生なんて」

『人間の生涯など短い短い。あなたが死んだら私は地獄の実家にでも帰って悠悠自適な生活に戻りますし』

「そう言って、私のこと早々に取り殺すつもりでしょ」

『いえいえ、そんなまさか。うふふ』


笑ってぼかした返事に疑いしかない。

ベトニアチェルは揺れながらぽぽんと小さなバラを量産し、教会中を真っ赤なお花畑に染め上げる。

私の気持ちも知らないで、この悪魔は実に楽しそうだ。


「ねえ、ちょっと楽しんでるでしょう」

『ええ、とても。だってこんな寝耳に水なおとぎ話、楽しくってしょうがないと思いません?』

「おとぎ話って……まあ、そうだね」


そうだ、ベトニアチェルにとって今は寝起きなのだった。八百年の起き抜けにこんなに元気とは、なんて高血圧な悪魔だ。


悪意のかけらもなさそうな様子だが、きっと、この悪魔は悪魔らしく私と契約して、悪魔らしく私を速攻乗っ取り殺し、挙句の果てに魂まで要求するのかもしれない。

まあ今すぐ殺されてもおかしくないんだし、彼女が平和的解決を望むなら。と、私もちょっと投げやりに契約を促した。


「いいよ、私もあなたと末長くよろしくお願いしたいです」

『はい。では、汝、花枝 マリアは、私、万毒の鮮花 ベトニアチェルの主人として、生涯付き従わせること。私、ベトニアチェルは、花枝 マリアに生涯付き添い、その命に従い、敵対する全てから保護することを誓いましょう』


唐突に契約内容が列挙され、私は慌てて身を起こす。

そしてベトニアチェルが言った内容を咀嚼し、整理し、理解して、驚いた。


「えっ、それじゃ対等じゃないよ。いいの?」

『助けてもらった恩と、この昂揚感に比すればこれでも安い対価です。何なら一国の長の座をお約束、なんてオプション付けてもらっても構わないですよ』

「いや、そういうのはいいよ」


凡人には重すぎる契約内容をどんどん乗っけてくるベトニアチェル。どういうつもりか知らないけど、彼女はるんるんとどこまでも楽しそうだ。

それもそうか、だってこれから血みどろ薔薇色の生活が待っているのだろうから。


「あのさ、人は傷付けないとか出来る? 私人から恨まれたくないし、そもそも流血沙汰とかダメだから」

『えーっ、まあ仕方ないですね』

「あと私、あなたを従えるとか出来ないよ。ベートとは友達になりたい」

『……さらに軽くなりましたけれど?』

「ううん、主従より友達の方がずっと難しいよ。私はそう思う」


ベトニアチェルは花弁を傾けて疑問を示すが『まあ、あなたがそれで良いのなら』と追加の内容を了承してくれた。


『じゃあ、話はまとまりましたね。ちょっとこっちにいらして下さい。ほらハグしましょう』

「えっ、ハグってそんな、ひぃー!」


じりじり後退する私のことを追い詰めるようにベトニアチェルが迫ってくる。

にじり寄るベトニアチェル、私は床に押し倒され、女子憧れの床ドンのような態勢になっている。しかし背けた顔の先には鋭い棘。これは、ときめきどころか戸惑いと恐怖しか感じない!


『恐かったら目を瞑って頂いても良いのですよ、血も少し拝借しますねー。はーい、ちくっとしますよ』


採血前の看護婦さんみたいなことを言っているが、鋭い茨が迫るこの光景は注射針の比ではない。

契約前に殺すとか、新手の契約詐欺だ。


「ひ、いゃぁぁ……あ?」


と思っていたら何だか暖かいものに抱かれている感覚に力む体が緩んでいく。

目の前は、うん、結構グロテスクな光景。

だけど棘が私を刺すことも無く、絞め殺されるわけでもなく、木精に襲われた傷の痛みもいつしか忘れて、私はベトニアチェルの柔らかく滑らかな花弁に身を委ねていた。


『はい、契約完了。マリア、起きてください』

「あ、えっ、全然痛くなかったよ。なんか気持ちよかった」

『まぁそんな初心な感想、ドキドキします。お望みなら今晩も……』

「うわ、貞操の危機。ってあれ。わー、本当に契約したんだね」


身構えた左手の甲に真っ赤な薔薇の印が浮いていた。重たかった体も痛みは消えて今は軽い。


『はい、じゃあ学校に行って転科届、出しに行きましょう』

「うん、でも転科かぁ。できるかなぁ」

『その時は話し合い……ですね』


彼女は先生と事を構える気だ。

しかし、問題は他にもある。私は伸び伸びと枝葉を繁らせたベトニアチェルを見る。彼女の花径は私の身長ほど、このサイズの花が動き回ったらさぞ目立つだろう。


「あとさ、ちょっとベート大きすぎない? その大きさで教室に入るかなぁ」

『大きさについては、私とっても器用ですから、窮屈ですけど掌サイズくらいになら縮んだことありますよ』

「ああ、それは助かる。よく縮もうと思ったね」

『うふふ、昔は隠密に駆り出されたこともありまして』

「ああ、そうなの」


大戦ジョークはまだ私には荷が重すぎる。

ともあれベトニアチェルは私の肩に手? を置くと、しゅるしゅると収縮していく。

やがて肩に乗るくらいに縮むと、ベトニアチェルは私の耳の横で『よいしょ、よいしょ』と髪を手繰り寄せ、そのまま髪の毛に巻き付いた。


「おお! かわいい!」

『むぅ、綺麗と言ってくださいな!』

「ええっ、 かわいいよ?」

『嫌です! 私は綺麗なんですぅ〜うぅんうぅん』


かわいいと言われても嬉しいだろうに、ベトニアチェルは拗ねたように訂正を求め、綺麗と言われることに拘った。

私はぷるぷると花を振ってむずがる小さいベトニアチェルを指で撫でながら、やっぱりかわいいと思って笑ってしまう。


「うん綺麗、素敵。さて、じゃあ頑張って帰るぞお………って。私、帰れるかな?」

『ああ、そういえばマリアは迷子でしたね。まぁ、これからは私が道案内してあげられますから安心して下さい』

「何から何まですみません。よろしくお願いします」

『いいえ、お気になさらず』


そして私たちは教会を出た。


久しぶりの外と日光に狂喜乱舞するベトニアチェルと、もう迷わないという気分にテンションが上がる私の鼻歌が昼の森にこだましていった。

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