第4話・とりあえず、名指揮者を探してみた

 清里さんが帰って、公民館の片付けをしている最中、青沼先生が思い出したように声を発した。

「大事なコト、忘れていた! 指揮者がいない!」

 公民館の床をホウキで掃いていた牧村が言った。

「えっ、指揮は青沼先生がやってくれるんじゃ……いつもの定期演奏の時のように」

「ムリムリムリ! 学校の演奏会とは規模が違う……あたし、あがり症だから。高校時代に所属していた吹奏楽部の県大会演奏会で、緊張しすぎて担当しているパーカッションで見事にコケて、雑音で会場全体を沈黙させた女だから……ムリムリムリ」

「今さらそんな、ドジっ子歴史聞かされても……でも、そうなると指揮は誰に?」

 持参したペットボトルのお茶を飲んでいた、羽黒さんが言った。

「指揮者なら一人、心当たりがあるが。引退した年金暮らしの頑固指揮者で、引き受けてくれるかはわからないが……どうする? わたしから事情を説明して頼んでみるかい?」

 スマホの画面を見てゲームをしている野辺山を除いた、三人がうなづいた。


 後日──気難しそうな顔をした、老指揮者『八千穂 星爾せいじ』が大きな旅行バックを持ってやって来た。

 学校の応接室に羽黒さんに案内されてやって来た、八千穂 星璽の名前を聞いた瞬間、青沼先生は驚き硬直した。

「まさか、あの名指揮者の八千穂 星璽が……」


 旅行バックを床に置いた八千穂は、応接室にいた。青沼先生、牧村 南、野辺山 夜空の三人を一瞥いちべつしてから羽黒さんに向かって言った。

「まったく、おまえは昔からムチャな頼みごとをしてくるな……無償で指揮をしろとはな、しかもこんな一時間に二本くらいしか電車が通っていない田舎で、世界の八千穂 星璽が指揮をか……旧友の頼みだから、旅行のつもりでしかたなく来てやったが」

 八千穂の田舎を見下しているような横風な態度に、野辺山はムッとする。


 八千穂が青沼先生に言った。

「ちょっと、奏者リストを見せてみろ」

 渡された参加者リストを見ていた、八千穂が言った。

「清里だと? あんたたち、この男がどんな男か知らないまま参加させているのか……演奏会の疫病神だぞ、この男が関わったコンサートはアクシデントが続発して悲惨な結果になる、この男が参加しているなら儂は指揮棒は振らん!」

 八千穂の言葉に愕然とする牧村。

「そんな……」


 それまで、黙って八千穂の言葉を聞いていた野辺山が、一歩踏み出して八千穂に強い口調で言った。

「有名な指揮者だか、なんだか知らないけれど。この高原コンサートの主旨を理解して、来たんじゃないのかよ」

 名指揮者に、真剣な眼差しを向けて、堂々と言ってきた男子高校生を睨みつける八千穂。

「なんだと!」

 野辺山は、臆するコトなく言葉を続ける。

「参加してくれるために集まってくれた楽器演奏者は、なんらかの被災から、立ち上がって復活してきた人たちだろ……もう、大きなアクシデントなんて体験済みなんだよ。

そこから未来に向けて励ましや夢を、演奏で発信しようとしているじゃないか……あんたみたいに過去の栄光にしがみついて前を見ない人と違うんだ」

 祖父と孫ほども年齢が離れた名指揮者と、男子高校生が真剣に睨み合う。

 青沼先生は、オドオドしている。


 八千穂が吐き捨てるように言った。

「不愉快だ、予約している民宿に一泊したら、朝一番の電車で帰る! とんだムダ足だったな」

 八千穂の怒りの足音が遠ざかり、羽黒さんは。

「やれやれ、昔はあんなんじゃなかったんだがな……一年前に奥さんを亡くしてから変わってしまった」

 そう言って肩をすくめた。


 ところが、翌日──帰ったと思われていた、八千穂が羽黒さんと一緒に学校に現れた。

 応接室で、昨日と同じメンバーが集まった中で、八千穂と野辺山が対峙する。

 青沼先生が、オドオドしていると。意外なコトに八千穂が野辺山に頭を下げて言った。

「昨日はすまなかった、儂に指揮棒を振らせてくれ……頼む」

 昨日とは一変した、八千穂の物腰に青沼先生と牧村は驚く。

 頭を下げている八千穂に代わって、羽黒さんが言った。

「昨夜、夢の中で亡くなった奥さんが夢枕に出てきたそうだ」

 羽黒さんの説明だと、八千穂の奥さんは一年前──山火事で逃げ遅れた子鹿を助けた際に、倒れてきた燃え盛る大木の下敷きになって。

 病院に運ばれ、三日後に息を引きとったらしい。

 八千穂が重い口を開く。

「重度の火傷を負った妻が、病室のベットで儂の手を弱々しく握った妻の手の感触は今でも忘れられない……その亡くなった妻が夢枕に現れて、儂にこう言った

『あの子、あなたの若い時に、そっくり堂々としている……あなたも片意地を張らないで、人には優しくしてあげてくださいね』と、そこで目が覚めた」

 八千穂は、再度頭を下げる。

「妻が亡くなってから、儂は少し心が荒んでいた、これは妻が儂に与えてくれた自分を変えるチャンスかも知れん……妻の一周忌に捧げるためにも、頼む! 儂に指揮棒を振らせてくれ!」

 野辺山 夜空が無言で、八千穂 星璽に広げた手を差し出し。

 老指揮者の歳月を重ねてきた熟練者の手と、未来を掴む高校生の若い手が握手で繋がった。

【指揮者】八千穂、決定。


 そして、野外コンサート当日がやってきた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る