第6話 最初の子供

 レイラは初めて、最初の子供について思いを巡らせた。最初の夫アレクセイはこのまま一緒に歳をとっても、レイラにとって愛が芽生えることのない人だった。政略結婚であったから、それは仕方がない事だと思っていた。

 だが、レイラのお腹に子供が宿った頃から、アレクセイは自分の国の方が格下に扱われている、と難癖をつけ始め、飲酒をするたびに荒れるようになり、そのうち、暴力を振るうようになった。レイラは幼い頃より、武芸に秀でていたが、妊婦の身であり、行動を共にするアレクセイからの暴力からは逃れる事が出来なかった。それでなくても帰国後からずっと、家庭教師について寝る間を惜しんで勉強し、帝王学も国際的なルールもマナーも学ばなくてはならなかった。さらに母の側で会議に参加し、決定を下すところを見続けた。母親の余命を考えると、悠長な事は言っていられない。睡眠不足な上に、叩き込まなければならない知識は膨大にあり、それを支えてくれるはずのアレクセイは気分次第でレイラを害しようとした。子供が生まれる前にアレクセイは交通事故で死んだ事になっている。


 産まれた子供はレイラと似ているホワイトブロンドだったが、瞳は薄いブルーだった。アレクセイの瞳が同じ色だった。レイラは産まれた子供を見た瞬間に吐き気をもよおした。このままでは積極的ではないにしろ、いつか殺してしまうかもしれないと、レイラは危機感を覚えた。

 今思えばレイラは妊娠、産後に伴う鬱状態だったのだろう。子供を引き離しておかなければ、と虚な頭で考えた。出産後、子供は亡くなった事にし、絶対に秘密を漏らさない人に、動けるようになるまで預けた。


 日本への留学は、レイラにとって身の危険のない初めての自由な時間だった。レイラに与えられた短い、自由な時間。ある程度の年齢が来たら、政略結婚が待っているのは知っていた。しかし、自由な時間があんなに早く終わってしまうとは、レイラは思ってもみなかった。そのほんの短いひと時の中で、一番嬉しかった事は透と出会えた事だった。いつでも近くに好きな人の笑顔がある事が、どれほど嬉しいことなのか、レイラは初めて知ったが、それはあまりにも短すぎた。

 レイラは衝動的だったとはいえ、拉致などと不味い事をしてしまったと、後から悔やんだ。透を拉致した時に想いを伝え、拉致した事を謝ったのだが、麻酔が効きすぎてほとんど意識のない透の耳には残っていなかっただろう。それでも、万が一、レイラが透を拉致した事が記憶に残っていたら、と考えると、連絡先を伝えることができなかった。

 

 産後一週間後、レイラは死んだ事になっている赤ん坊を抱えて、専用機に飛び乗ってなんとなく日本へ向かった。日本での思い出が、一番楽しかったからかもしれないし、日本は安全な国だと考えたのかもしれない。

 レイラは捨てる子供を抱えて、日本に着いて、どうしたら良いのかわからず、車でうろうろしていたが、結局、高校の前まで来てしまった。

 レイラは透に会いたいと思う反面、会えても抱えた子供について話したくはなかった上に、拉致してしまった事を覚えていたらどうしようと、という不安な気持ちから、自分に腹を立てると同時に泣けてきた。どのくらい校門の前でぼんやりしていたのか。いつの間にか細い雨が降り出した。

「もう帰国しなければいけません」

 護衛の容赦ない言葉に、レイラはハッとし、校門を出た横に、ベビーコットに入れた子供を置いた。降り出した雨に、護衛が傘を差し出した。レイラは傘をベビーコットに差し掛け、後も見ずに車に乗り込んだ。まさか、逢いたかった人がそれを拾うとは思いもよらずに。


 護衛の一人は、レイラを専用機まで送り届けると、レイラに無断で校門まで戻った。誰が拾うのか見届けようと思ったからだ。しかし、60分くらいしか経っていないにも関わらず、もうベビーコットはそこには無かった。仕方なく、護衛は専用機まで戻った。

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