第2話 夢から覚めて

 透はあまりよく寝付けないうちに、朝を迎えてしまった。プラチナブロンドの髪、紫の瞳、透き通る様な白い肌。あんなに印象的な人物を、思い出さずにいた事の方が不思議だった。透はあの時の気持ちを、今やっと自分の中で肯定できた。それは透にとって、初恋だった。レイラは、高校の時よりも輝くばかりに美しくなっている。

 あの、レイラが困っている。ついてきて欲しいとはどういう事だろう。青い花と夜の魔法なのだろうか。それとも、ただの夢か。思い出が見せた夢だとしたら、結構恥ずかしい夢だ……。昨夜の事が本当だとしても、夢だったとしても、と透は思い出し、一人赤くなった。


 リズミカルに扉がノックされた。

「透ちゃん、おはよう! 顔が赤いけど、熱でもあるのかな?」

制服に、リュックを背負った甥の匠が入ってきて、透の額に手を当てる。日常が戻ってきた。

 透は高2の時、生まれたばかりだった匠を学校の校門で拾った。


 透が高校二年のとある日、校門を出た横に深紅の傘が置いてあった。日が暮れた雨の中、コンクリの校門とは不釣り合いな深紅の傘は目立った。透は足を止めた。何かが弱々しく泣く声が聞こえたからだ。傘の下から聞こえて来たので、猫か犬かと思い、傘の下を覗き込んだ。

 弱々しく泣き声をあげていたのは、真っ白な髪に、薄い水色の瞳をした赤ん坊だった。赤ん坊なのに、髪が白いなんて、と思ってから透は生物の授業を思い出した。生まれつき色素の薄い生き物がいると言う話を。

 置かれてから時間が余り経っていないのか、赤ん坊の入ったベビーコットはまだ少ししか濡れていなかったが、このまま放っておけば、ずぶ濡れになるのは時間の問題だった。


 透は時計を眺め、15分ほど待ってみた。

 だが、親だと思われる人は現れない。透は、鞄からタオルを出して手を拭き、そっと赤ん坊に触れてみた。赤ん坊は人差指をしっかり握り、泣き止んだ。その指を口に持っていこうとする。無理に引きぬいて良いものか分からず、また泣き出されるのも困るので、されるがままにしておくと、お腹が空いているのか、赤ん坊は透の指を吸い始めた。赤ん坊と目があった。その刹那、訳のわからない衝動にかられ、タクシー会社に電話し呼んだ。

 迎えに来たタクシーの運転手が、驚いた顔で透を見ていたが、無言で傘とベビーコットを抱えて乗り込んだ。こんな所に置いておく訳にはいかない。慣れない手つきで、赤ん坊を抱っこする。首がくたっと後ろへ行ってしまうのを、慌てておさえる。ベビーコットから出された赤ん坊は、透に抱っこされても泣きもせず、大人しくしていた。

 透が拾ってきた赤ん坊を、同居していた姉夫婦が養子にした。透と年の離れた姉夫婦には子供がいない。透の姉、洋子の父である修は「実子が生まれたら、どうする?」と心配したが、洋子の夫、和人が「一緒に育てます」と答えた。透と洋子の母である菊は、一月前に流産したばかりで心身ともに弱っていた洋子が、赤ん坊を見て、自分が産んだ赤ん坊だと錯覚してしまったのではないかと思ったが、反対はしなかった。色々と手続きなどがあったが、実質的にはその日から、匠は透の甥になった。透は匠を、歳の離れた弟のように可愛がった。


 そして、アルビノである匠が私立静実学園中等部1年生になったタイミングで、養い親である洋子と和人が、匠は実子ではなく、拾い子だった事を本人に告げた。

 匠はショックを受けたようだったが、実の親は見つかっていないし、変わらず優しい両親と祖母、叔父に囲まれて暮らしている為、とりあえず、どう考えて良いのかわからず、この問題は棚上げする事にしたようだった。匠には、これから、合唱コンクールの地区予選大会と軽音コンテストが控えている。


 匠は、小学校から合唱をやっていて、去年から始まった合唱の推薦で静実学園中等部に入学した。現在、合唱部でただ一人の男子。ソプラノパート。黒いカラコンを入れ、度のきつい遮光眼鏡をかけ、髪を黒く染め、長い前髪で半分くらい目を隠して学校に通っている。

 静実学園は海外からの留学生も多く、個性を認める校風がある為、透が、静実学園は校則がないから、髪を染める必要も黒のカラコンも必要がないと、何度言い聞かせても、目立つのは嫌だと、髪を染めた。しかし、髪を染めていても、日光過敏症の匠は、日差しが強い時期は日傘をさして登校し、合唱部でたった1人の男子という事で、結局は目立ってしまっていた。匠の思惑とは外れて、目立ってしまってはいたが、楽しく通っているようだった。


 透は自分の額に手を当てている匠の顔を、まじまじと見た。何処となく、レイラに似ている気がすると気づいた途端に、透は余計に赤くなった。

「顔赤いよ。熱、測る? 看護師さん呼ぶ?」

匠が心配そうに聞いてきた。透は誤魔化すように質問した。

「それより、軽音のバンドの方はどうだ? うまくいってるか?」

「誰かさんのせいで、中学生なのに、高校のバンドで女装してボーカルなんてさ、有り得ないよね」

「匠は歌うの好きだろう? 軽音顧問の森先生にスカウトされて、うちの高校の実力ナンバーワンのバンド、One smile for allのボーカルになったんだから、良いじゃないか。女装していれば、掛け持ち禁止の合唱部には、ばれないだろうし。ばれた場合に備えて、学校の印を押した書付も用意したじゃないか」

 つい最近、匠が歌いながら帰宅しているところを、高等部の軽音顧問の森にスカウトされた。面白がった透の提案で、森を巻き込んで、匠は年齢と性別を偽り『くみ』という名前で、高校の軽音部で合唱部が休みの水曜だけ、バンドのボーカルをしている。

 One smile for allのボーカルだった直美は、親の転勤の為、転校してしまっていた為、森が代わりのボーカルを探していたのだ。森から紹介された途端に反発したメンバーも、匠の歌声に惹かれ、ボーカルとして迎え入れた。


「あ〜、はいはい、人ごとだと思って……歌うのは楽しいけどね」

 匠の生まれた年から考えると、レイラは当時、高校生だったはずだ。でも、高校生ならありえない話ではない。レイラはその年、婚約者と結婚するために帰国している。

(やはり似ている。でも、もし結婚相手との子供であれば、手元で育てているはず。やはり気のせいだろう。それに、昨日の事は夢かもしれない)

 透にとっては夢かと思うほど、昨夜の出来事は現実感が無かった。


「透ちゃん、俺、何か顔についてる? 深刻な顔してどうしたの? なんかまた顔色悪くなってきたみたいだけど、大丈夫?」

透は、つい、匠の顔を凝視してしまっていた。

「大丈夫だ。顔を見せてくれて、有難う。匠、そろそろ黒染めをやめて、黒のカラコンもやめたらどうだ? うちの学校は自由なんだし……。前髪も顔が見えるくらい短くしたらどうだ? せっかくの美形が台無しだぞ」

「それは、身内の欲目ってやつだよ。それに、いくら、透ちゃんに言われても、やだね」

「そうか……。もうそろそろ行かないと、遅刻するぞ」

匠はひらひらと手を振って、病室から出て行った。透は匠を自分が拾ってきた責任もあって、いまだに匠のいる実家で暮らしている。匠も透を兄のように慕っている。大変だから来なくて良い、と透が断っても、今朝も登校前に病院に寄ってくれる程だ。


 あれが夢だろうとなかろうと、レイラの為に何かしてあげたいと言う気持ちが、透にはあった。それが古い友情によるものか、初恋のためかは区別がつかなかった。

(父が急逝した後、二年かけて体制を作り上げたばかりの学校を放り出して行きたくない。そして、匠の事がある。この間、実子でない話をしたばかりで、ショックを受けている筈だ)

 透は、洋子や和人、菊と一緒に匠の成長ぶりを楽しみながら、見守り続けてきた。たとえ、一〜二年であったとしても、業績や人との関係、色々と築き上げてきたものが、レイラを手伝う事によって一時期であれ失われる。移り変わりの早い今、一〜二年は長い。透はレイラの依頼を、自分が今やっているような学校の改革に重ね合わせていた為、教育関連の改革の手伝いだと思っていた。抱き寄せしまったのは、思わず昔の感情が堰を切って溢れ出してしまった為と、あの青い花の香りのせいだと、自分に言い聞かせた。


 透はふと、思い出して、姉の洋子に、父の日記を持って来てもらう様、頼んだ。洋子は何か学校経営で気掛かりな事でもあるのかと、すぐに持って来た。流石に透が入院してすぐだったせいか、今日は幼稚園、小学、中学、高校、大学の長がお見舞いに来ただけだった。透は久しぶりに有り余った時間で、日記の中から、自分が入院していた時のページを探すことが出来た。修の四角張った字が几帳面に並んでいて読みやすい。


––透、体育でアキレス腱断裂、入院。ちょうど良いので、個室にしてもらい、学校経営について、教える事にする––––


––朝、様子を見にいくと、意識が朦朧としている。医者によると、薬物を打たれた跡があった様だ。しかし、病院ではその様な事はしていないと言う。窓の鍵が切り取られた後があった。すぐに、転院させた––––



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最初、匠一人が主役だったのですが、後から浮かんできた映像は主役が増えていました......かなり削ぎ落として書き直したので、機会があれば、スピンオフで切り落とした話を出してみたいと思います。

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