4-2 神々のガールズトーク

 荒ぶる乙女たちの会話は続いていた。


「ねぇ、『好き』と『愛してる』ってどう違うのかな?」

「ドキドキして胸キュンなら『好き』かしらね。『愛してる』というと、イザナミ様のような夫婦めおとになる前提の恋って感じだと思うわ」

「でもサルタヒコとウズメは、最初ギスギスしてたのに夫婦になったよね。そういう場合はどうなんだろ?」

「それこそワカちゃんの得意な下界の少女マンガにあるじゃない。寝坊して遅刻しそうだから、パンをくわえて走ってたらカドでぶつかってケンカした男の子が実は転校生で、『あ~っ、あいつ今朝の!』……というお話よ」

「嫌いから好きになったんだ。一緒に居るとやっぱり惹かれ合うのかな?」

 会話続きの喉を潤すためにカップの茶をひとくち飲んだミズハは、すぐに言葉を続ける。

「じゃあ、ワカちゃんの徳斗様への気持ちは『好き』なの?『愛してる』なの?」

「よくわかんない……徳斗もミズハも、焼きイモもスズメたちもお散歩も少女マンガも好きだし、じゃあ徳斗がどう特別な『好き』なのか……でも徳斗に『愛してる』って言われたら、あたしも『愛してる』になるのか、ぜんぜんわかんないよ」

 八田が不在なので自分でカップに茶をおかわりしながら、稚姫は困惑気味に語る。

 それはまだ見ぬ未知のオトナな世界であるとも言えるし、夏休みの宿題が解けない子供が単純に理解できないという程度に発した言葉のようでもあった。


 そんな彼女を見て、ミズハは稚姫にけしかける。

「徳斗様をどう考えているのか、素直な言葉にしてみたらいいんじゃないの?」

「素直な言葉?」

「そうよ。じゃあ例えば、徳斗様の好きなところ十個、言ってみて」

 稚姫は、思いつくところを言うたびに、ひとつずつ震える右手の指を折っていく。

「あたしの心配してくれるとこ、焼きイモを作ってくれるとこ、キャンプさせてくれたとこ、太陽の修行も手伝ってくれるとこ、お初穂でプレゼントくれたとこ、優しくてカッコい……」

 そこまで言いかけて椅子から崩れ落ちると、ベッドに飛び込む。

「だいじょうぶ、ワカちゃん? ちょっと刺激が強かったかしら?」

 ミズハはテーブルを離れると、枕に顔を押し付けて両足をじたばたさせる稚姫のそばに座る。

「だから、ちゃんと素直な言葉にして徳斗様に言わないと。でないと、ワカちゃんの気持ちに気づいて貰えないのよ!」

「じゃあミズハが教えてよ。例えばあたしは徳斗に何て言ったらいいの?」

 攻守が交代した途端、明らかに目を泳がせながら頬を染めて狼狽するミズハ。

「わ、私は、そんな殿方に自分から想いを伝えるなんて、はしたない真似は……」

「ちょっと! あたしに、はしたない事させようとしてたのっ!」

「女子から告白するなんて、イザナミ様のように逞しくはないから……」

「じゃあ想像して。徳斗とミズハがすっごい仲良しだとして……特別だよ。あたしの方が徳斗と仲良しなんだからね。もし徳斗といい雰囲気になったら、ミズハは徳斗になんて言うのか、教えて」

「の、の、徳斗様は、お、お優しくて……わ、わ、私はずっと、あなたを、す、す、好いて……」

 さっそくミズハの脳裏には、出会ったばかりの彼の姿が思い浮かぶ。

『いま到着したばっかで疲れてるだろうし、悪いだろ?』

『ミズハさんの荷物は俺が持ってくからだいじょうぶっすよ』

 彼が発した優しげな言葉や、笑顔が頭の中をぐるぐると回り出す。

 途端にミズハは全身からもくもくと水蒸気を上げた。

「ほら、難しいでしょ。でもこれであたしと引き分けってことね」

 ミズハも途端に事切れたように、ベッドに倒れ込んだ。


 ベッドに並んで寝転んだまま、ガールズトークはさらに続く。

「たとえば、言葉が恥ずかしいなら徳斗様に行動で示すとかは、どうかしら?」

「ホントはぎゅっとして欲しいけど、全然ぎゅっとしてくれないんだもん。あたしが徳斗に掴まるくらいしか出来ないんだもん」

「じゃあワカちゃんが徳斗様の胸に飛び込んで、正面からぎゅっとするのよ」

「やだやだ、恥ずかしい。自分から行くなんて絶対ムリ」

「トヨウケ様みたいに、お上手にやればいいじゃない」

「それこそ、はしたなさの大安売りだよ。オトナの色気だか胸のサイズだか知らないけど調子乗ってて、あんなアバズレみたいなの。あたしはもっと、このドキドキや胸キュンするのを大切にしたいの!」

 奥手な友のために何か良い方法はないか、しばらく思案していたミズハは、またも自らの妄想に頬を染めていく。

「ねぇ……ワカちゃん。じゃあ、こんなのはどうかしら?」

「なんかいい方法あるの?」

「……く、く、く、く、く、くち、くち……口吸いよ!」

「口吸い!」

 すると、ミズハの身体からは部屋が霞むほどに盛大に蒸気が上がり、悶える稚姫の全身は高熱を発した。

 湿度と高温で、室内はサウナのような荒御魂の熱気に満ちる。

「そんなことしたら、夫婦みたいじゃない!」

「ワカちゃんが読んでる女の子のマンガにも描いてあるでしょ! 別に夫婦じゃなくても口吸いくらいできるのよ!」

 そんなことが許されのかと狼狽する稚姫に、ミズハが彼女の背中を押す。

 文字通り、物理的に手を添えてそっと力を込めながら。

「それをやれば、さらに徳斗様との仲も進展するのよ!」

「だって……あたし、そんな口吸いなんて……したことないもん」

 何かを閃いたミズハは稚姫の身体にまたがると、稚姫と顔を向かい合わせる。

「私とワカちゃんで練習しましょう。女同士なら、数に入らないわよね」

「えぇっ、ミズハと? だって、ミズハはその……口吸いってしたことあるの?」

「私だって、もちろんないわよ。だからお互い練習するんじゃない」

 瞳を潤ませて、徐々に顔を近づけるミズハ。

 緊張の面持ちで、寄せられてくる唇を見つめる稚姫。

「あたし無理! ミズハにされるなんてやっぱり変だよ!」

 咄嗟に顔を避け、自分の唇を守る。

「しょうがないわね……じゃあ私が下になるから、ワカちゃんがしてよ」

 位置を変えたミズハは、稚姫に自らの上体に覆いかぶさるよう指示をする。

「ワカちゃんのタイミングでいいからね。私は待ってるから」

 瞼を閉じて、じっと待つミズハ。

 そんな友を見て、困惑するばかりの稚姫。

「ねぇ、ミズハ。これホントにするの?」

「練習よ! 私を徳斗様だと思って来なさい!」

 稚姫も目を瞑り、目の前に居るのは徳斗であると、必死に自分に暗示を掛ける。

 二人の顔は徐々に接近していく。

 はらりと垂れた稚姫の髪が、ミズハの頬を優しく撫でる。

 互いの吐息が感じられるまで寄ってきた。

 唇が重なるまで、あと少し――。


 その時、玄関がノックされて扉が開いた。

「ワカ、お待たせ。買い物が終わっ……おわぁ」

 徳斗が部屋に入ると、ベッドの上で押し倒されたミズハと覆いかぶさる稚姫。

 そのまま三人は固まる。

「……なんかすんませんした、邪魔して」

「違うの、徳斗! あたしたちなんにもしてないんだってば!」

 静かに扉を閉める徳斗に、稚姫は絶叫をしながら慌てて追いかけていった。



 温室を作るための資材を購入した八田は、庭で作業の準備をしていた。

 何事も無かったように八田の元へ向かう徳斗の腕にすがりつく稚姫が、必死に弁明する。

「ホントに違うの、徳斗。ミズハが最初にしようって言ったんだから!」

「だから邪魔しちゃ悪いと思っただけで、別に俺は止めてないだろ。現代の下界はそういう価値観もアリなんだからさ」

「ミズハは関係ないの! あたしの唇は徳斗だけだもん!」

 無意識に出た言葉に、稚姫は口元を押さえて頬を染めた。

 後を追って外に出てきたミズハが彼女の隣に立ち、徳斗に深々と頭を下げる。

「徳斗様、先程は失礼いたしました。長く下界に居ると、天上界で浴びる強力な波動が得られずに神威が下がってしまい、民に迷惑を掛けることがありますので、私がそれを補充するための儀式を行っていたのです」

「そうなんすか……大変っすね、神様も」

 これまでに降臨した数々の変態かみさまを間近で目の当たりにしてきた徳斗は、特段の驚きもなく、右から左の耳に流れていった。

「もちろん、これは神同士だけではございませんわ。例えば、人間とでも……」

 突然にミズハは何を言い出すのか、と目を泳がせている稚姫に対し、彼女は合図の目線を送る。

「人間も神と直接交わることで、神の力を得ることができるのです」

「本当っすか、それって……」

 反射的にトヨウケが唇を重ねてきた日を思い出し、徳斗もわずかに顔を赤らめる。

「ですので、これは言うなれば、神とのスキンシップと言えるのではないでしょうか?」

「……確かに、ありがたいっすね。腹いっぱいになりますもんね」

 すなわち、自分はトヨウケさんのおかげで食糧神の力を得たということになる。

 仮に本当だとしたら、その神の力を自分で発揮できるかは分からないが、じいちゃんの神社を継いだとしても、少なくとも食いっぱぐれはないだろう――と徳斗も適当に考えていた。

「ですので、徳斗様も今後、ワカちゃんや多くの神々と交わることも、お有りかと思いますが、くれぐれもそれはスキンシップ……と、お考えくださいね」

 念を押すように、徳斗の顔に指を突きつけてから、柔らかい笑顔を向ける。

「はい……だいじょうぶっす」

 なるほど。おおよそ統計的に、日本の神々は男神は変質者で、女神は色魔――。

 そんな大雑把な感想を持った徳斗だった。

 その時、ポケットに入れたスマートフォンから着信音が鳴る。

 それは彼の母親からだった。


「もしもし、俺だけど……うん、久しぶり。どうした? え……うそ、じいちゃんが? マジで?」

 途中からの彼の反応に、ただならぬ気配を感じた神々は、通話の様子を見守った。

 電話を終えた徳斗は、若干狼狽したように稚姫に向かい説明をする。

「じいちゃんが入院したって。万が一の時は危ないから、念のため様子を見に行かないとマズそうだわ」

「えっ、徳斗のおじいちゃんが! って誰だっけ?」

「俺が跡を継ぐ予定の神社の神主だっての。お前の社をほったらかしにするぞ」

 外出の支度をするために、徳斗は二階の自分の部屋に戻ろうとする。

「あたしも徳斗についていく! 一緒に行く!」

「ダメだって。俺だけじゃなくて、おふくろや向こうの親戚も来るかもしれないんだから。数日間は留守にするけど、八田さんやミズハさんと一緒に待ってろよ」

「なんで! どうしてあたしもついて行ったらダメなのっ?」

「頼むよ、俺のプライベートの話なんだからさ。ワカまで来たら、説明がややこしくなるに決まってるから」

 ミズハは徳斗の死角から、稚姫に向かって合図を送りけしかける。

 それを見た稚姫は覚悟を決めて徳斗の胸に飛び込むと、彼の背中に腕を回す。

「ホントにマズいから行かせてくれよ。頼むから離してくれって、ワカ」

 ミズハは次の合図を送る。

「徳斗はあたしのこと嫌い?」

「嫌いじゃないけど、今はそういう事態じゃないからさ。わかってくれよ」

「……じゃあ、絶対帰ってくるって約束する?」

「当たり前だっての、ここは俺んちなんだから。帰ってくるに決まってるだろ」

 ちらとミズハの方を向くと彼女から最後の合図が出たので、稚姫は勇気を振り絞り、瞳を潤ませて徳斗の顔をじっと見る。

「じゃあ、嘘じゃないって約束で、あたしに、く……くち、くち……」

『さぁ。もう一押しよ、ワカちゃん』

 ミズハも身体を小刻みに震わせ周囲に蒸気を漂わせながら、興奮して見守る。

「くち……口寂しいから、美味しくて甘いもの買ってきて!」

「おう、わかった。土産を必ず用意するよ」

 あと少しの自分の壁を越えられなかった稚姫に対し、ミズハの湯気も消える。


 急ぎ荷造りを終えて、足早に駅に向かう徳斗を見送る女子ふたり。

「やっぱり無理だよ、平気で『口吸いして』なんて、トヨウケみたいなこと言えないもん」

「ワカちゃんの頑張りは伝わってきたわよ。徳斗様が帰られるまで、次の作戦を考えましょう?」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る