2-4 ツキヨミ、企む
八田が抜けた後、徳斗たち三人でキャンプの定番、カレーを食べることにした。
皿に盛った純白の米にかけられた、とろみのある液体の香りを嗅いだ稚姫は、喉を鳴らしながら興奮気味に問い掛ける。
「すごくいい匂い。ねぇ、これはなに、徳斗?」
「カレーだよ。東南アジアの料理で……って言っても日本人の作るカレーは、日本のカレーだわな。まぁ、これを食わなきゃキャンプとは言えないよな」
「じゃあ、あたし達キャンプマスターだ。こういうのをお供えしてくれる社があればいいのにな」
「それはトヨウケさんも言ってたけど、現代の寺社ならあるんじゃね?」
稚姫は、生まれて初めて食べる、カレールーと米をスプーンに乗せた。
「俺は甘口好きだから、辛くないと思うけど。念のため、ゆっくり食べろよ?」
まるで初めて食事をする子を見守る親のような徳斗に対して、覚悟の表情で首を縦に振った稚姫は、恐る恐るスプーンを口に運ぶ。
神酒で酔ったのか、薄く紅に染めた頬で口中の至福を味わう。
「っおいしい」
普段の天真爛漫な様子はどこにいったのか、カレーの吐息とともに妙な色香を漂わせる稚姫に、徳斗も思わず彼女の表情を窺う。
そんな妹と下界の民を見ていたツキヨミは笑みを浮かべながら、飯盒が降ろされた鉄製のキャンプハンガーにやかんを吊るすと日本酒の熱燗を作り出した。
八田が居なくなってツキヨミから徳斗の隣に場所を移した稚姫は、カレーを食べ終えた後もまだ酒を飲んでいた。
「おい、ワカ。ちょっと飲みすぎじゃねえのか? 無理すんなよ」
「うふふ、楽しいね。徳斗」
「お前、けっこう酔ってるな。日本酒とかアルコールの強いものばっかり飲んでると危ないぞ」
「だいじょうぶ、酔ってないよ。お酒は楽しくなってからだもん」
そんな強がりなど何処に行ったのか、そうこうしているうちに、徳斗の腕にもたれかかったまま、稚姫は眠ってしまう。
「なんだよ……酔っぱらいの典型みたいな事を言って寝たな」
やかんでつけた熱燗の温度を確認しながら、ツキヨミは静かに語る。
「しかし、ミスターノリト。本当に不思議だね、キミは。ある程度は聞いたよ。急に周りがこんな状況になってクレイジーじゃないと思わないのかい?」
「そうっすね。そりゃまだ全然理解できてないところも多いですよ。逆に神様がこんな不思議でへんちくりんな人達なのが、信じらんないし」
「キミは言うったらないねぇ。いいねぇ、グッドだよ」
ツキヨミはおもちゃの鼻眼鏡の下で、目を細めると酒を飲み続ける。
トヨウケから聞いていた話だと、この兄はもっと酒乱なのかと思ったら、意外とおとなしく飲んでいるようで、勝手な印象と違ったのは徳斗も素直に反省した。
加えて、やはり四貴神の二番目の兄だというのには、さすがと言うべきだと納得する。酒の強さにも関心したが、奔放でやや世間知らずな妹とは違い、その兄は非常に冷静だと感じた。
「そういえば、トヨウケさんの農場にウケモチさんがいるって聞いたんすけど、無事だったんすね。あの……神話で聞いたところだと、お兄さんはけっこう酷いことしましたよね。それでアマテラスさんに夜の世界に追放されたとかなんとか」
「なんだい、僕の英雄譚も下界まで広がってるんだね」
急に眼光鋭く徳斗を見つめ返す神の視線に、彼は緊張と畏怖に襲われる。
「天上界で合コンした時に酔った僕が、ウケモチに尻からツマミを出して欲しいって懇願したんだよ。そしたらセクハラで訴えられて女神の執務する館を出禁になったんだよね。しかも月の管理という理由で勤務シフトまで夜勤にさせられてさ。おかげで合コンにも参加できなくなったよ」
「そうなんすね。よかった、お兄さんが単なる真性の変態で。てっきり殺しちゃうくらい気難しい人なのかと思いましたよ」
やはり見聞きした通りの人物で、徳斗も安心してジュースを飲み直した。
逆に褒められているのか貶められているのか、ツキヨミは情けない顔を浮かべる。
ジュースを飲んで大きく息を吐いた徳斗は再び語り出した。
「でも、良かったって思いますよ。あのまま親父や兄貴の下に居たら、こういう生活は出来なかったじゃないすか。おふくろのじいちゃんの神社の跡を継いでみようかな、って思ったらワカに会えたわけだし、すごい偶然ですよ」
「僕もキミみたいなエクセレントな者がワカっちの神主になってくれたら嬉しいよ。僕ら神だって社がどこでもいいとか、神職が誰でもいい訳じゃない。神威を発揮しやすい環境を整えてくれたり、信仰をわかりやすく伝えてくれる神職とは、二人三脚とも言えるからね」
そこはやはり兄妹だからか、徳斗は何故か稚姫に褒められたように嬉しくなり、照れ臭そうに頭を掻く。
だが、徳斗は神妙な面持ちになり会話を続ける。
「ねぇ、お兄さんは知ってるんすか? 例のワカの修行のことと、地球の危機って」
ツキヨミはまるで本物の眼鏡のように鼻眼鏡をくいっと指で掛け直すと、酒を一口飲んだ。
「僕が知ることは伝えられる。でもそれをどうすべきかはワカっちに選ばれたキミに頼らざるを得ない。いま言った通り、僕ら神は単独でエラいわけじゃないんだよ。下界に社があって、民に触れ合って、民からの信仰があって初めて僕らを神たらしめるんだよ。民から忘れられた神は、神とは言えないんだ。神威があっても信仰がついてくる訳じゃないし、信仰が無ければ力も発揮できない。難しいもんだよ」
「だったらお兄さんが知ってることを聞きたいんすけど。それについてトヨウケさんも八田さんも知らないんですよ。俺も全然わからないし……もしワカが太陽を制御できなかったら、どうなるんです?」
「それはミステリーだよ。姉上も含めて僕ら四貴神も知らない。すべては<ことあまつ神>しだいだね。答えはアンノウンだ」
「……そうっすか」
ツキヨミは鼻眼鏡の奥から、静かに
妙な衣装や髪形をしていても、黙っている彼の真剣な面持ちはまさに絶世のイケメンで、徳斗も鼻眼鏡やアフロヘアとのギャップに混乱してしまう。
「ワカっちは、まだ幼すぎる。もう少し大人になれば変われると思うんだよね」
「確かに、神様にしてはちょっと子供っぽいというか……それのせいで、太陽神の仕事もまだ上手くできないんすかね?」
「この子の見識や視野を広げてあげれば、変わるかもしれないね」
日本酒の入ったコップを持って立ち上がったツキヨミは、自分で用意した天体望遠鏡を月に向ける。
「見てごらん。月が綺麗だよ、ミスターノリト」
徳斗が立ち上がろうとすると、彼の肩に頭を預けていた稚姫はその腕が離れないようにぎゅっと掴まりながら、寝言をつぶやく。
「のりとぉ、行かないでぇ」
稚姫の寝言を聞き、徳斗もそれっきり動けなくなってしまった。
自分の腕から彼女を払うこともできず、微動だにできない。
そんな硬直する彼を見て、小さく含み笑いをするツキヨミ。
「ミスターノリト、そろそろワカっちを寝かして貰えないかい。まだ夜は長い。ゆっくり語らおうよ」
「えっ……あ、はい。おいワカ。このままだと風邪ひくぞ、シュラフで寝ろよ」
彼女はぼんやりと目を開けて、徳斗に誘導されるままテントに入っていく。
徳斗が寝袋まで稚姫の手を引いていったところで、突然にテントの入り口が閉まった。
「えっ、ちょっと、何してるんすか、お兄さん……あれ、開かねぇぞ、これ」
テントの入り口のチャック部分に、ご丁寧にダイヤル錠を付けたツキヨミは、やかんに入った残りの酒と共に、去っていく。
「お兄さん! どうなってるんすか、これ。開けてくださいよ!」
徳斗の部屋の前まで来て、階下の庭にあるテントを見下ろす。
「ワカっちと八田、別々の物を飲ませといてよかったねぇ。ホントはミスターノリトには、僕のデリシャスな酒を飲んでくれるのが一番だったんだけどね……逆にワカっちの世界を広げて貰おうかな。それにしてもいい月だね、今夜は」
またしても勝手に徳斗の室内に入ったツキヨミは静かに扉を閉めた。
徳斗は、必死にテントの入り口のチャックを開けようと試みるも、外側で引っ掛かっているのか、一向に開かない。
「徳斗……」
「大変だぞ、ワカ。これ壊れちゃったみたいで、内側から開かな……」
振り返った徳斗は、彼女の異常な状態に目を見張った。
目をとろんと半開きにし、酒に酔ったのか頬を染めていたが、吐息が荒い。
「のりとぉ……あっついよ」
「おい、だいじょうぶかよ。風邪ひいたわけじゃないよな」
「のりとぉっ!」
急に抱き着いてきた稚姫に、彼女がまた火傷をするくらいに高熱を放っているのではないかと、徳斗は身構えたが、そんな温度ではなかった。
密着するそれぞれの心拍が互いの身体に届き、混ざりあうようだ。
「飲みすぎなんだよ。早く寝ろ。具合悪くなるぞ」
「あっついの」
とはいえ、暦は十月も半ばが過ぎようかという時期だ。
さすがに薄着では彼女も風邪をひいてしまうかもしれない。
神族が風邪をひくのかどうかは徳斗にも分からないが。
「ちゃんとシュラフに入って寝ろ。もうキャンプは終わりだぞ」
「ダメ、あっつい」
セーラー服を脱ごうとする稚姫を慌てて制止する。
「お前、なにやってるんだよ。ここで脱ぐなって」
「のりとは、あたしのこと、きらい?」
「嫌いじゃないけど、何言ってるんだよ、急に。ほら落ち着け……って、おい!」
突然に稚姫から両手で突き押され、徳斗は上半身をテントに倒した。
それに覆いかぶさるように、稚姫が身体を寄せてくる。
「のりと、あたしのこと……きら……」
彼女は互いの顔を近づけ、唇を重ねようとする。
徳斗も理性と本能の狭間で揺れ動くが、これ以上はいくら相手が神であろうが異世界のエルフであろうが、その種族のまだ年端もいかぬ少女であるのならば、さすがに倫理に反するのでは――。
徳斗は思わず目を瞑り、顔を背けたその時。
どさっと大きな音を立てて、稚姫は彼のすぐ隣に伏せた。
「おい、ワカ。どうしたんだよ」
そっと触れようとすると、彼女は小さな寝息を立てていた。
大きく息を吐き出し、今回は理性を保った自分を褒めてやった徳斗だった。
「……バカだな」
頭を撫でてやり、彼女をそっと抱きかかえて寝袋に包んだ。
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