1-4 徳斗くんの述懐

 東京から特急列車で二時間程度の片田舎の小さな町。

 そこが徳斗の母方の実家だった。

 祖父は普段の生活のかたわら、神職として町の小さな鎮守の神社を維持していた。

 徳斗は盆と暮れにたまに遊びに行く程度だったが、正式に祖父から神社を継がないかと打診をされたのは昨年、高校三年生の春だった。

 向こうは母がひとりっ子だったので、神社の跡取りはいない。

 断ることもできたし、母も本人の好きなように、と強くは勧めてこなかった。

 だが、父はどちらかというと、自分よりは長男である兄との距離が近かったと幼心に感じていた。

 テストで褒められるのも、おもちゃや洋服をねだれば買い与えられるのも兄。

 自分は必要とされているのか、よくわからなかった。

 親の注目を集めるのに必死だった。

 

 その時に降ってわいた祖父の跡を継ぐ話だ。

 町は過疎となり、次第に鎮守さまに祈りを捧げる人は減っていった。

 寂れていく町の古ぼけた神社で寂しく祀られている神様を見るのは心が痛くなる。

 まるで必要とされていない自分の姿が重なるようだった。

 そんな鎮守さまを必死にひとりで守り抜く祖父。

 その頃は別に神社や神話には全く興味は無かったが、いま自分を必要としてくれている母方の実家に手を貸すのは、やぶさかでないと感じた。

 決して無理やり通わされているという訳でもなく、大学は神職の資格が取れる神学校を自ら選んだ。

 だが、学校で講義を受けていても神道を学んで本当に神社を継ぐべきか、そもそも神社や信仰とは何か、まだ心の深いところまでは本質を理解できずにいる――。



 徳斗は夢うつつに寝返りを打つ。

 そして抱き枕をぎゅっとかかえる至福の瞬間。

 ふかふかとした柔らかい感触に顔を埋める。

 洗濯したての柔軟剤とも違う、スイーツのような甘くて良い香り。

 そして、まるで体温のようなぬくもり。

『……俺の部屋に抱き枕なんてあったか?』

 違和感を覚え、うっすら目を開くと視界いっぱいに柔らかな膨らみがある。

 自分が抱いていたのは先程の妖艶な美女トヨウケで、その胸に顔をうずめていた。

「あら、坊や。起きた?」

「ちょっ、さっきのエロい……あ、いや、綺麗なお姉さん。なんでここに!」

 徳斗は慌てて上半身を起こすが、下半身で起きた別のものは急いで布団で隠した。

「坊やに伝えたいことがあったの」

 トヨウケも身体を起こすと髪を後ろへ流してから、人差し指と中指を徳斗の唇に触れる。

「あの子がおかしなことにならないか、見守ってちょうだい」

「やっぱ、おかしな子なんですか? あの八田さんもいまいち何を考えているのか」

「いい、よく聞いて」

 トヨウケは上半身を寄せて、華奢な腕を背中に回してきた。

 豊かな胸を押し当てられると、徳斗の息が乱れる。

 彼女は耳元でそっと囁き出した。

「太陽神の妹として、あの子が立派に務めあげることができるかは、先々のこの地球の運命も握っているのよ。それには今は坊やの力が必要なの」

「地球の運命……?」

「今はまだ詳しくは話せないけど、あの子が一人前の神族になれるかによるわ」

「それを俺がどう手伝うんです?」

 トヨウケは添わせた上半身を離し、徳斗の目を真っ直ぐに見つめる。

 黙っていれば美少女の稚姫とは違い、黙っていても吸い込まれるような美貌。

 互いの鼻先や唇が触れ合うかのような至近距離で、彼女の甘い吐息がかかると、徳斗も興奮して瞳を激しく揺らす。

「坊やが選ばれたんだから、自分でやるしかないわね。でも、坊やならきっと出来るわよ、原井徳斗くん。いいえ、『天津神あまつがみ神社』の神主、秀真ほつま徳斗くん」

「……ちょっと! なんでおふくろの旧姓や、じいちゃんの神社の名前まで!」

 くすくすと笑いだすトヨウケを怪訝そうに見るも、徳斗は驚きを隠せなかった。

 この緊張感は美女に抱かれたままのせいか、彼女が個人情報を知っていたからか。

「それに俺、まだ単なる学生っすよ。職階しょっかいや身分どころか学位も無いし。じいちゃんの神社をホントに継ぐべきかどうかも、わからないのに」

「それも坊やしだいね」

「俺しだいってどういうことすか? だいいち神職なんて日本中にたくさんいるし、トヨウケさんくらい有名なら、あちこちに祀られてる社なんてあるじゃないすか。だったらワカだって他の神職や社でも……」

「上手くいったら、もっとご褒美をあげるわ」

 トヨウケは徳斗の言葉を遮るように突然に唇を重ねる。

 甘美な香りとふくよかな感触とともに、やがて徳斗の鼻腔に漂う、魚介や肉、でんぷん質や糖質など、芳醇な食材の香り。

 気づくと、もう夕飯も要らないというくらい満腹だった。

 昼食は友人らと食堂に行ったきりで、昼寝前は空腹感すら覚えていたというのに。

 口移しでなにか食物を摂ったという仕組みではない。

 初めて神の技を、身をもって体験した徳斗は呆然と視線を彷徨わせる。

「じゃあね」

 片目を閉じると投げキッスをして、部屋を出ていくトヨウケ。

 彼女の姿を見送りながら、自分の身に何が起きたのか、徳斗も自身の唇に触れる。

 わずかに残る彼女の芳香と食物の匂いが彼の周囲に漂っていた。

「チーズハンバーグとブイヤベースのセットにライスとスープ、デザートのケーキ、食後のコーヒー付き……」


 翌日の早朝。

 トヨウケとの刺激的な体験のせいか、徳斗は目にクマを作り、寝不足ぎみにぼんやりとほうきを振る。

 まだ付近には稚姫の姿はない。

 八田は徳斗と一緒になって、庭や共用部の清掃を手伝っていた。

 彼は普段の黒の上着は汚れないように脱いでいたが、袖をまくった白のシャツに黒のネクタイとベストを合わせて、サングラスも着けたままだ。

 八田は徳斗の肩を小突く。

 手すりや階段の掃除を終えて、次の指示を待っていた。

「あ、すんません。じゃあ八田さん。次はこっちのちょっと高い枝を落として貰える? 俺じゃ上の方が届かないんだよね」

 無言でうなずき、枝切りばさみを握る八田。

 脚立に乗ると、大きな体躯たいくを利用して道路側に伸びた枝を落とす。

「そういえば、八田さん。ゆうべはどうしたの? ワカの部屋に泊まったの?」

 首を振ってから、近くの公園の大きな保存樹を指し示した。

「あぁ、じゃあ本当にカラスなんすね」

 高い枝は彼に任せて低いところの枝葉を落としたり雑草を抜いていた徳斗は、手を止めてわずかに考え事をする。

「ところでさ、ワカはどうしてるの?」

 八田は昨日、稚姫が入り込んでいた部屋の扉を黙って指差す。

 もう起きているのか否かはわからないが、部屋から出てきてはいないようだった。


 彼女の元気が無いせいなのか、天気は朝から空を厚い雲が覆う。

 まだ落ち込んでいるのだろうと、徳斗は扉と空模様を交互に見る。

 そもそも彼らが来た理由も詳しくは聞いていないし、昨晩トヨウケから聞かされた話が気になってしまい、八田なら何か知っているかも、と彼に質問をしてみた。

「ねぇ、八田さん。ワカを立派な太陽神にするったって、ここでどんな修行をさせるのさ」

 相手は無言で肩をすくめて、また枝を切り始める。

「八田さんも知らないのに、俺が手伝えるとも思えないんだけど」

 今度は徳斗に向かい親指を立ててから、また枝を切る。

「頑張れったってさ。意味わかんねぇよ」

 この口数の少ない執事とは、なんやかんやで意思疎通は出来ているようだったが、やはり気が晴れない徳斗は本題を単刀直入に聞くことにした。

「昨日トヨウケさんから聞いた話なんだけどさ。地球に迫る運命ってなにか知ってる?」

 八田は途端にその手を止め、眉間にしわを寄せたまま、人差し指を口元に置く。

「黙ってろって、もちろん世間に秘密なのはわかってるけどさ、そうじゃなくてそれがワカの……」

 徳斗に向けられた八田の人差し指は、ふたたび稚姫がいる部屋の扉を向く。

「なんで? ワカにも秘密にしとく意味があるの?」

 険しい表情で首を縦に振ったあと、掌を振り、この話をもう終えるように促す。

 また枝切りばさみで剪定せんていを続ける八田を、徳斗も訝しげに見上げていた。


 やがて、庭木もあらかた払い終えた。

 普段は一人ではなかなか出来なかった高所の作業もはかどり、徳斗は腰を叩きながら、切られた枝や集まった葉を見る。

「八田さんのおかげで助かったよ。でも可燃ゴミで一気に捨てたらご近所迷惑になるな。何度かに分けて捨てないと多すぎるな」

 両手をぽんと打った八田は、徳斗に耳打ちをする。

「そんなことで、上手くいくの?」

 八田がうなずき返し、脱いだ上着を手に掛けて主人の部屋に戻っていった。



 それから大学に向かった徳斗は講義を受けていた。

 妖しい美貌を持つトヨウケとの会話のせいか、講師の話もなんとなくうわの空だ。

 一般教養などの授業もあるが、大半は日本の歴史や神話、宗教史や倫理道徳だけでなく、神職として必要な知識や職務心得に加えて、儀礼の所作も学んでいく。

 だが徳斗はまだ一年生なので、基礎的な座学が多い。

 トヨウケの姿が浮かんでは消えを繰り返し、頭を振りつつも時間は無為に過ぎていった。


 大学での講義を終えた徳斗はアパートに帰宅した。

 その手にはスーパーのビニール袋を持ったまま、周囲を見回す。

 ぱっと見るに、敷地に稚姫や八田の姿はない。

 つぎに、稚姫の部屋の扉をノックしてからノブを回す。

「あー、ワカ、居るか? ちょっと見せたいものがあるんだけど」

 彼女は椅子に座り、午後のティータイムをしていた。

「おーっ、おかえり徳斗。あたしが寝てる間に出掛けちゃったから会えなかったね」

 とりあえず彼女は元気を取り戻したようで、徳斗もやや安堵した表情を浮かべる。

「なんだ、太陽神のくせに朝が弱いのかよ。低血圧の女子か」

「成長期って言ってよ。逆に一回でたくさん寝られるんだから」

 徳斗は靴を脱いで上がる前にふと、ここは女子の部屋だし、いちおう家主に許可を得た方が良いのかと躊躇したが、まだ彼が管理人で向こうは勝手に住み始めた者なので、上がることにした。

 手に持っていたビニール袋を稚姫に見せる。

「今日はワカの好きなやつ買ってきたよ」

 中に入っていたのは、サツマイモだった。

「他の住人に怒られちゃうかもしれないけど、庭で焼きイモしようぜ」

「うわ、おイモだ。すごい。あたしだけじゃなくて姉上も焼きイモが大好きなんだよ、よく知ってるね」

「それもお前の自己紹介ムービーにあったからな」

 気の回る執事、八田は手早くアルミホイルを用意してイモを包み始める。

「それで、焚き火はどこにあるの?」

「今朝、八田さんと一緒に切った枝や集めた葉っぱが庭にあるから、それでやってみようぜ」

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