後日譚 麦わら帽子と夏の記憶 1

 私は大きく息を吐き出しながら地面へと腰掛ける。


 そこはかなり草が生い茂る荒れ果てたかつて畑だった場所。今はもう見る影もない。

 さんさんと輝く強い日差しは、夏特有のじっとりとした空気を伴って私を照らしつける。額から汗が落ちる。ここってこんなに暑かったかな、とため息を漏らす。


 あれから十年が過ぎた。私ももう二十四歳だ。もう少し経てばアラサーと言われる年齢に近づく。まだまだ若いけれど、少しは年齢に気になってくる。そんな年頃だ。


「誰かいませんかー?」


 声をかけてみるけれど、ここには誰もいない。わかっていたことだけれど、やっぱり思い出して悲しくなってくる。

 私は麦わら帽子を深く被って、そして立ち上がり草をかき分けて中へと向かっていく。


 夏草の香りは嫌いじゃない。いつも感じていた想い出の記憶だ。

 私と彼はここで出会った。だからこの場所は私にとって何よりも大切な場所だ。


 だからこそなかなか訪れる事は出来なかった。


 草をかき分けていくと、その中にときどき大きな茎から大輪の花を咲かしているひまわりが見える。

 荒れ果てた畑の中でも、全てのひまわりが失われた訳では無かった。


「まだ君は太陽を追いかけていたんだね」


 少しだけ嬉しくなる。手をのばしても、のばしても、届かない。そんな想いをしているのは私だけじゃなかった。そう想い、空を見上げる。

 あれからもうだいぶん時間が流れている。逢いたい。だけど逢えない。彼は私を置いて遠くへ行ってしまった。手が届かないほど遠く場所に。


 空を見上げる。

 あの空の向こうには謙人けんとさんがいるのかな。

 私はこぼれそうになる涙をこらえながら、もういちど大きく息を吸い込んだ。


 夏草の青い苦い香りが、私の肺の中を満たしていく。

 夏の香り。私は夏が好きだった。


 彼と始めて出会ったのも夏だった。そして再び彼が会いに来てくれたのも夏だった。

 だけど夏が嫌いだった。始めて別れを知ったのも夏の事だった。


 お父さんもお母さんも、こずちゃんも、あかねちゃんも、かなたちゃんも。村のみんなも。みんなみんないなくなった。

 今でも全てが癒えてしまった訳ではなかった。私の胸の中にしこりのように残っている。


 みんなともう一度会いたい。そう願うけれど、それが叶わない願いだと言う事も理解している。私にはもう魔法を使えない。全ての嘘を脱ぎ捨ててしまったのだから。


 だけどいま麦わら帽子を被って、私はこの村を訪れていた。

 服が草まみれになるのもかまわずに草の中をかき分けていく。


 まぁあの時と違って、これはもう嘘じゃないけどと想いながら眼鏡の位置を直してみる。歳をとって少しだけ目が悪くなってしまった。暗いところで本ばかり読んでいたからかなぁと少し自嘲の笑みを浮かべた。


 草をかき分けて、その奥へと向かう。


 そこにはまだ小さなほこらが残されていた。だけど風雨にさらされて、あの時よりもさらに痛みは激しい。扉も半分とれかけていたし、中にあったはずの御幣ごへいもすでに姿はない。

 だけどあの時のようにショックを受ける事はなかった。むしろ思っていたよりもずっと状態はいいと思う。

 今日の目的はここにくることだ。そして可能な範囲でだけど祠を修繕すること。


 御幣も前もって用意してきた。扉を止め直すためのちょうつがいやねじ回し、金槌や釘、塗装道具なども一式そろえてきた。ちょっと重かったけれど、村までは車できたし、台車も持ってきたからそこまで大変では無かった。


 御幣を取り替えて、壊れかけた扉のちょうつがいを取り替える。正直木材部分もかなり痛んでいたけれど、何とかぎりぎり壊さずに取り替える事が出来た。木材もある程度はもってきたけれど、さすがに木材の加工は私には少し難しい。正直なところ不器用なのだ。


 こんな時に謙人さんがいてくれたらなと思うものの、いない人の事を考えても仕方が無い。謙人さんはいない。一人でやるしかないんだ。


 雰囲気だけだけれど、ある程度修繕が出来たので用意した塗装をはじめていく。

 これも思ったよりも大変だった。時間ばかりが過ぎ去っていく。最近少し体調もよくない事が多い。胃の調子が悪いのか吐いたりもしてしまう事もあるから、少しばかり作業は辛いし時間もかかる。今日は比較的体調は良かったし、そして時間をとれるのも今日くらいだから、何とかやり遂げてしまいたいと思いながら作業を続けていた。


 気がつくと、もう日が沈み始めている。夏の日が暮れるのはかなり遅い。すでに相当な時間が流れてしまっていた。

 暮れていく空は戻らない時間を示しているかのようで、どこか寂しく思えた。

 ただ完全に日が沈んでしまえばこの辺りは完全な闇の中だ。街灯もない山の中。さすがにそろそろ引き上げなければならない。


「ねぇ。君はまだここにいるのかな。眠っているのかな。私はまだ忘れていないよ。君ともういちど逢いたいよ。ねぇ、ミーシャ」


 私は空を見上げる。

 茜色に染まった空はやがて沈み行く日とともに、どこか悲しくて寂しくて。


 だけどとても綺麗だと思った。


 私の声に誰からも答えはなくて、神様は私を見ていないのかもしれない。だけどきっとここで眠っているのだと思う。

 車まで戻っていくうちに日はほとんど暮れてしまった。

 生まれ育った場所とはいえ、もはやこの村は廃墟と化している。暗闇の中ではさすがに恐怖を覚えるのは仕方が無いだろう。


 車のエンジンをかける。

 だけどなぜかエンジンがかからない。何度エンジンスイッチを押してもうんともすんともいわない。


 それからふと気がつく。ライトのスイッチが点灯の位置のままになっていた。どうやらバッテリーが上がってしまったようだ。

 そういえば途中トンネルに入った時に点灯して、そのまま消していなかった。

 正直なところ自分がドジだという認識はあったが、まさかこんなところでやってしまうとは自分の愚かさにため息をもらす。


 猫鳴村は廃村になってからかなり時間が経つ。すなわち携帯電波を整備する必要がない区域というわけだ。実際私の携帯も圏外を示している。

 電波が通じる場所まではそれなりに歩かなければならないし、かといって暗闇の中での山歩きは危険極まりない。このまま車の中で一晩すごして明るくなってから助けを呼ぶしかないだろう。


 誰もいない山の中。辺りは完全な闇の中だ。生まれ育った村の中と言えどさすがに心細くなる。

 車の中にいれば獣に襲われる危険はないだろうし、人なんているはずもない。幸い飲み物や食べ物は用意してきたから、何とかなるだろう。


 ある程度時間が過ぎる。この闇の中では何も出来ないし、朝になったときにバッテリーがきれてしまっていては意味がないの携帯で暇つぶしのアプリをいじる訳にもいかない。何もすることがない。


 だったらさっさと眠ってしまえばいいものの、目がさえて眠れなかった。

だから自然とかつての事を思い出していた。


 かつてずっと一緒に過ごしてきた黒猫のことを。消えてしまった村人達のことを。それから謙人さんと過ごしてきた時間を。


 村が無くなって、私は謙人さんと一緒に街へと向かった。そして謙人さんのお兄さんの保護を受ける事になった。かなり遠いけれど謙人さん達も親族ではあるから、その辺はすんなりと手続きは終わった。

 どういう理屈かはわからないけれど、私はちゃんと地元の学校に通っていた事になっていた。いや実際に通ってはいたのだけれど、なぜかそこでは無くなったはずの猫鳴村についても、いなくなっていたはずの私の家族についても触れられる事はなかった。それはミーシャの魔法の力だったのかもしれない。


 だから単純に私は謙人さんのお兄さんを保護者として転校するという形になった。


 謙人さんはあれから勉強して早々に高等学校卒業程度認定試験に合格して、その上で飛び級で大学に入学していた。謙人さんは自分では成績はあまりよくないと言っていたけど、地頭は良い人だし、サポートがしっかりしていたからそれ自体は不思議でも無かった。それよりも日本にも飛び級なんてあるんだという事が驚きだった。


 それから大学院に進んで、研究職になって。なんだかよくわからないけどすごい発明だか発見だかをしたらしくて、それで話題にもなって。

 何なの謙人さんは。天才なの。完璧超人なの。私なんて平凡で何の取り柄もなくて。お兄さんの会社で拾ってもらって何とか会社員をやっているけれど、ほんと違う世界に住んでいるみたい。でもあれからいろいろ練習して、料理だけはまともになったかな。そういう意味ではお母さんに少しだけ近づけたかな。


 そうしてお母さんや、お父さんや。村のみんなの事を思い出す事もあった。

 だけどこの村に戻ってくる事は出来なかった。


 車でもなければなかなかここまで来る事は難しいこともある。やっと免許もとったことで、行きたいという気持ちになった事もある。

 でもたぶん行こうと思えば、今までだって行けない事もなかった。


 けどここはお父さんやお母さんが消えてしまった場所で、こずちゃんもあかねちゃんも、かなたちゃんもここにはいなくて。だから悲しい事を思い出してしまうから、なかなか足を運べなかった。


 けど免許もとって車も運転出来るようになったし、村に足を運んでみる気になった。

 きっとぼろぼろになっているだろう祠を少しでも元に戻そうとも思った。


 だけど一番大きな理由は謙人さんがいないから。たぶんそうだと思う。

 謙人さんは私をおいていってしまった。だから。だからもういちどみんなに逢いたくなった。ここにきたらもしかしたらみんなが笑っていてくれるかもしれない。そんなことを思った。


 そんなことがあるはずもないのに。


 もう私は魔法の力を使えない。だから奇跡は起こらない。

 このまま深く眠ってしまったら、みんなのところに行けたりしないかな、少しだけそんな事も思う。


 でもきっと誰もそんなことは望んでいなくて、たぶん誰よりも謙人さんに怒られる。


 外は暗闇の中、何も見えない。不安が私を押しつぶしていく。

 そんなときあたりの茂みががさがさと突然に音を立てた。

 その瞬間、息を飲み込む。音からしてかなり大きな何かが近づいてきている。

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