[G]子年の初夢

 ──眠った先の「無かった」話。



〜二年前〜


 不思議な空間で、中学生の少女が老婆に飼われていた。昼は通学し普通に過ごすが、夜は【武器】として働くべく老婆に戦闘技術を教わっている。武器がかなり規制されている中で、老婆は法の目を掻い潜るカラクリの飛び道具を使った。科学で説明できない仕組みであるらしい。少女は武器による猛攻を丸腰で避けながらの擬似戦闘を強いられ続けた。

 実践で初めて人を殺した日、老婆が武器を誤作動させ、訓練所の高所で足を滑らせた。林立する竹の一つに腹を貫かれ、ズルズルと自重に引きずられながら竹の根本まで落ちた。ボロ雑巾の様な遺体だった。

 少女は訓練所から出る術を持っていなかった。鍵は老婆しか知らない場所、知らない形状であるらしかった。かなり時間をかけて建物の造りが弱い部分を探し、破壊して出た。

 いつも老婆につれて来られていたので知らなかったが、その訓練所は学校裏の竹林の、背の高い竹のひと節の中にあった。中学校の体育館では、老婆の葬式が行われていた。老婆は熊に腹を喰われたことになっていた。

 校長のふくよかな好々爺が、棺桶の横にポツリと一人座っていた。

「立派で、愛情深いお婆ちゃんだったね。悲しかろうね」

 そう声をかけられて、少女は震える声で「はい」とだけ答えた。物心ついてから初めて流す涙だった。涙が出た事に、少しだけ安心した。少女は武器では無かった。人間だった。

 人を殺す老婆に付き従い、自分も人を殺した。しかし、殺し方は知っていても隠し方は知らない。人を殺す理由ももうない。少女はそのまま只の中学生になった。引き取ってくれた児童養護施設は温かい場所だった。

 少女は只の中学生から只の高校生になった。

 それでも、殺し方は忘れていなかった。



〜五年前〜


 男は、生まれつき丈夫だった。大きくガッシリとした骨格と筋肉の付きやすい体質。体格に恵まれた男は、武術の道を修めた。真面目で優しい男はたちまち強くなった。弱きを助け強きを挫く。悪漢相手ですら、武術の心得のない者に大きな怪我はさせなかった。

 ある日、男は暴力を目撃した。痩せぎすの男が鉄パイプを持った若者の集団にリンチされていた。

 男は当然のように助け舟を出す。痩せぎすの男を大きな身体で庇い、お止めなさいと言った。若者は唾を吐いた。

「そいつは借金を返せなかった。個人的な借金だからよぉ、返せなくてもまぁ構わねぇわ。でも気に食わねぇよなぁ、気に食わないから殴ってんだ」

 男は納得して言った。

「私は身体が丈夫だ、彼よりは"殴りで"があるでしょう。彼の代わりに私を殴れば良い。どうですか?」

 若者は口端を歪に引きつらせて笑った。

 痩せぎすの男は逃げる時、小さな声で祈る様に言った。

「ごめんなさい。ごめんなさい。五年と半年、どうか堪えてください。必ず、救いをそちらに送ります。自分だけ助かるオレを、どうか許してください」

 ありがとう、の一言は掠れてもはや聞き取れなかった。その目は罪悪感と安堵で揺れていた。

 その若者の親は、大きな権力を持っていた。男はその日から本当に「毎日殴られ続けた」。衣食住は保証されたが、動物の様に扱われた。継ぎ接ぎの服を着せられ、量と栄養はあるがドブのような味のする食餌を与えられ、床で眠らされた。その上で、顔や身体の形が変わるまで延々と殴られ続けた。若者はすぐに飽きたが、男が全く泣き言を言わないので引っ込みがつかなくなっていた。配下の者に任せ、そのまま男の存在を忘れた。配下の者達は代わる代わるその命令を遂行した。日頃の憂さ晴らしとして、「死んでもいい人間を殴る」という行為は刺激的でちょうど良かったらしい。それでも飽きたら、男を殴る為のロボットが投入された。いつしか男は、ロボットと供に誰からも忘れ去られた。若者の屋敷の片隅で、ロボットに世話をされ、ロボットに殴られて日々を過ごした。

 男は後悔していた。こんなに劣悪な状況に見を置く前に逃げ出せば良かった。あの時痩せぎすの男を助けなければ良かった。殴ればいいとは言ったが、延々と殴り続けられて平気でいられる訳がない。常軌を逸している。自分は何もしていないのに、なぜ自分が自由を奪われ殴られているのか分からなかった。

 長い年月は男から人間らしさを奪っていった。気力を失い、喋り方を忘れ、歩き方を忘れ、考える事を忘れ、いつしか痛みも忘れた。何も感じない中で、痩せぎすの男の言葉だけを思い出す。

「五年と半年、堪えてください。救いをそちらに送ります」

 救い、とは何だろう、と考える力も残っていなかった。朦朧とした頭では時を数える事もできない。ただ、いつか終わるという希望だけが男を生かしていた。



〜■■■〜


 きっかり五年と半年経った日の夜。

 男を囚えた若者は、青年になっていた。

 その青年の首をビニル袋に入れ、少女は男の前に姿を現した。

「どうして欲しい?」

 少女の姿は自然だった。コンビニにふらりとアイスを買いに来た大学生の様な、気軽な装いと平然とした表情で男に問うた。

 変わり果てた男は、久方振りに涙を流して言った。

「殺して欲しい」


 少女はひと呼吸置くと、首の入ったビニル袋を捨ててグシャグシャとスニーカーで踏み躙った。血と肉と骨の音が閑静な部屋に響きわたった。

「わかった」

 少女は手を床に付き、身体に力を込めてギリギリと軋ませながら丸める。その姿はゆっくりと黒い陰を纏い、いつしか大きく黒いネズミの姿に変貌していた。

 男の体に変化が起きた。

 体からぼろりと何かが転げ落ちた。まるまると太った赤子だった。赤子は幸せそうにきゃいきゃいと笑いながらネズミに吸い込まれていく。赤子はぼろぼろと男から生まれ落ち、次々とネズミの方へ這っていった。

 男はハッとして顔に手をやった。傷が無い。手の節々に怪我がなく、痛みがない。頭も冴えていた。男は気付く。

 若返っている。

 男は歓喜した。喜びに頬を濡らし、輝くような笑顔を黒いネズミへ向けた。

「赤ん坊、赤ん坊だ! ありがとう! 最期にこんな、幸せな夢を見られるなんて! ありがとう! ありがとう!!」

 その声はみるみる若く、幼くなっていった。最後の赤子がネズミに吸い込まれると、部屋は静寂に包まれた。


 ネズミはゆっくりと人間の姿を取り戻した。少女の目には涙が浮かんでいた。

 人を殺したのは二度目だった。一度目に数え切れない数を殺し、今回も沢山殺した。沢山沢山殺した。殺す事に目新しさは無い。

 しかし、人を殺して感謝されたのは、初めてだった。

 少女は、老婆の姿を思い出した。忘れたことの無い老婆のニヤケ顔を思い出した。老婆は少女の前で、一度も泣かなかった。


 涙を拭いた少女は、にやりと笑う。

「私も殺すよ、お婆ちゃん」

 ──喜んでくれる人が居るなら。



 ──起床。

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