第八話(三)

 正午になると、参拝者の数が減り始めてきた。

 午後の一時にでもなればまた人が増えてくるだろうと、詩織達は正午のうちに境内を出ることにした。

「まずは三月の大鷄島文学賞。これに全力を尽くすよ」

 足元に気をつけながら石段を下りてゆく。

「高校生になったら大鷄西の文芸部に入って自分の才能を伸ばしてく。それから高校文芸コンクールでも上位入賞を目指して……もちろんプロの新人賞にだって応募していくつもり」

 人に話すことで自らを鼓舞しようと、詩織の言葉には強さがあった。そしてこれまでになかった目標へのプロセス、具体性もあった。

「一歩ずつ進んで行く」

 そう語る詩織に、過度な気負いはない。表情にも力みはなく、「我武者羅に頑張ればいい」「誰よりも努力する」といった中身のない自己暗示も、彼女にはもう不必要だった。

「んじゃ、景気づけにどこかで飯食べてく?」

「いいね。私も食べて帰るつもりだったから。温かいものがいいな」

「ラーメンとかどう? いいとこ知ってるけど、年明けから普通にやってるし、ここからもそう遠くない」

「うん。じゃあ、そこにしよう。文雄のオススメなら間違いないだろうし」

「うへ、行く前からプレッシャーかけないで」

 戯けてばかりいる文雄を見ていたら、詩織はふとあることが気になった。急になぜこんなことが気になったのか自分でも不思議だったが、一度考え出したら答えを求めたくなった。

 思春期の男女が四ヶ月近く親しい付き合いをしているのだから、一度ぐらいは思ってもいいはずなのに、自分はこれまでこのことをまるで考えたことがなかった。

(文雄は私のことをどう思ってるのかな)

 思い返してみると、彼自身の気のいい性格もあるだろうが、いち同級生に対して親切すぎやしないだろうか。

 自分が誘った世界だとはいえ、どんなときでも書いたものを読んでくれるし、アドバイスもくれる。面白い本を教えてくれる。映画のDVDも貸してくれる。

(……これ、自惚れ?)

 だとしたらお笑い草だ。

「どったの? 顔になんかついてる?」

「ううん。なんでもない」

 いや、くだらないことを考えるのはよそう。いまの自分には一番いらないものだ。

「その店はなにラーメンが美味しいの? 臭いがきつい豚骨だとさすがに」

「それは大丈夫。あそこのオススメは、み――」

 そのとき、味噌の「み」で文雄の声が途切れた。

「誰かその男を捕まえて!」

 頭上から降ってきた声に振り向いた瞬間、目の前にフードを被った男がいた。高価なバッグを胸に抱え込んだ男が、ドンと激しくぶつかってきた。

 詩織はなにが起こったのか分からないまま、ふわっと宙に投げ出された。

 投げ出された身体が地上へと落ちてゆく、なにが起こったのかまだ分からずにいた。

「嘘?」と新年の青空がゆっくりと遠ざかっていくのを、呆然と見ているだけで……

「柳間っ!」

 文雄の手は指先にさえ触れず、詩織はそのまま石段を転げ落ちて行った。

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