第四話(二)
こうして前半一時間はあっという間に過ぎていった。
十分の休憩を挟んでから後半戦へ。メインイベントの時間がやって来た。優秀作の講評だ。
「まずこの作品『回転する青空』のアイディアは、どこから来ましたか?」
「実体験です」
キリッとした文学少女がやはり千葉彩子だった。
「後学のために一度体験してみたくて、今年の夏に両親に頼み込んで、――県で飛んできました」
「ユニークな体験をしてきたもんだね。どう? 怖かった?」
「ジャンプ台に立つまではそこまで高くないなって正直舐めていたんですけど、ジャンプ台に立った途端、本能的なものなんでしょうか。『これ無理かも……』って足が竦みました」
「ジャンプ台に立ったときの心理描写がいいわけだ。僕も今度やってみようかな」
詩織含め他の参加者達は、案内状とともに送られてきたテキストを手元に、二人のやりとりを聴いていた。自分の作品が選ばれなかった悔しさはあっても、面には出さないよう努めている。参加したからには一つでも多くのことを学んで帰ろうと、小会議室には良質な緊張感があった。
「浪人生の加奈子は突然彼氏に振られて、立て続けにバイトもクビに。予備校での成績も自己ワーストを更新。四六時中ネガティブなオーラを撒き散らしているから友達も減ってきて、彼女はどんどん自棄になっていくわけだ。そこで一人旅に出るとかじゃなくて、『バンジーやろう!』ってなるところが面白いね」
白峰の要約を聞きながら、改めて悔しくなるぐらい面白い作品だなと思った。
転がり落ちて行きながらバンジージャンプに辿り着くところは突飛なようで、しかし(こういう人いそう)と思わせる筆の強さが彩子の作品にはあった。「いまの自分から生まれ変わりたい!」という思いもまた多くの人が持っているものだ。強さと広さが両立しているのだ。
「詩的なタイトルもいいね。読む前はSFなのかなって思ったけど、バンジージャンプ中の視点とはね。これもやっぱり実体験で得たもの?」
「はい。バンジージャンプって本来高いところから落下していくスリルを楽しむものですよね? でも、バウンド中にふと空を見上げたら青空がくるくると回っていたんです。回っていたのはもちろん私なんですけど、近づいたり離れたり回ったり、バンジージャンプって空も楽しむことができるんだなって、そのときの気持ちも作品に込めました」
「なるほど。ただ、ここだけは筆が力みすぎたね。加奈子じゃなくて千葉さんの顔が作品に出ちゃってたから、物語がそこまでちゃんと抑制されていただけに、この力みはちょっともったいなかったかな」
「力み……」彩子は小考して言った。「平らな土地に杭が一本だけ立っていた、そういう違和感ですか?」
「そんなところだね。小さな杭がちょこっと顔を出しているぐらいならってあまり気にしない人もいるけど、世の中にはその一本を物凄く目障りに感じる人もいるもんでね、今後のためにも一応そういう人達がいるってこと覚えといたほうがいいと思う」
「はい。いま心に刻みました」
「でも、個人的にはいい描写だと思いました。文章自体には自信持っていいよ」
「ありがとうございます」
彩子の鉄仮面が少しだけ赤くなった。
「ちなみにこれ、もし友達が書いた作品だったらいくら出せる?」
「アマチュアならジュースの一本ぐらいは奢ります」
「プロだったら?」
「職安まで引っ張っていくでしょうね」
「あはは、千葉さんはおっかないなぁ」
畏まっているだけでなく、彩子は時折鋭いボールを投げ返す。
そういうところも含めて、詩織は講評の最中、彩子に対して何度か嫉妬を覚えた。
(白峰先生までいちゃいちゃいちゃいちゃ……)
ワークショップの残り時間も僅かとなってきたところで、白峰は講評の総括に併せて、参加者達へ今後のためのメッセージを送った。
「これは学生さんに限った話じゃないんだけど、世の中には自分が経験したことでしか物語をつくることができない作家志望者が多いです。身の回りのことや経験をベースにすること自体が悪いと言っているわけじゃありません。自分自身をそのまま書いてしまうのがよくない。フィクションとしての加工がないと、ただの日記になっちゃうからね。
読みものになるほど面白い人生なんてそうそうないんだから、ここは一つ腹を括って想像力で現実を超えていこう。想像力の土台がしっかりしてこないと、作家性もクソもないしね。千葉さんもまだまだ手の届く世界に留まっているから、次回作はもっともっと世界を広げてみてね」
彩子はしっかりと頷いた。プロの作家に何度か褒められたからといって慢心はない。彼女はこれからも前だけを見て走り続けるだろう。
「若いときにしか書けないものはあります。でも、瑞々しい感性や魂の強さなんてものは水物なので、そういうものに寄りかかるのはもうやめて、伝えたいことをちゃんと伝える技術、読者を意識した作品づくり、裏切られることのない技術を身につける努力を今日から始めてください。とても書けそうにない、このジャンルは向いていない、そういうものにこそ成長のチャンスがきっとあるはずだから。
あと、小説が上手くなりたかったら、何百時間でも何千枚でもとにかく書いてください。書いて直して書き上げる。この三点セットを一作一作精魂込めながら続けていく。
結局のところ、これしかないんだよね。負けても負けても勝ち続ける。小説を書くってそういうものなんだよ」
ワークショップは予定通り四時に終わったが、その後、参加者よりも白峰のほうが帰りたがらなかったので、小会議室の明かりは五時過ぎまでついていた。彼は写真撮影やサインに快く応じ続けた。
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