ゴーブの守る谷 5

 先に執務室を出たクールとセイは、城に戻っていいものかどうかを聞きそびれたため、中庭でミルディンを待っていた。


「ミルディン、まだかな?」


 回廊の奥をちらちらと窺うのだが、出てくる気配はまだない。


「ねぇセイ。何も言われてないんだから、帰っていいんじゃない?」


 退屈したアードがセイを促すが、セイは首を振った。


「さすがに黙って帰るわけにはいかない」

「じゃあ、じゃあ、誰かに伝言頼んでおけばいいよ」

「誰に?」

「たとえば、俺?」


 突然背後に立たれて、クールとセイは硬直した。

 がばりと振り返ると、ほけほけ笑ったダンが立っている。


「よう、ふたりとも。珍しいな、こんな場所で会うとは」


 片手をあげる青年祭司に、クールが上ずった声で言った。


「ダン、あんた、いつの間に…っ」

「うん? いや、たまたま通りかかったら、きみたちふたりが見えたもんだから」

「じゃなくて、近づいてくる気配が全然なかったぞ」


 忽然と現れるその動き、ただの祭司とは思えない。

 引き攣っているクールにダンはけろりと答えた。


「お前は騒がしいと、いつもご老体たちに説教をされていてねぇ。静かに移動するのがくせになっちゃったんだなー、あははははは」


 からから笑うダンを半ば呆れて見ていたセイは、柱の陰から顔を覗かせている人影に気づいた。


「……フィオナ?」


 そっと様子を窺っていた少女は、呼びかけられて文字通り飛び上がった。


「あっ、あのっ。話し声が、したから……」

「ん? ああ、フィオナ。久しぶり」


 気づいたクールが笑いかけると、フィオナはほっとした様子で肩の力を抜いた。


「セイも、クールも、ここにくるなんて凄く珍しいわね。どうしたの?」


 そろそろと近づいてくるフィオナは祭司見習いの少女だ。肩に届くくらいのくせのない髪は赤みの強い茶色で、ブラウンの瞳は透きとおっている。ふたりとひとつ違いの十五歳なのだが、少々幼さの残る面差しはもっと年下に見える。柔らかそうな頬と丸くて大きな目が印象的な少女だ。

 フィオナはダンの横で足を止めた。セイに近い側だ。

 セイの肩に留まっているアードと、クールは無言で視線を合わせた。アードはさりげなくクールの肩に移動する。


「セイ、あの…この間、ニクサを召喚したって聞いたけど……」


 おずおずと尋ねるフィオナに、セイは淡々と答えた。


「一度だけ」

「じゃあニクサと契約できたの?」


 期待を込めた眼差しを向けてくるフィオナに、セイは短く言った。


「まだ」

「そ…う……」


 フィオナの笑顔が音を立てて固まった。彼女の頬からざあっと音を立てて血の気が引いていく。

 しまった。これはもしや、禁句だったのか。召喚できたと聞いたので、契約が成ったのかと早合点してしまった。


「…………が…がんばって、ね……」


 それ以上言葉の出てこないフィオナに、セイは怪訝そうに瞬きをする。


「?」


 他方、ダンとクール、そしてアードは、フィオナに心の底から同情していた。

 努力むなしく、フィオナの気持ちはセイにまったく届いていない。

 彼は別に冷たくあしらっているわけではない。他者とのかかわりを極力避けたい彼がこうやって言葉を交わすくらいだから、どちらかといえば親しみを持ってさえいる。

 単に気づいていないだけである。

 どうにかして助け舟を出したいところだが、クールも口がうまいほうではない。助けたつもりが裏目に出る可能性が無きにしも非ずのため、下手に口を出せないでいるのだ。

 クールもアードも、心の中ではいつもフィオナにエールを送っている。

 極々たまに、さりげなく彼女のことを話題にしてみるのだが、空振りするのが常だった。

 ごめんフィオナ、俺たち役立たずで。

 胸のうちで詫びるクールとアードだ。

 セイは、誰かが自分に好意を向けてくれるということを、たぶん想像できないのだ。

 チェンジリングとして忌み嫌われた過去を、彼は自分の口からはほとんど語らない。

 だからそれはあくまでもクールの想像だ。けれども、あながち的外れではないと思う。

 そして、相棒と祭司見習いの少女の行く末に気を揉むクールのことを、ダンはずっと気にかけている。

 クールはセイのことを鈍いと思っている。しかし、自分に向けられる好意の質の差がわからないという点ではクールもセイといい勝負だ。

 存在そのものを忌まれたセイにとって、育ての親である老祭司がすべてだった。それ以外の人間が自分をどう思っていようと、セイにはなんの意味もなかったのだろう。

 それに対して、クールは無関心と悪意に囲まれて生きていた。ミルディンに連れられてやってきたオグマ城で、生まれて初めてあふれんばかりの善意と好意に包まれた彼は、どうもそれ以上を望むことをやめてしまったふしがある。

 騎士の大義は重要だが、個人としての幸せもおろそかにしてはいけない。

 クールにもいい子が現れてくれたらといいのにと、ダンはひそかに思っている。

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