第2話


 燦々と照りつける朝日が、山間の村の家々を照らし出す。

 戸数の少ない神賀村かみがむらには、宿と言える施設は一軒しかない。祭りの前日だというのに一組しか客が入っていないような、しなびた温泉宿がそれだ。


 その唯一の客は二人連れだった。

 ひとりは長い黒髪の少女。

 もうひとりは老境に差し掛かった紳士。

 

 ふたりはレストランと居酒屋の中間のような食事どころでテーブル席に座り、くつろいだ浴衣姿で朝食を摂っていた。

 紳士は焼き鮭を器用にほぐしながら、少女に笑いかける。


「山奥であっても魚料理が出てくるのはどういうわけなのでしょうな、まりあ様」

「宮内」


 まりあと呼ばれた少女は老紳士を呼び捨てにした。


「食事中は静かに。それと、息が酒臭い」

「はっはっはこれは失礼」


 変化の乏しい表情の少女が眉を寄せて不快感を表明するも、宮内は軽く笑い飛ばした。


「飲み過ぎ注意」

「御意に」

「口だけ執事」

「いやはや、まりあ様は朝から手厳しい」


 まりあは無視して食事を再開。

 宮内も苦笑を浮かべて、黙って鮭の身を解す作業に戻った。


 そこへ、温泉宿らしからぬ足音がバタバタと近付いてくる。


「失礼します!」


 返事も待たず食事処に男が飛び込んできた。

 宮内は穏やかな、だがはっきりとした口調で抗議する。


「確かに失礼ですな。我々は客で、今は食事中ですぞ」

「申し訳ございませんっ」


 勢いよく頭を下げた男に、紳士は見覚えがあった。


「おや、貴方はたしか」

「昨夜酒の席をご一緒させていただいた、村の青年部の者です。宮内さん」


 酒の席、のところでまりあがキロリと宮内を睨んだ。

 宮内は見なかったことにして軽口を叩く。


「青年と言う割には年嵩としかさですなあ」

「仰る通りで」

「その青年部の方が、朝から血相を変えて何用で」

「宮内さん、元・刑事のお力を貸していただきたい」


 まりあが「宮内」と名を呼んだ。目付きはより鋭くなっている。


「はっはっは、酒で口が滑らかになりすぎたようですな」

「断酒。一週間」

「三日にまかりませんかな、まりあ様」

「駄目」


 宮内はやれやれと吐息。


「して、この老体を頼りたいとは、何事です?」

「それが、その、人死ひとじにが出まして、現場検証に立ち会ってもらいたいのです――」

「ほう?」





 宮内とまりあは、青年部の男の案内での問題人死にの現場を訪れていた。


 服装を整えたふたりの恰好は、田舎の村ではひどく浮いていた。

 宮内はかっちりとしたチャコールグレーのスリーピーススーツ。ネクタイまできちんと締めている。まりあの方は漆黒のゴシックロリータワンピース。


 現場は村の中心部からはやや外れた場所だった。山の中腹にある神社に続く長い長い階段の一番下の石畳。その上に遺体が倒れていた。シートが掛けられてはいるものの、ソレは明らかに成人男性のサイズをしていた。


 集まってきた年老いた村民たちが遠巻きに野次馬をしている。

 現場を管理しているのは制服姿の、定年間際と思しき警官だった。

 青年部の男が彼に話をつけてくれた。


「御足労おかけしてすみません!」

「駐在さんですかな?」

「はい。村でこのような事故はありませんで、恥ずかしながら勝手がわからずオタオタしておったところ、宮内さんのことを教わりまして」

「そうですか。私は現職ではありませんが、拝見しても?」

「こちらからお願いしとるんですから、勿論」

「では失礼」


 宮内がシートを剥ぎ取ると、彼よりも前にまりあが進み出た。

 仁王立ちで遺体を見下ろし、確認している。


「あの、そちらのお嬢さんは」

古門戸こもんどまりあ」


 と、まりあは視線どころか顔も向けずに名乗った。


「私のあるじです。どうぞお気になさらず」

「は、はあ」


 宮内もまりあの脇に立ち、遺体を確認した。


 遺体は若い男性のものだった。ワイシャツにスラックス、黒い靴下。宮内と同じでこの村には似つかわしくない格好だ。後頭部から血が流れているのが目視で分かる。頭部の陥没骨折が死因であることは間違いなさそうだった。


「わかっている範囲で情報をいただいても宜しいですかな?」

「遺体の身元は加々村一郎太。三十五歳。村長の息子さんです。階段から足を滑らせて転がり落ちて、石畳に後頭部をぶつけた形跡があります。脳挫傷が死因の事故死、と考えております。死亡推定時刻は昨日深夜から本日未明までの間――」

「質問ですが」


 宮内は駐在の言葉を遮り、小さく手を挙げた。


「死亡推定時刻がかなり限定されていますが、鑑識の結果ですか?」

「いえ、鑑識はまだ県警から来ておりませんで」

「ではどうやって限定したのですかな?」

「昨日の深夜までこのあたりは祭りの準備で人が大勢おりまして。明け方に散歩をしておった年寄りが遺体を見つけましたので、その間に亡くなったのでは、と見当をつけとります」

「なるほど」


 頷く宮内の袖を、まりあが引っ張った。


「宮内、変」

「どうかされましたか?」

「この人、靴、履いてない」

「履いておりませんな」

「この村には靴を履かず外出する習慣が根付いてるの?」


 真顔でそんなことを口にするまりあに、駐在は曖昧な笑みを向けた。


「そんな習慣はありゃしませんよ」

「でもこの人は靴を履かずに外に出て、階段から転げ落ちて死んでる。すごく、変」

「変……?」

「靴下」


 とまりあは言った。


「靴を履いていないのに、靴下の足裏が汚れてない」


 宮内が言葉足らずなまりあの発言の補足をした。


「村の道は殆どが未舗装ですからな。靴を履かずに歩けば靴下に土なり砂なりが付くのが自然でしょう。被害者の――加々村さんは、靴下を汚さずどうやってここまできたのか、とお嬢様は申しているわけですな」

「えっ、と。あの、このお嬢さんは一体」


 狼狽する駐在に、宮内は先程と同じ言葉を繰り返した。


「どうぞお気になさらず」


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