第17話 終焉と生存


「うぉぉおおおおおおおおおっ!」


 火事場の馬鹿力で妹をお姫様抱っこして走って走って走る!

 背後には仲良く襲ってくる魔物が二匹もいるんだ。


『ヂュウ!』

『ヂュアッ!』


 探索者! 魔物がここにいるから退治してくれ! お願いだ!


「ユナ! しっかり掴まってろ!」

「う、うん!」


 首に手を回し、痛いくらいギュッと抱きついてくる。

 これくらいしっかり掴まってくれた方が走りやすいし落とす心配もないから安心だ。俺も力加減をしている余裕はない。ユナも痛い思いをしているだろうし、揺れて抱かれ心地は最悪だろう。

 ごめんな。もう少しだけ我慢してくれ。


「お兄、大丈夫?」

「大丈夫だ。妹のためだったら死神だってぶん殴ってやる!」

「……その鼠顔の死神が2メートル後ろにいるんだけど」

「なにっ!? 2メートル!?」

『ヂュウウウ!』

『ヂュアアアアアアッ!』


 おいおい。奴らがちょっと飛び掛かっただけで襲われてしまう距離じゃないか。

 本当に不味い。ガチでヤバい。危機的状況。

 何かないか? この状況を覆せるものは何かないか? 何でもいい。奴らの気を逸らすことができれば。

 10メートルほどでもいい。奴等から距離を取りたい――!

 深く強く心の底から願ったその瞬間、俺は軽く躓いた。


「っ!? ヤバい!」


 転びかけたが何とか持ち直し、魔物から逃げるために全力疾走を続ける。


「え?」


 ユナの戸惑った声が聞こえたのはその直後のことだった。


「お兄。今……」

「なんだ!?」

「一瞬で移動して……」


 一瞬で移動? 何を言っているんだ。アニメの観過ぎか?

 とにかく俺は足を動かせ! 力を入れろ! 踏ん張りどころだぞ!


「ユナ! 魔物は!?」

「えーっと、10メートルくらい差がついてる」

「はぁっ!?」

「だってそうなんだもん! あ、スピードを上げてる! お兄頑張って!」

「おう! お兄ちゃんに任せろ!」


 妹の応援が一番の力になる。

 心なしか遠くなった魔物の咆哮をBGMに、お姫様を抱っこした冴えない高校生は街の中を駆け抜ける。

 そして、建物の陰からのっそりと現れた三体目の鼠の魔物。


「三体目はいらないって!」

『ヂュオッ!?』


『え? 何事?』と一瞬キョトンとした魔物は、ずっとそうしていればいいものを『あ、餌だ!』と俺たちに気づき、追手の輪に加わる。


『ヂュアッ!』

『ヂュウーッ!』

『ヂュオォッ!』


 巨大な鼠の三重奏。俺、鼠が嫌いになったわ。もう一生見たくない。


「お兄! 危ないっ!」


 背後を警戒してくれていたユナの叫びに背筋が凍る。

 魔物が飛び掛かってきたのが本能で分かった。あとゼロコンマ数秒で俺は魔物に捕まる。その前にユナだけでもできるだけ遠くに! もっと遠くに――


「うぉぉおおおおおおおおお!」


 その時、世界がブレた。

 俺とユナはそのままで、周囲の景色だけが後ろへと猛スピードで過ぎ去っていく。

 新幹線に乗った時に近くの景色がビュンビュン通り過ぎていくみたいな光景に似ている。だが、風も空気抵抗も全く感じなかった。


「一体何が起きた!?」

「また! 魔物との距離が開いた! 一瞬で移動したの!」

「魔物が後ろに?」

「違う! 私たちが前に! 瞬間移動したみたいに!」


 なぜ不思議現象が起きたのかわからないが、これはありがたい。これで少しは時間を稼げる。

 出来るならばもう一度移動したい。今度はもっと遠くへ。

 そう強く願うとまた景色がブレて、一瞬にして50メートルほど移動していた。


「えっ!? またなの!?」

「一瞬で移動するのはいいが、走った分の倍以上の体力を消費するのか……はぁ……はぁ……」


 お姫様抱っこをして50メートルも全力疾走した以上の疲労が襲い掛かってきた。

 ユナの応援によるドーピングも限界を迎えた。妹を支える腕に力が入らない。しかし、足を止めるわけにはいかない。

 一歩足を踏み出した時、


「お兄! しゃがんで!」


 悲鳴に似た妹の叫び声に無意識に反応して、ユナを庇って地面に転がる。

 数秒遅れて太陽の光が遮られ、巨大な質量体が地面に激突した。衝撃で地面が震え、ガラスの破片が弾丸のように降り注ぐ。

 空から降ってきたのは市営バスだった。ひしゃげた車体が俺たちの行く手を阻む。


『『『 チュ~チュチュチュッ! 』』』


 三匹の鼠たちがバスに体当たりして吹き飛ばしたようだ。

 魔物のくせに知恵が回る。笑い声らしき鳴き声がうざったらしい。

 獲物を追い詰めたと鼠たちは悠然と近寄り、


『チュアッ!』

『ヂュ? ヂュオ!』

『ヂュウ! ヂュヂュヂュウッ!』


 何やら三匹が喧嘩を始めた。最初に誰が襲い掛かるかで揉めているのかもしれない。

 一匹の鼠が隣の鼠に噛みつき、揉み合った二匹がもう一匹にぶつかる。ぶつかられた鼠は激高して飛び掛かった。

 鋭い牙が肉を抉り、激しくぶつかり合うことで血をまき散らす。


「仲間割れしてる……」

「放っておけ。この隙に体力を回復させる」


 息を大きく吸って肺に酸素を送り込む。『自己診断』アプリが極度の疲労と酸素不足を警告してくる。

 鼠たちの喧嘩は残念なことにすぐに決着がついた。

 一匹が殺害され、勝者の二匹がその亡骸を喰らい始める。


「共食い……」


 あっという間に骨まで喰らった二匹は、心なしか大きくなった気がする。傷も再生されている。

 ブルリと震えて動きを止めたかと思うと、左右に分かれて分裂した。その分裂をもう一度繰り返す。

 サイズは小さくなったが、全く同じの鼠が八匹。


「おいおい……それってありかよ……」

「複製体を作り出すなんて……」


 俺たちを取り囲むように扇状に広がった鼠たちに絶望を隠しきれない。

 ユナを背後に庇ってゆっくりと後退る。魔物を睨むのも忘れない。

 数メートル下がったところで、転がったバスにたどり着いてしまった。もう後ろには逃げられない。

 俺たちが袋の鼠状態。


『ヂュッヂュッヂュウ~!』


 今にも襲い掛からんと鼠が笑ったその時、


『ヂュワァァアアアアアアアア!』


 力強い雄叫びが街に響き渡った。巨大な影がバスの上から飛び降りてくる。

 1メートル近い新たな魔物の追加だった。


「勘弁してくれ……」


 これが探索者だったらよかったのに。

 このまま仲間に加わり俺たちに襲い掛かると思いきや、新たな魔物は包囲網を敷いていた魔物の群れに突っ込んだ。

 分裂したばかりの小さな魔物を踏みつぶし、噛み殺し、体当たりで蹴散らす。

 蹂躙という言葉がふさわしい。

 数の暴力で抗うが、体格差で押し負けてしまう。


「これって、助けてくれたの?」

「わからない。取り敢えず逃げるぞ」


 何とか動けるくらいには体力が回復した。足が鉛のように重いが動かすしかない。

 息を殺して逃げようとしたところに、何かが飛んできてバスに激突する。生温かい液体が俺たちに降りかかった。


「きゃあ! 血!?」

「鼠の死体だと!?」


 気付けば戦闘が終わっていた。勝者は巨大な鼠。


「どうやら俺たちを助けるためじゃなくて、独り占めするために仲間を殺したみたいだな」


 俺たちの行く手を阻むように放り投げられた鼠の死体。唯一残った魔物が血を滴らせながらニヤリと獰猛に笑った。


『ヂュワワワッ!』


 前足で地面を掻いた。俺たちに飛び掛かる準備だ。

 この後、全身のバネを丸めて弾丸のように走り出すのだろう。

 俺たちの命はあと数秒だ。

 簡単には死んでやらない。一矢報いてやる。俺や俺の死体に気を取られている間にユナには逃げて欲しい。いろいろと約束を交わしたけど、ごめん。ダメそうだ。


「お姉ぇー!」


 俺が覚悟を決めた時、突然、ユナが叫び始めた。


「お姉ぇー! 助けてー! えすおーえすっ! プリンの危機だよ!」

「ユナ! 魔物を刺激してどうする!?」

「絶体絶命なんでしょ! 何もしないで死ぬのを待つよりは、お姉が駆けつけてくれる僅かな可能性に賭けたいじゃん!」


 それもそうだ。ユナの言う通りである。

 ギャンブラーユナの賭けに乗ってやる!

 もし駆けつけてくれなかったら兄妹そろって化けて出てやるからな。呪ってやるからな!


「ザトス! このままだとプリンが食べられなくなるぞ!」

「助けてくれないと、もうご飯を作ってあげないからね!」

「俺たちはここにいるぞ!」

「お姉! お兄がお姉の分までプリンを食べちゃうってよー! お姉の分をお兄にあげちゃうよ! いいのー?」

「そうだ! ザトスの分のプリンを食べてやるー!」


 巨大な鼠が飛び上がる。俺たちはもう抗うことはできない。

 鋭い歯を生やした口が大きく開いた。ねっとりと唾液が糸を引く。


「――ザトスッ!」






「んっ! ごめん。遅くなった」







 白い髪が揺らめき、黒い小柄な体が俺たちと魔物の間に割り込む。


「ユイナとトビトを襲うなんて許せない!」

『ヂュワァッ!?』


 間一髪、間に合ったザトスは、そのまま飛び掛かってくる鼠を蹴り上げた。

 激怒した彼女の身体から純白の魔力が噴き出す。至近距離から渦巻く膨大な魔力を浴びて呼吸ができない。


「私が――プリンを食べられなくなるでしょ!」


 あぁ……やっぱり俺たちを助ける動機はそれですか。プリンですか。

 ヒロインの危機に駆け付ける主人公みたいで感動していたんだけどなぁ。

 プリンで全部台無しだよ!

 ザトスは片手を挙げ、重力に引かれて落下する鼠に狙いを定めた。

 本能が危機感を覚えるほどの莫大な魔力が小さな手の平に集まっていく。


「全てはユイナのプリンのために。終焉おわりよ」


 極太の純白の閃光が放たれ、一瞬にして魔物を消し飛ばした。その先にあったビルの屋上も一部抉れたが些細なことだろう。

 数百メートル級の魔物でさえも倒す一撃だ。鼠の魔物は、塵一つ残さずこの世界から消滅したにちがいない。

 もう大丈夫。ザトスが来てくれたからもう安全だ。何匹襲ってきたとしても、彼女が全て倒してくれる。

 魔力砲が消失し、恐怖心や緊張感から解放された俺とユナは、思わずその場に座り込んだ。


「ハハッ……生きてる、よな?」

「うん……生きてる、よ?」


 腕の中の妹の感触で生を実感する。笑いが込み上げてきて止まらない。

 そうだ。俺たちは生きているんだ! 生きてるって素晴らしい!


「ザトス、ありがと」

「お姉、助けてくれてありがとね」

「二人とも、遅くなった。包囲網を抜けた魔物が二人を襲うとは思わなかったの」

「俺もユナも生きてる。そんな些細なことはどうでもいいよ」


 今ならユナの料理をザトスに盗られても笑って許せる気がする。


「ところでトビト。私のプリンを食べるって聞こえたんだけど、それはどういうこと? ねぇ? どういうことかな?」


 目だけ笑っていないニッコリ笑顔に背筋が凍り付く。

 彼女の周囲に白く煌めく魔力がにじみ出ている気がする。魔物に襲われたとき以上の生命の危機を感じる。ガクガクブルブル。

 えっと、それはザトスさんを呼ぶための嘘であって、決して、決して本当のことではないのです……。


「判決、有罪ギルティ。罪人トビトは私にプリンを献上すること」

「それだけはご勘弁を裁判長!」

「ダメ! 私のプリンを盗ろうと考えることがもう重罪。禁忌」

「そんなぁ!?」

「あぁもう! プリンくらいならいくらでも作ってあげるから!」

「許す! トビト無罪放免!」

「ユナ様愛してるー!」


 疲れきった俺はユナを巻き込んで地面に寝転んだ。しばらく動きたくない。


「お兄」

「なんだ? んぁっ!?」

「わぁおっ。大胆」


 突然、ユナにキスされた。それもとびっきり熱烈で濃厚なやつ。

 海外映画では、主人公とヒロインが生き残って濃厚なキスをするシーンがあるけれど、それに似た感じ。

 周りや相手のことなど考えずに、ひたすら自分の欲望に従って相手の唇を貪る。格好悪かろうが、口の周りがベトベトになろうが気にしない。激しい水音が耳朶を打つ。

 極度の緊張。死への恐怖。安心と安堵。疲労。

 生存本能が刺激されたことによる興奮状態と極度の疲労で、俺もユナもおかしくなっているのだ。

 唾液で濡れた舌がねっとりと絡み合い、吸い付き、吸い付かれ、お互いの唾液が混ざり合う。相手を深く感じる。

 脳が甘さで蕩け、背筋に電流が駆け巡った。


「ふぅ!」


 優に数分はキスしていただろう。一方的に満足したユナが離れる。

 髪はボサボサ。服も汚れ、汗と土と血でベトベト。口の周りも唾液で濡れ、俺との間にねっとりとした銀色の橋が架かっている。

 でも、今までに見た中で一番美しい。


「生き残ったご褒美。どう? お兄。一生消えない記憶を植え付けてあげたよ」

「一生消えない記憶ってそういうことかよ……」


 こんな熱烈で鮮烈な体験は一生忘れることができない。しかも、拡張アプリ『完全記憶』のおかげで、今のキスの感触やお互いの舌の動きまで全て鮮明に思い出すことができる。


「ブラコンシスコンだとは思っていたけど、ここまでとは……アブノーマル。だが、それがいい!」


 ザトスさんは俺たち兄妹のキスを指の間からバッチリ見ていたようだ。なんかもう、全てどうでもいいや。何か言う気力もない。


「疲れたな……」


 ユナを抱きしめて呟く。彼女も小さく頷く気配がした。

 雲一つない青空。背中には硬い大地。肌を撫でる風。腕の中には愛しい妹。

 ようやく俺は実感する。


 俺たちは生き残った――

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る