Ⅰ 化け物


 目覚めた友也ともやは悲鳴を上げた。

 これは何なのだ。

 病床に横たえられた己れの姿は化け物だった。病衣の半袖からむき出されて伸びる両腕は、水と脂を含んだ有機質の皮膚に覆われ、全身が肉か何かで造られたかのようにねっとりと重く、柔らかい。硬さを失った指で探ると、眼球も口の奥もペニスもぬめぬめとした粘膜に包まれていて、強く圧迫すると今にも壊れそうだった。あまりのおぞましさに、もう一度叫びを上げる。だが、左腕がギブスにきつく固定されていて動かず、もだえることもままならない。点滴チューブや心電コードの這い回る自分ではないその肉体を何とか脱ぎ捨てようとなおももがき回っていると、白衣姿の男と女が現れて、頭の上から友也をのぞき込んて来た。どちらも同じ様に気色の悪い有機物のかたまりだった。

「どうされました?」

 きつい抑揚の、耳慣れないイントネーションで女が尋ねる。割れた口に真っ白な歯が現れた。怖ろしくてたまらない。

「落ち着いて」

 男が言う。

「痛いの?」

 声帯が強張り、もはや声が出ない。

「鎮静剤を」

「よせっ!!」

 だが、叫びは声にならず、意識の内側に歪んだ木霊を響かせただけだった。

「じっとして」

 白い歯の医者は、虚しく抵抗しようとする友也の体を、その気味悪い二本のかいなでいとも軽々と制圧すると、注射器の内の液体を肩口に射ち込んだ。

「よせ … 」

 暴れたくても悪夢のただ中にいるように手応えがなく、音なき悲鳴をきながら、意識がまた薄闇へと墜ちて行く。


 それからの二、三日、友也は幾度となく、化け物になり果てた我が身を脱ぎ捨てたいという狂おしい衝動に駆り立てられ、死ぬ機会をうかがい続けた。だが、常に監視されているICUのベッドに寝たきりの状態では為す術もなく、やがてそんな最初の譫妄せんもう状態が徐々にさめて行くに連れて、次第に自制心が芽生えはじめた。いつしか、彼は自身と自分の体を切り離して考えられるようになり、周囲と己れの状況を、ある程度までは冷静に観察できるようになってきた。

 運が良かった、と彼らは言う。左腕の骨折と半身の打撲で済んで幸いだった、臓器や脳波にも異常はない、と。車と接触してね飛ばされた割には奇跡的な軽傷だった、と。

 だが、彼は何ひとつ憶えていなかった。自分が何者であるかもわからず、医者や警官や、毎日のように見舞いにやって来る「家族」たちに何かを尋ねられても、一片の記憶さえ戻ってはこなかった。まるで蘇るべき過去などはなから存在していなかったかのように …

 ただ一つ、ふとした拍子に、脈絡もなく突然現れて脳裏をぎって行く黒い大きなリムジンの残像を除いては。

 今、友也にわかるのは、自分がおぞましい化け物の体に閉じ込められてしまったことと、ここが見知らぬ虚構の異世界であり、医師も看護士も、家族やクラスメイトと称する者たちも、他の入院患者たちでさえ、ぐねぐねと這い回る五本の指と白い歯を持つ、血と骨と肉でできた異形の者たちだという事実だけだった。

 二週間後、表向き錯乱の静んだ友也は一般病棟の個室に移された。

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