第7話 支えてくれる友(幸也)

 六月に入り、梅雨も本格化しだした今日この頃。小さなたこ焼き屋の店内には、FMラジオとアーケードを叩く雨の音だけが、BGMとして流れている。


 今日も今日とて、お昼時間を過ぎれば、俺は暇を待て余していた。


 まだなんとか生活は出来ているが、これだけ暇だと気持ち的にはもうギリギリだ。あと少しネガティブな状況になると心が折れてしまうだろう。


「よう、元気でやっとるか?」


 店のドアが開き、ふざけた調子で草薙保(くさなぎたもつ)が入って来る。


「こんなに暇じゃあ、元気も出ねえよ」


 俺は自嘲気味に返した。


 保は商店街の駅側の入り口にある喫茶店「スイッチ」のマスターで、俺の幼馴染。奴は元々、近所のサラリーマン家庭に生まれ、商店街の中では珍しく後から店を始めた人間なのだ。


「いつもので良いか?」

「ああ、頼む」


 保はうちの店に来ると、いつもネギタコを食べて行く。たこ焼きの上にソースを塗って、生の刻みネギをたっぷり乗せてからマヨネーズを掛けて仕上げる、当店一押しの品だ。


「ほい、いつものやつ」

「おお、サンキュ」


 俺はネギタコを乗せた皿をカウンターに座る保の前に出し、厨房に戻ってたこ焼きを焼き始める。


「売り上げはどうなんだ?」


 保が俺の背中に訊ねる。


「見ての通りだよ。商店街の中で、調子の良い店なんてあるのか?」

「そうだな。俺の店を含めて、調子が良い店はないだろうな」


 重い話題はそれ以上続かず、俺は黙って焼き続けた。


「商店街のみんなで協力して、何か対策を考えないといかんな」


 俺がたこ焼きを焼き上げるまで待っていたのか、振り返ろうとした瞬間、保が俺の背中に話し掛けてきた。


「次の会合で話してみようと思うんだけど」


 返事をしようと振り返ると、先に保が続けてきた。


「会合か……」


 商店街では、月末の火曜日の晩に、親睦会的な会合が開かれる。火曜の晩に開かれるのは、水曜を定休日にしている店が多いからだ。


 開催場所は、商店街唯一の居酒屋「一松屋」と決まっている。場所が場所だけに、ただの飲み会になることが多い。商店街は現在営業しているのは、地方銀行の支店と商店が二十二店舗。五店に一店舗ぐらいはシャッターが閉まったままだ。二十二店舗の全員が集まれば席が足らなくなるが、そんなことは一度も無いので、特に一松屋で困ることはない。


「今ならまだ、何か手を打てば間に合うさ。商店街に活気が戻れば、閉めている店に人が入って来るだろう。頑張ろうぜ」

「そうだな」


 保の言葉を肯定したものの、店を続けて行くのに迷いがある俺は、気持ちの温度差までは合わすことが出来ない。保はそんな俺に気付いたのか、黙って顔を見つめてくる。


「幸也、お前こっちに戻って来てから、変わったな」


 戻って来てからか……。


 俺は東京の大学に進学して、一度地元を離れた。卒業後も向こうの会社に就職して、同僚だった香澄(かすみ)と結婚。しかし数年後には離婚してしまう。離婚を機に会社を辞め、実家に戻ってたこ焼き屋を継ぎ、今ここに居る。


 元々母は幼い頃に亡くなっていて、短命だった祖父から店を継いだ親父も、俺が帰って来た途端に体を悪くして死んでしまった。今、俺は一人孤独に店を続けている。


 保が喫茶店を始めたのも、俺の親父が死んだ頃だ。もし保が店を始めてなかったら、今頃俺は、とっくにたこ焼き屋を辞めていたかも知れない。


「そんなことは無いよ。歳を取って落ち着いただけさ」


 俺がそう言っても、保は俺の顔を真剣な表情で見つめたままだ。


「俺はお前と勇一に借りがあるんだ。もし悩んでいるなら言ってくれよ」


 勇一とその妻の裕子ちゃん、それに俺と保は小学校から一緒の幼馴染みだ。勇一は商店街にある青果店の息子で、高校を卒業してすぐに家業を継いだ。俺達みんなの憧れだった裕子ちゃんと結婚し、一人娘の茜ちゃんが産まれてすぐ、家族を残して勇一は事故で死んでしまった。


 保が俺と勇一に借りがあるとは、小学校時代の盗難騒ぎのことだろう。


 それは六年生時代に起こった出来事。ある日の体育の授業が終わった直後、クラスの梶本という男子が財布のお金が無くなったと騒ぎ出した。運悪く、保は体育の授業が始まる直前、忘れ物を教室へ取りに戻っていたので疑われた。


 梶本の親が出てきて学校に抗議する騒ぎになったが、俺と勇一は絶対に保は盗んでいないと擁護した。学校も仕方なく保に事情を聞いたが証拠は出て来ない。梶本は悪目立ちする奴で、クラス内で保を孤立させようとしたが、俺と勇一が味方して孤立させなかった。結局、後から梶本自身がお金を使い込んでいたことが発覚し、保の疑いも解けたのだった。


 その一件があってから、保はここぞと言う時には借りがあるんだと俺達の力になってくれる。俺達はずっと仲間で助け合ってきたので、貸し借りなんてとうの昔に無くなっているのに、未だにそう言うのだ。


「ありがとう。力になって欲しい時には必ず相談するよ」


 俺は貸しがあるとは思っていないが、保の言葉を否定しなかった。「貸しなんて、もう無いよ」と言葉にするのは、保の気持ちまで否定する気がしたのだ。


「じゃあ、次の会合までに、何か良いアイデアを考えといてくれよ。俺も考えるから」


 そう言って、保が席を立とうとした瞬間、俺は閃いた。


「そうだ、お前の店の藤本さんも連れて来いよ」

「藤本を?」

「そうだよ。あの娘、たまにここに来てくれるんだけど、いろいろ助言してくれるんだ。会合に連れて来たら、面白いアイデアを聞かせてくれるかも知れんぞ」

「そうか……分かった。話してみるよ」


 保はたこ焼き代を払って帰って行く。俺はその姿を見送った後、急にテンションが下がる思いがした。


 本当になんとか持ち直すことが出来るんだろうか?


 一人になると、またネガティブな気持ちが湧きだしてくる。


 駄目だ。こうやって、立ち止まったまま、ネガティブな気持ちを膨らましても何も生まれない。出来ることをやるだけやってみよう。やるだけやって、それでも駄目なら店を畳めば良い。


 香澄(かすみ)と別れて以来、ずっと後ろ向きな気持ちで生きてきた。でも、俺には頼れる友もいるんだ。もう動き出さないと。


 俺は自分を勇気づけようと、心の中で「動くんだ、動くんだ」と唱え続けた。

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