第5話 空気の読めない勇者(直人)

 席替えの結果、俺は片思いしている香取さんの友達である、委員長の増田茜の隣になった。これで香取さんと親しくなれると喜んでいたのだが……。


 現実は違った。


 香取さんと委員長、二人はこのクラスのカーストで言えば最上位に位置している。特に委員長は長身スレンダーで長いストレートの黒髪、物怖じしない性格でクラスで最も目立つ存在。誰とでもすぐに仲良くなり、まだそれぞれが馴染んでいないクラスで、真っ先に推薦されて委員長になったぐらいの人物なのだ。


 当然、彼女の周りには人が集まってくる。休み時間ともなれば委員長の席の周辺は人の輪ができる。集まってくる男女はみんなカーストの上位に位置する人達ばかりだ。平凡な俺はその輪の中に入れる訳もなく、押し出されるように席を立つことになり、そこに誰かが座ってしまい、授業が始まるまで戻れなくなる。


 これじゃあ、いつまで経っても香取さんと仲良くなれるはずが無い。


 俺は焦る気持ちを抱えながらも、仕方なく休み時間の度に、同じ柔道部でクラスで一番仲が良い長谷川芳樹(はせがわよしき)の席に避難していた。


 芳樹は俺より背は低いが、横幅は広いずんぐりとした体型をしている。素朴で良い奴なのだが、空気が読めないところがあって本人もそれを気にしていた。



「なんだよ、溜息なんか吐いて」


 三時間目が終わった後の休み時間、俺は芳樹の前の席に避難して時間を潰していた。自分の席のことは気にしないように雑談していたのだが、ふと目に入り気が滅入ったのだ。


「えっ、何でもないよ」

「そうか? 俺が空気読めないから、お前の悩みを分かってやれないんじゃないのか?」

「いやいやいや、変に気を回すなよ」


 俺は気を使われたくなくて、作り笑いでそう応えた。


「だってお前、席替えしてから休み時間の度に俺のところに来るようになったじゃないか。たまに溜息吐いているのも分かっているんだぞ」


 鈍感な芳樹にも分かるくらい、俺は憂鬱そうな様子だったのか。気を付けなきゃ。


「友達だから来ているだけだよ」


 そう言いながらも、俺は反射的にチラリと自分の席の方へ視線を送ってしまう。


「ああ、あいつらか。リア充ぶりやがって腹立つよな」

「うん? まあ、そうだな……」


 確かに楽しそうな奴らを見ていると苛立たしくなる。でも、それは嫉妬だと分かっていた。俺もノリ良くあの輪の中に入って香取さんと楽しく話がしたい。そう思っていても出来ないだけなのだ。


 だが、こうやって眺めているだけじゃ、あの中にいる男子二人のどちらかが香取さんと付き合い出すかも知れない。あの二人と比べてコミュ力以外は劣っているとは思わない。奴らは勉強も部活もしないのに、流行に敏感でトークが上手いだけであの中に入っている。香取さんと委員長を含めた女子四人が目当てなのは確実だ。なんとか香取さんを守らないと……。


 俺がそんなことを考えていると、芳樹が急に立ち上がる。


「俺、行ってくる」

「えっ?」


 驚く俺に構いもせず、芳樹はずんぐりした体をゆすって、どんどん委員長たちの輪に近付いて行く。


「あのさあ、そこは直人の席だろ? 邪魔だからどいてやれよ」


 芳樹は俺の席の前に立つと、そこに座っている斉藤という男子に文句を言った。


 言われた斉藤も輪の中の他の生徒も、芳樹の意外な行動にぽかんとして反応できない。


「なに? どうしてあなたが若宮君の席の事で文句を言ってくるの? それに斉藤君は空いていたから座っているだけでしょ、奪い取ったみたいに言うのはおかしいじゃない」


 最初に我に返った委員長が芳樹に言い返す。その言葉は俺が聞いても正論だと思った。


「お前らが休み時間の度にここに集まっているから直人が居づらくなるんだろ」

「だとしてもなぜ長谷川君が文句を言いにくるの? 自分で言えないからってあなたに言わせるなんて卑怯だわ」


 そう言って、委員長は睨みつけるように俺を見る。その動作をきっかけにその場にいるみんなの視線が俺に集まった。


 いや、俺は何にも頼んじゃいないのに、芳樹が暴走しただけだろ。


 香取さんまで冷たい視線を送ってくるので焦った。


「あいつは何も言ってないぞ。俺があいつの気持ちを汲み取ってお前らに言いにきたんだ」


 なぜか芳樹は誇らしげにそう言った。


「なんだよ、それ。お前が勝手に怒っているだけじゃないのか? ほら、若宮を見ろよ、困ったような顔しているぜ」

「そうよ、こんな事で文句を言ってくる方がおかしいよ。長谷川君が変に気を回し過ぎなんじゃないの?」


 斉藤とその場にいる女子にそう言われて、芳樹は自信が無くなったのか、助けを求めるように俺を見る。


 そうだ、元々俺が頼んだことじゃない。芳樹が暴走したことを説明すれば丸く収まるんじゃないか。


 俺は立ち上がって輪に近付いて行った。


 出来るだけ明るく言おう。「馬鹿だなあ、俺は迷惑だなんて思ってないよ」って笑顔で言えば空気も悪くならずに、場が収まるんじゃないか。


 俺はそう考えながら、教室の中央にある芳樹の机から俺の机まで歩み寄る。


 でも、芳樹はどんな思いをするだろうか? あいつは俺の代わりに良いことをしたと思っているのに……。


 みんなが注目する中、俺は自分の机に座る斉藤の前に立った。


「悪いけど、いつも大勢でここに来られて迷惑だと思っていたんだ。自分で言う勇気が無かったけど、芳樹が言ってくれたんでちゃんと言うよ」


 何が、「迷惑だなんて思ってない」だ。嫉妬かどうか理由はどうあれ、俺は芳樹が気付くぐらい、みんながここに集まるのを嫌だと思っている。それを言う勇気が無かっただけなのに、大事になった責任を芳樹に押し付けて自分だけ良い顔しようとしていた。


「俺の席だからどいてくれないか」


 自分の卑怯さに気付いた俺は、逃げるのをやめて、ちゃんと言わなければならないことを言った。


「ほら、見ろ、直人も迷惑だと言っているぞ」


 勝ち誇った芳樹の表情と、白けた空気が流れる輪の人達の表情が対照的だった。もちろん香取さんも、五分前の笑顔が嘘のように冷たい表情をしている。これが恋愛ゲームなら二段階は好感度が下がっただろう。


 俺は香取さんの顔を見て気分が重くなる。


「好きにしろよ」


 斉藤が俺の席から立ち上がったところで四時間目が始まるチャイムが鳴り、みんな白けた表情のまま自分の席へと戻り出した。


「良かったな」


 去り際に、芳樹が嬉しそうに俺の肩を叩く。


 俺は今、物凄く心が痛いが、それでも友達を裏切らなかった自分の選択は間違いではないと、芳樹の顔を見て思った。


 

 五時間目が終わって休み時間になった。俺はまた芳樹の席に行こうと席を立った。


「どこ行くのよ?」

「えっ?」


 俺は委員長に呼び止められた。


「昼休みにマナと『私達も無神経だったね』って話をして昼休み以外は集まらないようにしたのに」

「えっ、そうなんだ……」


 マナとは香取さんの愛美から取ったあだ名だ。二人はそんなことを話し合ってくれていたんだ……。


 俺は思わず香取さんの席に視線を送る。彼女は笑顔で小さく頭を下げてくれた。


 その姿が可愛くて、俺はますます彼女を好きになった。

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