星の輝きは水底に届くか

これはあくまでも私が読んだ解釈なのですが、とてもいいお話でした。凄く思うところがあったので、ぜひぜひ色々な人にこの話を読んでもらいたいです。

(以下は私の解釈です。作者様の意向とも異なるかもしれません)
『まるで、落雷に打たれたような。初めて、同じ言語を使う人に出会ったような。強い衝撃が全身を貫くように駆け抜けて、次いで視界が滲んだ。』
これは劇中における、一ノ瀬の言葉に対する晴野江の反応を描いた一幕ですが、この描写にもあるように、恐らく晴野江の持った恋愛感情は、雷撃による痛みにも似たものだったのではないかと思いました。
三話の冒頭では、晴野江が一ノ瀬の細かな部分を記憶している描写があり、同時に『そんな些細な特徴ばかり覚えていると知られたら、今よりずっと距離が出来てしまうだろうか。』ともあって『「え、先輩きもち悪いですね」とか言われたら、ちょっと立ち直れる気がしない。』と続いています。雷撃による痛みというものは、じわじわと広がっていくものではなく、瞬間的に全身を駆け巡る激痛であると想像できますが、晴野江の抱いた感情も、恐らくは一般にいう恋愛よりは遥かに強いものだったのではないのかと思います。
晴野江が一ノ瀬に対し恋慕を抱いたとされている場面の終盤では、『もっと話したい』という下心を持ちながら、ゴミ集めを手伝うことを申し出ています。それから、「それに、意外かどうかが分かるほど、私、先輩のこと知りませんし」と言った時、晴野江は『後輩からしたら、きっと何でもない言葉で。』としています。
些細なことを記憶している事や、相手にとっては何気ない一言に人生全部を救われてしまったかのような感覚は、一般にいえばとても重たい感情なのだと思います。だからこそ晴野江は、普通ならば時間と共に濃くなっていくであろう恋慕が、雷撃を受けたかのように、初めから強烈なものだったことを恐れたのだと思いました。そしてこのときはじめて、本来の自分の姿を歪める『水面』に感謝をしたともあります。
恋人同士なら、些細な仕草の一つを覚えていて、普通なら見過ごすような細かい部分に気が付いて、それを宝物みたいに大事にすることは、一途な愛おしい姿に映るかもしれませんが、あくまでも彼らの関係性は、表面上先輩後輩にとどまっていて、晴野江もそれを理解していて、だからこその苦悩だったのだと思います。
劇中で描かれている晴野江の苦悩と言うのは、相手の中にある自分の像と、実際の自分の姿が乖離することにあり、これを生み出す水面がまとわりついているとあります。その中で晴野江は、まだ未発達の関係性の中にある、お互いを無知な状態に救われた。このことは、普通ならばお互いを知りたいだとか、自分しか知らない相手のこと、のようなものが重要視される恋愛関係の中で、無知こそが救いだった、という興味深さがあります。そして同時に、この事実に救われた晴野江は、無知に救われたことを出発点にして、次は自分のことを知ってほしいという願いと、またこれまでと同じようなことになるのではないのかという葛藤を産んだと思います。
一方で、本作の中で注目すべき点はもう一つあって、それは題名にもなっている『一番星』としての描写です。一話冒頭における『一ノ瀬三波は今日も、恋心をただの憧れに戻す方法を探している。』という描写は、その恋慕が憧れから始まっていたことを表していると思います。同時に一話では、瞬きをしてしまったことを後悔したということもあって、その一瞬でさえ見逃したくはなかったという熱心さがあります。熱心と単純に呼ぶことはできない感情だとは思いますが、このような態度は、些細なことまで覚えている晴野江と重なる部分だと思います。
また、こういった晴野江と一ノ瀬の重なり合いは、それぞれの登場人物の視点から物語が進行されることで表現されており、特に五話における描写は二人の関係性をとてもよく表していると思いました。
一話にも登場する部分ですが、一ノ瀬が晴野江の声について考えている場面では、二人の距離感がよく見られます。晴野江は、自身の低い声を以前付き合っていた人物から怒っているみたいだと言われて出さないようにしているとあって、作中にもたびたび気にしている場面があります。一方で、一ノ瀬の視点では、その声こそ、声までもが好きな部分であると描写されていて、『仮面の奥の晴野江の声』とあります。さらに最終盤では、『あぁ、そうか。この人も、きっと同じくらい臆病なのだろう。』とあります。
晴野江は、本当の自分を知ってほしいという願いを抱えながら、相手の中にある想像の像と乖離した本来の自分を知ったなら、相手は失望するだろうと怯えつつも、取り繕う日々に疲弊していて、その中で出会った一ノ瀬もまた、晴野江の仮面に気が付いていて、それでいて最後にはお互いが同じくらい臆病であることに気が付いています。この描写は凄いと思いました。
全てを通してから一話を見ると『星に手を伸ばすようにあなたに近づけたら、その手の温度を知れるのだろうか。』とあって、五話では『初めて触れた星の体温は想像よりもずっと熱かった。』と伏線が回収されていて、それでいて同時に、恋人に漸近していく二人の関係性は、それでも慣れることなく『一番星』であり続けるところが良いと思いました。
最後に、この物語の中でも二人と同じくらい重要な須見について考えたいと思います。一話から描かれる一ノ瀬の恋慕は、晴野江を一番星と称し、届かないことを自覚しながらも、歩幅を合わせたりする彼の行動に嫉妬にも似た感情を抱いたりしています。一方で、須見から見た二人の物語は、須見が達せられなかったものであり、まだ手の届く距離にあるものだと言えます。須見が晴野江の相談を受ける場面では、『不器用すぎてちょっと引いてるだけだ』とあって、晴野江も恐らくその関係性が一ノ瀬から見ても引かれてしまうのではないか、という恐怖を抱えていたはずです。手を伸ばして届くか届かないかの距離にありながらも、届かないのではないのか、と思っている二人に対し、須見は本当の意味で届かない距離、というものを知っていて、だからこそ二人の関係性をじれったいと感じながらも、そうは口にしなかったのだと思います。また、このことは一ノ瀬に会いに来た昼食の場面における、須見の眉目秀麗さとも関係していると思います。彼は美しい外見をしている一方で、だからこそ内面に不安定さを抱えていて、彼もまたその乖離に悩まされていたのではないのかと思います。だからこそ彼は、『まさか、相手も自分を見ているなんて思ってもみなかった』としているし、親友である晴野江には失敗をしてほしくないのだと思います。
ここまで長々と考察をしましたが、私の解釈と作者様の解釈がひどく離れていなければ良いなと思います。もちろん、私の考え過ぎということもあるでしょうし、作者様の意図とは全く違った方向に話を考えているかもしれません。ただ、作中を通して私が感じたのは『自分を知ってほしいけれど、自分の浅はかさが相手を失望されるかもしれない』という恐怖や、『自分が相手に対して持っている感情は過度なもので、相手から嫌われてしまうのではないか』という疑いなどは、とても繊細で、小説だからこそ描けた感情表現だと思いました。
恋愛小説として考えても、須見という存在をただの橋渡しにせず、彼がいることで本作を通して描かれてるテーマがより深く描写されているのは面白かったです。かなり相当な量を書いてしまったので、不都合がありましたら教えてください。一口にいえば面白かったです!ありがとうございました。