ライブアイドル 翔和野歌姫

 駅から十五分ほど歩いたところにある市の公民館。その大ホールで、五百人の観衆を前に舞台から美しい歌声を放つ一人の女性。正確な歳は非公表だけど、おそらくは三十代も後半にさしかかるくらいではなかろうか。とはいえ、無理に若作りをしている様子は無く、歌の合間に繰り出すトークにも「もう、オバサンだけどねぇ」なんて自虐して笑いを取っている。


 彼女の名前は、翔和野歌姫とわのうたひめ(芸名)。今はライブアイドルと呼ばれているらしいけど、僕の世代では地下アイドルと呼んだほうがくる。今どきのアイドルというイメージは皆無で、歌一本でのし上がろうとする昔ながらの硬派なアイドルを目指しているという。時代は彼女を受け入れないけど、その歌声に合った自作の歌詞とメロディは秀逸で、聴けば虜になる者は多いと思う。

 どこの事務所にも所属せずセルフプロデュースで続けてきた彼女だったが、何かの占いで「今年は大成する」というお告げをもらったらしい。その言葉を信じて、僕に付き人と販促活動の全てを任せたいと依頼してきた。共に活動を始めて一ヵ月……少しずつ知名度は上がり、ライブに来るお客さんの数も今では公民館満員レベルまで増えてきた。


 僕は舞台の袖から観客の方へ目を向け、その様子を眺めている。耳に入るのは彼女の歌声と、その曲に合わせたファンからの合いの手。彼らの年齢層は高いけど、ファンであることに変わりはない。若い連中とは違う落ち着きとマナーで、歌姫のステージに盛り上がっている。

 それにしても、占いのお告げは本物だったのだろうか? 僕が付き人になってからの慌ただしさが尋常ではなかった。テレビに出るようなアイドルたちみたいに、秒刻みでのスケジュールは無いだろうと高を括っていたのは間違いだった。

 ライブの会場は、公民館だけでなく百貨店や大型モールのイベントスペースなど空きがあれば全て「埋めてくれ」と頼まれ、グッズの企画開発から商品化までの交渉、さらには完売までの販促活動も兼務し、深夜帯では二時間ほどの動画生配信の撮影と進行役まで請け負う始末。月、火、水、木、金、週に五日もだ! 生配信なので時間をかけて編集する必要が無いのは助かるが、ここまで休みなく二人三脚を続けてくると流石に疲れてくる。

 このステージが終わったら、ホールの外で握手付きのサイン会だ。今の彼女の人気だと、ここにいる五百人の観客全員を相手にしなければならないだろう。最近になって気づいたのだが、ひょっとするとテレビに出ているような全国レベルの知名度があるアイドルよりも、地道に各所でライブを続ける彼女たちのようなアイドルの方が稼いでいるのではないか? お笑い芸人も、テレビより営業(ステージ出演)の方が稼げるって聞いたことがあるし。


「みんなー! 今日は来てくれてありがとう!」

「歌姫ちゃーん! うぉーっ!」

「うふふ。興奮しちゃって……奥さんに怒られないでよっ!」

「いぃっ! いいっす! 女房は質に入れてきたっすぅ!」

「あら、ダメじゃなーい。ちゃんと奥さんを戻して、今晩は可愛がってあげてね」

「はっ、はいいぃぃっ!」


 おいおい……いくら年齢に合わせたアピールたって、興奮を煽り過ぎるのは危ないんじゃないか? 今日のお客さんたちはマトモなのばかりだけど、中には変なのもいるんだぜ。

 腕組みを解いた僕は、懐から一通の封書を取り出した。中には新聞の切り抜きで貼り集められた脅迫まがいの文章が綴られている。熱烈なストーカーからのファンレターだった。いつかはこうなると思っていたけど、意外と早かったな。


 ――奪われる前に奪う。逃げる場所は無い。


 色々と彼女に対する愛や憎しみの言葉が連なっていたけど、結局のところは殺してでも自分のモノとしたい欲望で締め括られていた。ただの脅しで済めばいいけど、付き人になってから初めての脅迫状でもあるので、ここは慎重に対処したい。

 ちなみに、この事については、まだ彼女に知らせていない。余計な心配をせずにアイドル活動を続けてもらうのも、安請け合いした仕事の一部だしね。とはいえ、こうなってくると今までの依頼内容に加えて彼女のガードまで付け加えられてしまったようなものだ。やることばかり増えて、やれやれだぜ。


「ふぅ。今日も、いっぱい見に来てくれて良かった。これも平ちゃんのおかげね」

「お疲れさま。いやいや、歌姫が本気で歌えば、自然とファンが付いてくるんだよ」

「嬉しいこと言ってくれるわね。ありがと!」

「この後のサインと握手会、本当に全員を相手にするのかい?」

「当たり前じゃない。ここまでこれたのも、ファンのみんながいてくれたからよ。私と触れ合いたい人は、誰であろうと快く安請け合いするわよ」

「どっかで聞いたことのあるセリフだねぇ」

「うふふ、平ちゃんのおかげだって言ったでしょう」


 ストーカーの事を言いうべきか……迷っている内に会話は途切れ、彼女は控室へと行ってしまった。僕の方はといえば、これから握手付きのサイン会を行うところへ準備をしに行かねばならない。約三十分後に再び彼女が登場するまでは、会うことも話すこともできないほど時間が押していた。

 今回は今までよりも規模が大きいサイン会となるので、五人ほどアルバイトを雇って準備をしていた。彼女がサインをするテーブルに二人、ファンが並ぶ列の整理と誘導に三人。この五人には「最近、ストーカーっぽい奴も出て来てるから、怪しいのがいたら知らせてくれ」と言い含めて、ワイヤレスの通信機器も渡してある。しばらくして、ゾロゾロと会場から出てくるファンたちを横目に「よし、気を引き締めていこう!」とアルバイト達に檄を飛ばした。


 観覧席からの退場アナウンスが始まり、一番乗りを目指してダッシュしてくる者や仲間同士で「居酒屋で反省会な」と談笑しながら列に並ぼうとする者たちがゾロゾロと出てくる。その様子は色々だが、五百人のファンが整然と列に並んだ。それを横目に見て、僕は壁に取り付けられた内線の受話器を取り、彼女のいる控室へと繋いだ。


「もしもし」

「みんな揃ったよ。始めようか」

「…………」

「どうしたんだい? 具合でも……」

「きゃあっ!」

「ちっ! 油断したか!」


 僕は受話器を放り、控室へと走った。彼女が座る予定だったテーブルの脇を通り過ぎる。スタッフの一人が「何事か?」という表情で僕を見ていた。耳にめたイヤホンに指をあて「彼女を呼んでくる。そこを頼む」と短めに指示を出した……ん? 一人しかいない? テーブルには二人を配置したはずなのに、もう一人はどこへ行ったんだ? 僕は走るスピードを速めて通路を抜けた――。



 ――バンッ!!



 ドアを開けると、そこには一人の男が背を向けていた。その奥で、衣装をビリビリに裂かれ膝をついている歌姫が震えていた。僕が部屋に入ってきたのに気づいて「平ちゃん!」と叫んだけど、その声は弱々しかった。

 背を向けていた男は、僕が雇ったアルバイトの一人だった。中でも一番の信頼を置いていたサコンくん……どこの星から来たのかは知らないけど、人間には無いを持っている男だった。今回のストーカー対策で必要だったのは、事前に異変を察知できるかどうかだったからね。彼を雇っておいて良かった。


「サコンくん、助かったよ。犯人は?」

「あそこです」

「平ちゃーん! 怖かったよぉ!」


 控室の片隅でうずくまり、ガタガタと怯えながら「目……目が、金色ってどういうことだよ……」とかブツブツ言ってるオジサンがいた。やっぱりこいつだったか……事前にストーカーの候補として挙げてあった人物だ。封書の切り抜きから指紋を取り、僕の作った指紋認証システム『フィンガーくん』を使って身元を割り出しておいた。ちなみに、こいつは別のアイドルもストーキングをしている前科者で、名前は……忘れた。そんなもんは、どうでもいい。

 ちなみに、オジサンの呟いている「目が金色」というのは、探知能力者サコンくんの目の色のことを言っている。普段は人の姿をしているけど、本気を出せば出すほど人外な容姿へと変貌していく。目が金色になっている程度じゃ、まだ序の口のレベルだよ、オジサン。


「すいません。彼女に被害が及ぶ前に駆け付けたかったのですが……」

「幸いにも、傷がついたのは衣装だけみたいだ。詫びる必要は無いよ」

「えー! 私の心も傷ついたんですけどー!」

「あはは、ごめんごめん。でも、へらず口が叩けるなら大丈夫だね」

「んもぅ! 平ちゃんのイジワル!」


 歌姫は気丈だった。こんな事件の後にも関わらず、別の衣装に着替えてサイン会に臨み、並んで待っていたファンたちの期待に応えてこの日を終えた――。


 スタッフに後の片づけを任せ、僕と歌姫は先にタクシーで予約してあったシティホテルへと移動した。クラスで言えばエコノミーな部屋だったところを、事件で負った心の傷を癒す気分転換ということで、空室だったスイートルームへと変更した。後は野となれ山となれ……歌姫が「一人にしないで」と言ってきたのを機に、僕たちはシャワーもそこそこで体を重ね合った。


「ねぇ、平ちゃん。私、アイドルを止めようかと思うの」

「どうしたんだい? これからブレイクって時じゃないか」

「うん。平ちゃんのおかげで人気が出てきた実感も湧いてきてるけど、平ちゃんがいなかったら……今も私は売れないままだったんだろうなぁって。平ちゃんと一緒だったら、何でもできるような気がするの。だから……」

「あはは! 買いかぶり過ぎだって。僕じゃなくても、ちゃんとしたマネージャーが付けば売れてたよ。それだけの素質があったんだ」


 彼女は「ううん、そんなことないわ」と小さく呟きながら、僕の乳首をコリコリと摘まんでいる。絶妙な力加減に、思わず「ん、」と声が漏れてしまった。

 僕と翔和野歌姫とわのうたひめというアイドルの間にあるのは、単なる契約関係……それ以上でもそれ以下でもない。たまにこうして体を重ね合う日もあったけど、それは毎日のように顔を突き合わせていれば自然と流れていく成り行きでもあり、アイドルとはいえ妙齢の女性が誘ってきたら断る方が失礼だ。お互い子供じゃないんだしね。恋愛感情とは違う特別な「情」を育む……僕たちは間柄だと認め合っていた、はずだった。


「ちょっと、シャワー浴びてくるね。一緒に入る?」

「いや、今は一人で考えさせてくれ。君が出てくる頃には、応えも出ていると思う」

「何でも真剣に考えてくれるところ、とっても好きよ」


 彼女は僕の耳元に口を寄せて「ううん、愛してるわ」と囁き、乳首を摘まんでいた指を下腹部へと移して柔らかくなったモノをギュッと握り締めてからバスルームへと消えて行った。

 僕はベッドの脇に置いてあったスマホを取り、何件かの着信を確認してから、その中の一つにコールバックした。相手は大手の民放局……翔和野歌姫とわのうたひめという存在に白羽の矢を立てた者が現れたのだ。内容を快諾し、ベッドから抜けて部屋のメモ帳へサラサラと要件を書き、そそくさと着替えを済ませた。



 ――明後日正午、汐留の「喫茶スターダム」。深水氏と



 これが僕の応えだった。

 彼女はこれからも伸びると信じている……でも、僕ができるのはここまでだ。あとはプロの集団に任せた方が良いだろう。いつか、テレビ越しで彼女の笑顔が見れることを楽しみにしながら、静かに部屋を出た。


 バスルームからは、シャワーの音に合わせて彼女の美しい鼻歌が漏れていた――。

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