第十二章 最後の雫

第26話

「隊長、『界蝕かいしょく』が始まったようです!」

 アツトの部下が、渡運機号の船長室に駆け込み、アツトに報告する。

「わかった、出発の準備を。私は姉さまたちを呼んでくる」

 アツトは席を立つと、セランゼールの家へ急いで向かった。しかし、家の方から既にコリット達がこちらに向かっているのが見えたので、駆け足を歩みに変えて近づく。

「もうご存知でしたか」

「明け方とはいえ、空にある大陸が青く光れば目立つ。それに、知ってるものならあれが『界蝕』とすぐにわかる。恐らくシェンクがエンリと共に、カレンヴァーザ全体の界域を時間ごとずらして、『深淵』へと向かったんじゃろう」

 コリット達は、歩いているとはいえその速度はまるで走っている速度に近く、決して決意の鈍る動きではないことが伺える。そんな一向に、あとから大きなものを抱えたセランゼールが走って近づいてくる。

「ログレス! クリエラ!」

 名前を呼ばれた二人は、集団から離れて呼ばれた方を向く。どうやら、大きなものは二つあるようだ。

「急にいなくなったと思ったら、界蝕が始まってるから…… もう行くの?」

「うむ。界蝕が始まると、もう時間がないと言われてな! そもそも待っておれんのだ」

「なら、これを」

 セランゼールは、持っているものの一つをログレスに渡す。

「これは、なんだ?」

「『エーメル』という持ち主の魔霊素をよく通す金属が使われた防具だ。両腕につけるもので、対魔法効果が望める。武器に対しては捌くくらいはできるだろう。ぜひつけていけ」

「おお、ありがたい! ぜひ使わせてもらうぞ!」

「で、クリエラはこれを」

 さらに大きな包みを渡されたクリエラは、その重さと大きさに覚えがあった。

 包みを軽く開くと、中からはあの天穿ちの矛が入っていた。

「え、これは……」

「あれから、墓に戻しても座りが悪くてね。里の総意であなたに持って行ってもらえれば、ってことで。あ、ちゃんと終わったら返しに来てよね」

「……もちろんです。借り物ですから。私が返しに来るかは分かりませんけど」

「ダメ。あなたが返しに来なさい。約束、ね」

 約束、という言葉に一瞬言葉が詰まったクリエラだったが、真っすぐセランゼールを見て「分かりました」と返事を返す。

「さあ、早くせい! 渡運機号も直に出発するぞ!」

「師匠! 今行きます!」

 この数日ですっかりコリットを師匠呼びするようになったログレスが、早速小手を腕に取り付けながら、急ぎ足でコリット達の方へと向かっていった。

「魔素圧力、異常ありません!」

 ログレス達が船の中に入ると、扉はすぐに締められ、アツトの部下たちが出発の最終点検の怒号が飛び交っていた。

「よし、全員乗ったか!?」

「わ、私で最後ですけど!」

「よし、適当に捕まれ! 渡運機号、地上より離脱! 上昇開始!」

 アツトの号令と共に一瞬がくんと船体が揺れたが、そこから徐々に体が重くなるのを感じ始める。

「こないだの遊覧飛行とは違うから、多少の揺れと加速の重力で怪我するなよ!」

 舵を握っているせいか、普段の言動よりも多少荒れた口調になっているアツトが、まだ席にすらついていないログレス達に檄を飛ばす。

 しかし、ログレスもクリエラも、数日のコリットとの訓練で、まるで地上にいるときとさほど変わらない動きで席に着く。

「なかなか、板についてきたのう」

「師匠の訓練あっての今。これくらいできねば!」

「とはいえ、ここからあの大陸まで、どらくらいかかるか分からないんですけど」

「一応、目測では半日かかりません。この船の運航出力を最大近くまで上げてやれば、太陽の全身が見えるころには目的座標であるオルンカート城の上空に着きます。隊長の話ですとこの船と隊長を除く乗組員はそれ以上近づけないらしいので、そこから飛び降りていただいて、直接突入頂く、と伺っております」

「……雑だのう。まあ、直付けなんていう高望みをするほど、まだまだ衰えておらぬ故、脱出のために上空待機していてもらうだけでも御の字じゃ」

 コリットは自分の愛用の杖をくるくる回しながら、アツトの部下の話に相槌を打つ。

「時界ずらしの中は、あまり精霊たちと連携が取れなくなるからあまり好きではないわ」

「まあ、基本的な儂らの動きは、の足止めとシェンク達の手助けになるじゃろう。無理して戦線に立つ必要はなかろうて」

「もうじき着く! 突撃する者は準備を!」

 再びアツトの怒号が響く。そこで、他の隊員も忙しく動きだす。ログレス達も席から立ち、いつでも飛び立てる準備をする。その様子を見てコリットがログレスに声をかける。

「ログレス。教えた通りできるな?」

「問題ない! 城の屋上を目指せばよいのであろう?」

「クリエラはどうだ?」

 ドーミネンも同じようにクリエラに声をかける。クリエラは、くるくると指を回して、精霊と意思疎通を図りつつ、

「大丈夫です。この子シャロザがいればどこから落ちても問題ないですけど」

 と返した。二人とも、本番はこれが初めてのはずだが、どこか緊張を感じさせない、自信に満ちた答えだった。

 上昇を始めてからは緊張のせいか高揚のせいか、ほぼ時間の経過を感じることなく船は目的地であるカレンヴァーザ上空へと到着した。

「よし、目的座標上空到着! 後方降下口、解放!」

 アツトの号令で、渡運機号の後方にある、飛び降りるために作られた大きな出口が開き始め、飛び降りるための大きな板が滑り出る。

「先に行かせてもらうぞ!」

 ログレスはいつもの大声をあげながら、まだ完全に開き切っていない降下口に向かって走り出し、頭から飛び出した。

「馬鹿! まだ早いわ!」

 それにつられてコリットも飛び出す。

「ログレス!」

 次いでクリエラがようやく全開になった降下口から飛び出す。

「……若さか、勇敢さか、はたまたただの無謀かェ」

 ドーミネンは三人が向かった先の方を見て、少し後ずさる。

「もう、こんな高いところから飛び降りるような作戦には参加しない…… 絶対」

 意を決して、ドーミネンは飛び出した。

 最後に残ったのは、チャイクロだった。

「どうした? 行かないのか?」

 一行の突撃を見守っていたアツトが、一人残ったチャイクロに声をかけてきた。

「……分からないんだ」

「何が?」

 チャイクロは、今は猫の姿をしていない。しかし、うつむいて静かな様は、まるで借りてきた猫のように静かだ。

「リーリが、もしかしたら、僕のこといらないって、思ってるかもしれないから」

「何故そう思う?」

 アツトの口調は、船に乗っているからか、最初に出会ったときよりいささか強めになっている。

「それが、分からないんだ。リーリは、僕のために、あの里に残れって言ったと思う。家には同じ人がいなかったし、ここなら同じ人はたくさんいる。けど……」

 チャイクロは、ゆっくり顔をあげてアツトを見る。その目には今にもこぼれそうな涙が陣取っている。

「なら、お前も言えばいい。エンリがお前に『ここに住め』と言ったように、お前の疑問を、お前のしたいことをぶつければいい。ただ従うだけが、いいこととは限らん」

「言いたいこと…… 言う?」

 アツトはひざを折り、席に座ったまま動かないチャイクロと同じ目線になる。

「お前のやりたいことは何だ? 今、やらなければならないことは何だ? ここで泣くことか? そうしてサングレシアは後悔した、と聞かされたろう?」

 サングレシアの話は、ログレス達から分かりやすく教えられた。その時はチャイクロも今回の作戦に参加することを決めたはずだが、ここに来てどうすればいいかを見失いかけていることを、アツトは見抜いていた。

「お前自身の迷いで歩みを止めるのは、後になってから絶対に後悔する。まずは止まるまで進めばいい。つまづいたり、止まったりしたときに、改めて周りを見ればいい。迷うくらいなら、まずは前に進め」

 その言葉に、何を思ったかチャイクロはついに泣き出してしまった。

「う、うわああああああああーーーー」

「……」

 アツトは、ばつが悪くなってその場から離れた。

 が、部屋から出ようとするところで、チャイクロに服の裾を掴まれ、動けなくなった。

「どうじだら…… リーリと、いっしょに、いれるの!」

 チャイクロは鼻水をたらし、涙で顔が腫れ、ぶるぶると手が震えている。が、それでもアツトの服を離さない。

「……まずは涙を拭け。鼻をかめ。泣くことをやめろ」

 チャイクロは言われたとおりにする。口がへの形になったままで、まだ少し震えているが、しっかりとアツトの目を見られるようになった。

「私はお前がどこまでできるかは知らん。が、何かをしないなら、何も手に入らない。自分ができる事をしろ。何ができるかは、お前だけが分かるはずだ」

 少し考えた後チャイクロは、意を決して降下口へ向かった。

「いう!」

 その一言を残して、チャイクロも空へとその身を投げ出した。


     *   *   *


 シェンク達は、もはや沈んでいるのか浮いているのか分からくなるほど、真っ暗な暗闇の中を進んでいる。

 どれくらい経ったか分からなくなったあたりで、シェンクの右目に付けたモノクルに反応があった。

「来たな」

「ええ。私のモノクルにも反応があったわ」

「……これが終わってからでいいから、それ返せよ。元は俺のだからな」

「はいはい。『終わったら』ね」

 落下する二人の足元に薄く透明の、親指ほどの小さな板が何枚か出現する。それに乗った瞬間、小さな硝子の割れる音と共に二人の落下が止まった。

 二人は、モノクルを付けている方の目を凝らす。

 真っ暗な空間の真っ黒な霧は、肉眼では分からない速度でゆっくりと消えてゆき、紫に近い青黒い光が、ぼやっと周りを照らし始める。

 それに伴い、空間の中央と思われる場所へと黒い霧と周囲の魔素が集まり、次第にそれは人の形へと変わり始める。しかし、その大きさはあれよあれよという間にシェンク達の五倍以上の大きさになるまで膨張する。

「これはこれは…… この神聖な祭壇に何用だ、矮小な人間風情が」

 人の形をした黒い塊は、直接空気を振動させてシェンク達に語りかけてきた。

「久しぶり。やっぱり戻っていたんだな。オルトゥーラの真の戦争犯罪者、暴君ローヴェル王よ。……お前を始末しに来た」

 シェンクが、淡々と告げる。

「戦争はもう終わった。オルトゥーラはもうこの世界に存在しない。ミシュウもお前の手の届かないところに隔離した。ようやく世界は平和な時間を刻み始めたんだ。あとは、お前がきっちりいなくなれば解決する」

 シェンクは、杖をローヴェルと呼んだ黒い塊へと向ける。

「ならば、再び興せばよい。世界の王たる余と、この祭壇有するカレンヴァーザがあれば、それは可能だ」

「だけど、お前はここから出られない。肉体、霊魂、精神の三身のうち肉体を失ったお前に、この祭壇から出る術はない」

 ローヴェルは、失われた眼で静かにシェンクを見据える。

 この場所『深淵の祭壇』は、このカレンヴァーザにおいて重要な場所である。

 人間が魔女になるために生身のまま訪れ、守り子を授かることのできる唯一の場所なのだ。それ以外の方法で魔女になるためには、何らかの方法で神から直接守り子を授かる以外にない。

 カレンヴァーザは、この祭壇を持つからこそ、他国から畏れられ、また優位に立つことができたのだ。

 だが、ローヴェル王はこの祭壇を別の事に使う方法を発見した。

 それが、『魔女の守り子を解放する』方法だった。

 解放とは、守り子が普段存在する界域から、魔女が普段存在している現界域へと放つ。……つまり、任意に暴走させることだ。

「お前が余計なことを考えたせいで、あいつは暴走した魔女を葬るっていう仕事が増えた。だがその様が、まるで暴走する前の魔女を殺し、ついでに魔女のいた地域を無差別に攻撃しているように見えてしまった。実際は逆なのにな。そのおかげで付いた二つ名が……」

「〝終焉〟。お前にお似合いの二つ名だな、リンカ」

 終焉、という言葉にエンリの肩が震える。

「……戦況がまだ判明していない頃、他国は軍事力として保有している魔女を次々殺されるという事態に、本当にリンカが魔女を殺して回っている、と俺を含む大勢の魔女は誤認させられてしまった。だから、当時はそのままリンカは無理やり悪役にさせられ、俺たちも事の把握に時間がかかった」

「私は、実際に多くの人を殺して、多くの魔女を殺したわ」エンリが割って入る。

「少ない情報とない時間から、俺たちは事態の収束のためにナチュ・ナラルらと協力し、お前を殺した。……はずだった」

 シェンクは苦々しい顔をしながらローヴェルをにらみつけた。

「ここにいる限り、余は肉体なくとも存在はできる。無駄なことだ。とはいえ、肉体がないままではいささか不都合が多いこともあるからな。だからこそ、エンリ。貴様の力が必要なのだ」

 ローヴェルは、エンリ仮面の女性の方を向く。

「この『深淵の封印』の中でできる事は少なかったが、ほころびが生まれ始めた頃から少しずつ鏡人形ドッペルゲンガーを生み出し、貴様を探させた。ようやく見つけたときは、さすがの余も震えたぞ」

 黒い塊は、さらに周囲の魔素を吸収し、塊の中から紐のようなものが生まれ、体中にまとわりつく。規則的に収束してゆくそれは赤黒く変色し、筋肉繊維のような形状に整い始める。繊維はどんどん増え、ついには赤黒い人の形をした肉の塊へと姿を変えた。

「こんなかりそめの肉体では、さほどな価値もない。やはり、新しい、余のための肉体が必要である、ということだ……」

 ローヴェルは、エンリを正面に見据え、身構えた。

「さあ、エンリ! 余のためにその力を捧げるのだ!」

 唐突に、ローヴェルの腕が肥大化し、魔女たちに襲い掛かる。

「なっ?」

 シェンクは寸でのところで躱したが、シェンクに気をとられて逃げ遅れたエンリを、ローヴェルは鷲掴みにするため、さらに腕を加速させた。

 その時。

「……ぇぇぇぇぇええええええええンリどのーーーーーーーーーーーー!!!」

 遥かな空間から、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。

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