第三章 船旅の先で

第5話

『エンリ、エンリ!』

 声が聞こえる。

 自分を呼ぶ声。

『エンリしっかりして! 返事をして!』

 さっきよりも小さな声。

 視界がよどむ。両端から徐々に狭くなり、それに合わせて上下も狭くなる。

 ああ、これは、……死、だ。

 頭が、脳の動きが鈍くなる。首から下は既に感覚がない。声が小さいのではなく、耳がその機能を失いつつあるのだと、ぎりぎり察する。

 色々、後悔がある。だが、抜けゆく己の生気が、自分の欲求をも共に流れ出ていくような感覚に陥る。まるで疲れ切った体が睡眠を欲するように、ただ暗闇の奥底へと引きずられていくような感覚に似ている。

『エンリ…… エンリ!』

 声はまだする。とても心地よい声。安心する。いつまでも聞いていたい。

 しかし、力は抜け続ける。せめて、声の主に一言だけ、伝えなければ。

(大丈夫、また…… 会えるから)

 残った力を振り絞り、声の主に伝える。

『……約束、だからね』

(約、束……?)


     *   *   *


 ベッドで眠っていたエンリは、突如として覚醒した。

(……夢?)

 先ほどまで自分が見ていた夢を反芻する。それは、自身が死を迎える瞬間のもの。だがこれが初めてではない。過去にも何度か夢で見ている。

(私が、死ぬ夢。だけど……)

 今回の夢はいつもよりも長く、約束、という言葉がより鮮明に頭に残った。

 そのせいかエンリは今だ興奮状態で眠れないことに気が付くと、ベッドから起き出し、外していた仮面をつけ直して部屋の外に出た。

 時間はまだ夜中。場所は海の上。ここは船の中。夢ではない、現実の居場所。

 船は既にパキシリアを出発してから半日以上が経過していた。

 エンリは甲板に出て外の風に当たろうと、船外への扉を探し、通路から甲板へ出た。潮風は穏やかではあるが、そのために移動速度も緩やかであった。海の音と風の感覚が、まだ若い頃に船でいろんな所へ行ったことを思い出させる。

「おや、エンリ殿も眠れないのか?」

 潮風と波の音でかき消されたのか、同じ客室側の通路から扉を開けてログレスが出てきていた。

「あら、あなたも夜風に?」

「うむ。我にとって外にあるものすべてが珍しい。この『船』に乗ってからというもの、中をくまなく歩きまわっては見たが、こんな大きな木の建造物が浮かんでいるのが誠にすごい。しかも風を利用して移動しているという話を聞いてさらに驚きだ。いや、さすがにこんなものを動かすのだ、自然の力を利用しない手はない」

 ログレスは両手を広げて、いかに自分が大発見をしたのかを語る。確かに、船を初めて見たのであればそんな反応はごくごく普通のものだろう。この船はまだ旧式で帆を張って風を動力にする船だが、最近は帆を張らずとも精霊術と錬金術を駆使して、通常の航海日数を半分以下に抑えることに成功したらしい。最も乗船代も跳ね上がるのだが、宿泊代や食事代を考えるとそこまで極端ではないため、人によって、ということなのだが。

 なんにせよ、目の前の少年はそんな些細な発見がとても楽しいようだ。

「よかったじゃない。旅に出てすぐのところで、こんな発見がたくさんできて」

「そういえば、エンリ殿はなぜ旅をしておられる?」

 ログレスは近くに寄ってきて、昨日し忘れた質問をしてきた。

「私は、魔女を探しているの。訳アリでね」

 実はこの船に乗る前、ちょうど定期船をひとつ乗り過ごしたので、一晩お互いの親睦と自己紹介を兼ねての親睦会を開いた。

 ログレスはネオントラム周辺にある小さな村出身で、幼い頃から英雄の冒険譚を聞いて育ち、いつか自分も冒険に出ようと思っていたらしい。今回の旅立ちもほとんど思い付きではあるが、実力は意外と高く、先日討伐した盗賊はパキシリアで討伐依頼が出ていた一味だったようで、拘束した一味を自警団に引き渡したときに報奨金が出たくらいだ。

 クリエラはあまり自分の事を話さなかったが、ログレスがその村でもそれなりの家柄らしく、そこで雇われていたのだが、今回彼が家を出る際に無理を言ってついてきたらしい。

 エンリは、今のところ彼らには自分の事を錬金術師だと伝えている。なにせ、現代においてかつての戦争から魔女は畏怖の権化であり、関わりがあったかどうか関係なく犯罪者として見られるケースがほどんどだからである。それは五十年以上経った今でもまだまだ払拭されておらず、戦場となっていないエメリッド大陸だったからこそ、その恐ろしさが薄まっている、とも言えるからだ。

 とはいえ、言葉を理解し、喋る人工生命体ゴーレムや、喋る猫を連れている時点で錬金術師として疑われることがないのも利点といえる。パルティナやチャイクロは見たままであるのは言うまでもない。

「魔女を? しかし、普通の人と魔女とを見分ける方法など、我には分からぬ。何か目印のようなものでもあるのか?」

「一番の違いは、体のどこかに〝シルシ〟があるわ。名前のとおり、黒茶色をしていて、色々な模様をしたのようなもの。まあ、大概は服なんかで隠しているからやっぱりパッと見ただけじゃあ分からないけど」

「なるほど、エンリ殿のように仮面で隠すとか?」

 ログレスは気になっていた仮面を指して、茶化すように言う。

「……そうね、こういう、普通の人が身に着けていない装飾品の下に隠してあったりすることもあるわね」

 そういって、エンリはゆっくりと仮面に手をやり、外す。

 そこにはもう百歳近いとは思えない、女性独特の美しい肌が月夜にあらわになる。

 その顔には、はない。

 ログレスはその美しい顔に見とれるが、エンリはすぐに仮面を戻す。

「なら、エンリ殿はなぜ仮面をしておるのだ?」

「単純な話よ。他人に覚えてもらいやすくなる。錬金術のを扱う上ではなんの足しにはならないのが難点かしら」

 その後も、エンリは錬金術に関しての話を延々をしたが、その最中で興味を失ったのかログレスは突然手すりに突っ伏して眠ってしまった。

「……やれやれ。まだ子供ね」


     *   *   *


 ハーバン大陸はとても山が多い。陸地の七割が平均よりも高く、平地が二割程度しかない。その平地も山々の中腹であったり、噴火後にできた窪地だったりと、市街地どうしの往来は街道が整っていない場所だと困難を極める。ちなみに残りの一割は海岸である。

 エンリ達が到着したのは三つある港町のうちの一つ『アインゼン』だ。大陸中唯一南側にある港町で、最も大きな町並みを有する。その大きさゆえ寄港する船も多種多様で、乗組員や乗客も比例して多い。

 ハーバン大陸自体が他の大陸よりも北にあるため南の港の利用が多い、というのがそもそもの理由でもある。規模としては、パキシリアの三倍くらいはあろうかという大きさなので、ログレスとチャイクロは、その賑やかさに船を下りる前から興奮が頂点を迎えていた。

「でーっかい! おっきい! たかーい!」

「山に向かって町が伸びている様は、迫力があるな!」

 船旅の間、ログレスとチャイクロはすっかり意気投合し、今ではログレスの左肩がチャイクロの指定席にもなりつつある。今でも港町を眺めるログレスの方にチャイクロがちょこんと座っている。

「さ、下船準備だ。忘れ物のないように」

「エンリ殿! なぜあの港はあのように大きいのだ?」

「ハーバン大陸の玄関だからよ。基本的にハーバン、というかアインゼンは鉱山の町と言われていて、本当の街の中心は見えている山の中腹になるのさ」エンリは、山の真ん中あたりを指さし、続けて「港を作るにあたって新しく街を作るよりも、街自体を伸ばした方が効率が良かったから街道を作るんじゃあなくて街を港に伸ばしたんだが、その後港自体が成長して今の形になったのさ」すっと、目的地の船着き場に滑らせる。

「あと少しでアインゼン到着です! 乗客の皆さまは下船の準備をお願いします!」

 乗組員が乗客に連絡して回ってきた。

「それじゃあ、下りたらまずは朝食だな!」

 ログレスは器用にチャイクロを乗せたまま下船準備に客室へと向かっていった。

 それからほぼすぐ船は港に到着し、客や積荷を降ろす準備が整うと、再び乗組員がアナウンスを行った。乗客はエンリ達のような旅行客や、仕事であちこちを飛び回っている者や、それこそパキシリアではめったに見ない有鱗族が、今までどこにいたんだといいたくなるくらいの乗客が、どんどんと桟橋へ下りてゆく。

「……おお。まだ揺れている」

 ログレスが桟橋から陸地にふらふらしながら歩くのを、後ろからエンリ達が追いかける。手早く入国手続きを済ませ、エンリは全員の前でこれからの説明を始める。

「今から世界三大魔女と言われているコリット様の屋敷兼アトリエに行きます」

「世界三大魔女?」

 予想通り、ログレスが話の腰を折る。が、

「〝千里眼の魔女〟コリット、〝世界樹の魔女〟ドーミネン、〝深淵の魔女〟シェンクの三方を総称してそう呼ぶんですけど」

「そう。そのうちの一人のコリット様が、このアインゼンにお住まいなの。朝ごはんを食べたら歩きで昼前には着くはずだけど、ちょっと山道に入るから、多少は覚悟すること」

「りょーかい!」「わかりました」「問題ない!」「私よりログレス様が心配ですけど」

 と、各々の了承を得たところで、やはり出店で朝食をとることになった。

 港町ならではの多くの人種が行き交うこの街では、その国独特の料理が並ぶことは珍しい。なんとかハーバン食の代表と言われている、ケルパ粉を使った料理を見つけ、五名分注文する。ケルパとは植物の名前で、天候が変わりやすい山岳地帯でも育ちやすく、単品で食べても甘い種子が特徴の穀物である。この種子を取りだし、粉状にしたうえで水と混ぜ、他の食材を合えて焼くのが一般的な調理方法である。チャイクロとログレスはハーバン兎の肉を合えたもの、それ以外のメンバーは甘く調理されたカプ豆を合えたものをそれぞれ購入した。

「兎と聞いたときは筋張っているのを想像したが、いやいやこれはまた歯ごたえがあってなかなかの旨さ! 生地が肉汁を受け止めて、口の中が無駄に肉汁まみれにならず、次から次に食が進む!」

「うーん、この豆、パキシリアにもなかった食材ね。結構イケるんじゃない?」

「おいしい! おいしい!」

「なるほど、こういう味が世の方々に受けているのですね」

「……え、パルティナ様は食事ができるのですか? 意外、なんですけど」

 クリエラは『人工生命体ゴーレムは食事をしなくてもそれぞれを構成する素材、あるいは製作者の魔素(もしくは魔霊素)を直接体に付与することでその体を維持している』という常識を知ってはいるが、構成素材以外を、しかも口径摂取できる人工生命体ゴーレムなどは聞いたことがない。

「あ、パルティナは料理もできるようにするために、人間と同じ五感を設定してあるの。音も聞けるし、指先も温度や感触を感じられるし、もちろん目も見えるし、極端な味でないなら口内で判断できるの。匂いだけが今一つだから今後の課題かもね」

 クリエラはさらに目を見開いた。そんな規格外な人工生命体ゴーレムは聞いたことがない。視覚と聴覚は分かる。だが、触覚はもの好きでもない限り人工生命体ゴーレムには不必要な機能だし、料理をさせる目的とはいえ味覚機能を持たせたり、あまつさえエネルギーを摂取する機能まであるとは、一体エンリはどこまでの力を持っているのか、見えない底知れなさを感じた。

「私にとって味とは、エンリ様やチャイクロ殿に喜んでいただくための指標以外の大きな意味を持ちません。ですが、人間の皆様がこういう物を好んで、進んで摂取されるということに少なからず興味を持ちます」

「なかなか、人間でもそういう感想を持つ者は少なかろう。きっと良い料理人になれるのではないか、パルティナ殿は」

 物珍しさと自身の素直さから出たその時のログレスの言葉は、パルティナの表情を少し柔らかいもに変えたように、エンリには見えた。


     *   *   *


 三大魔女の一人である〝千里眼の魔女〟コリットの住む屋敷は、その特異性から町の中にはなく、街道を外れて少し歩く必要のある山の中腹である、とエンリは説明した。

 曰く、彼女は魔女としての魔法の腕はまあまああるにはあるが、本人としては錬金術の研究に費やす日々が楽しく、今はそちらに一日のほとんどを費やしているらしい。

 しかし、好きと上手いが比例せず、錬金術師としての腕はイマイチということで、まだ経験が浅い頃は爆発事故や騒音などで、以前街に住んでいた時は近隣の住人から苦情が良く出ていたそうだ。

 また、魔女の中でも一、二を争うほどの年長者で、研究成果やその指導力から各魔法学会や錬金学会の名誉顧問の顔もあり、直接移動がしやすいようにと転移の楔を打ち込む理由もあって、郊外に屋敷を建てた、というのが主な理由だ。この転送に音と光が漏れるのも、問題の一つでもあった。

「ぬ、でも転移の楔があるなら、それこそ楔へ転移すれば早いのでは?」

 ログレスが思ったことをそのまま口にする。

「あれは魔女しか使えないの。そもそも私が楔を利用できる魔法が使えたとしても、あなた達全員を置いていくことになるけど?」

「それは困る! よし、皆で歩いていこう!」

 ログレスは張り切ってみんなの前を進んで歩く。チャイクロはもう自分で歩いているが、他の誰よりログレスに近い位置で歩を進める。自然とその後ろにエンリとクリエラが続いて、最後尾にパルティナ、の並びになる。

 高低差のある長いアインゼンの街道をほぼ中腹まで登っていくと、そこから逸れてちょっとした山道に入る分かれ道があった。それを見つけたエンリが「そこに入っていって。あとは道なりだから」と先頭を行く二名に伝える。

 その分かれ道に入った二名は唐突に石やレンガで整備された街道から、広さこそあるものの地面まるだしの道に変わったことに驚く。一応それなりの頻度で荷車が通っているからか、深めの轍がしっかりと跡を残しているため、日常的に使われているのが分かる。

「なるほど、荷物の供給がある街道はきちんと先に整備して、それ以外の道路は頻度によって舗装が後回しになる、っていうところか」

 事実、荷車の往来が多い中央以外は特に人が通らないところは舗装が後回しになっているところが多く、これはログレスの予想通りといったところである。

 太陽が作る影が周りの人にかからなくなるくらいに短くなったころ、どこからともなく声が聞こえた。

「コリット様のお客様でしょうか?」

 全員は、はっと周りを見回す。しかし、人影はない。街道から離れていくらか経ったが、まだ周りが見渡せなくなるほどの山道ではない。しかし、声がしたであろう範囲には人の気配がない。

「え、ええ。エメリッドから参りました。エンリと申します」

「ああ、エンリ様ですね」その言葉はエンリのすぐ横から聞こえ、言葉が終わると同時に一人の女性が突然現れた。

「主のコリット様より『そろそろ来られる頃だ』ということで、近くにてお待ち申し上げておりました」

「お、お主! どうやって、どこから現れた!」

「……直前まで人の気配はありませんでした」

 パルティナもログレスと同じく驚いていたが、意外とクリエラとエンリは驚いた様子ではなかった。

「道はあってたようね。あとどれくらいかしら?」

「直にアトリエにつきます。ちょうど私も、おもてなしの材料を取り終えたところでしたので、そこまでご一緒いたします」

 女性は、そのまま特に説明しないまま先頭に立ち、すたすたと歩き始めた。

 まるでいつものこと、とでも言うようにその女性と、エンリ、クリエラはアトリエに向かって歩き始めた。

「なるほど、魔女の弟子、ということか。理解できないこともあるということだな」

 ログレスは一人で何やら納得し、歩き出す。結局、パルティナとチャイクロはその後に続く形になった。

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