第2話 口は災いの元 沈黙は金なり

 モンスターバイトはどこまで行ってもモンスターだった。ついに、名指しで罵倒してきた。そして、物を投げつけてきた。目に当たりそうでよけた。

 私はモンスターには一切の沈黙を貫いた。だって、何をしても相手は私を責めたいので、謝罪をしても、モンスターの脳みそから快楽ホルモンがでるだけ。すなわち無駄なのである。

 物をなげられたと、上司に言っても対応が曖昧で、煮え切らない態度にイライラを覚えた。信頼した人に全てを話すと、会社に電話をし、きちんと対応することまで言わせた。会社の体質はそれぞれだが、時代と共に変化を受け入れる柔軟な頭と心が必要なのではないかと思う。現代社会において少子高齢化社会が進み、若者の脱落者を一人でも出さない為に、そして、社員の生活を有意義にするために労働問題の改正が進んでいるのではないか? 時には厳しさも必要であるが、その厳しさとはお互いを尊重し、切磋琢磨しさらなる躍進の為の厳しさであり、誰かをバカにしたり、罵ったりして、自分が一番でいたいから、人を蹴落とすという考えは言語道断。文句を言わずコツコツ積み上げていけばその人のいいところも見えて来る。 会社の方針が曖昧で、出来る人が損をしてしまう会社はきっとこの先の未来に名を連ねることができるだろうか。脱サラリーマン時代となってきている流れの中で、マンネリ化し、物の溢れた世界で、何ができるのだろう。娯楽で楽しめるのは衣食住の生活が満ち足りている先にあるものであると思う。目の前にある当たり前のものに盲目していては駄目なのだと、いち早く気づき行動している企業もある。

 ニュースでも取り上げられている、サスティナブルという言葉。環境問題、労働問題、経営等、持続可能に着目した企業は時代のニーズに応えてくれるはずだと思う。私は環境問題を目の前にしつつ、環境にいいことは何かという事を知らない。だからこそ、サスティナブル事業に取り組んでいる企業で需要と供給が円滑に進み、B to CやB to Bの関係性が循環していけば、少なからず様々な問題に貢献しているという事実が生まれ、世の中の為にいいことをしているという心が生まれると思っている。

 私は毎日廃棄している食べ物に悲しみを感じている。格差社会、貧困に苦しむ親子が増えてきて、一日をどう生き抜くかを考えるだけで精いっぱいという人たちがニュースで取り上げられ、支援団体の活動も活発だ。コロナが加速させ、自殺者まで現れる。精神的苦痛は肉体的苦痛より重い。怪我を負えばいつかその傷が癒えるだろう。しかし、怪我をしたその先のことで精神的ケアが必要な場合もある。時が解決してくれるというのは今の時代において、ただの根性論にしかすぎない。

もし、スポーツをやっていて取り返しのつかない怪我をして二度とプレイができなくなったら、出来なくなった事とどう向き合っていくかが必要なのだ。

 ハラスメントは嫌がらせという意味だが、自分と向き合うことと他人と向き合うこととはまた違う。相手は相手の意思がある。常識的に考えれば自分が嫌なことは他人にしないということが一般常識だが、そうではない者も増えている。時代と共に個人が主張されるなかで、政治は民主主義、会社は資本主義というごちゃまぜな世の中だからこそ、筋が通らないのではないか?

 個の集合体が社会という輪である。社会の輪に組み込まれた個はルールを強いられる。個が極端に強く、また極端に弱ければ社会のシステムからはじかれる。

 しかし、社会の中の個は流動的でありながら不満を持ち、個になりたがるが、社会という集合体の中でしか選択できず、社会に選択をあずける。

 何が言いたいかと言うと、人は社会のなかで秩序を守りながら生きてはいるがそのシステムに異を唱えながら、人任せが多い。それは、諦めともとれる。働き方や生き方を選べる社会になりつつあるからこそ、脱サラ、脱OLが増え、人とのつながりを保ち、集団から個へと変化している。

 では、なぜ個になろうとするものが多いのか? SNSが当たり前となってしまった現代社会では集団よりも、個のつながりが増えてしまったからではないだろうか?

個人で気軽に顔も本名も知らない学校や会社以外の気の合う仲間ができる。言い方をかえれば自分の都合のよいものしか認識できなくなるのではないかとも思う。

 また、寂しさや孤独感をSNSで埋めようし犯罪になることも少なくない。人の命の重み、人権などにもきちんとした教育が必要だと感じられる。学校教育だけではなく会社、社会として取り組むべきだと私は主張する。学校ならば、生活指導と教育、会社ならば人権やハラスメントに対しての明確なルール、仕事に対しての明確なルール、社会ならば犯罪を防止、ストレスで正常な判断ができなくなる前にSOSを出しやすい世の中に! 

 アンケートと一緒で一人一人の要望に合わせていたら、それはそれで良くない。皆が納得できる決断を示すリーダーがどこにでも必要だと思う。

 そういった人格者の育成もきっと必要になるだろう。

 自分を守るために非道に走る人は捨て置けばいいという私の考えは冷徹なのだろうか。

  私は社会の問題と向き合うことを決心した今日この頃です。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る