了: その日を摘め

 一度大きく息を吸って吐く。何度目かも分からぬ深呼吸、それでも気持ちは落ち着かない。


 タオ=ミリメントが宮殿の王に謁見する広間に繋がる控えの間の中に足を運んでからまだ十分も経っていないのであるが、既に数時間はいる気分だ。

 

 緊張の上に緊張が塗り重ねられ、もう色々な感覚が麻痺してしまっている。そんな今が現実かさえ疑うようなタオの横から不意に手が伸ばされ、騎士制服の襟が引っ張られる。


「襟ぐらい正せよ嬢ちゃん、こういう時に身を正しかしこまるくらいの常識は俺にもある」

「うっ、急に手を出すなアバカスッ。緊張して何が悪い! 私に勲章が授与されるなど……っ」

「ちっちぇえのだけどな。びっくりするほど」

「う、うるさいっ。だいたいなぜ貴様はこんな日にまで普段と変わらない服装なんだ!」


 事件の解決から二日、タオの傷は魔女マタドールに治療され、今では狂った魔法使いとの戦いの痕跡こんせきはどこにもない。


 迷宮入り一歩手前だった事件の解決を祝して催された勲章授与式であるはずが、アバカスは何着持っているのか、ボロボロだったはずのコートを纏いタオの横に立っている。


 怒れる騎士に肩をすくめ、なんでもないようにアバカスは答える。


「俺には授与されねえからさ。今日は成功報酬の受け取りに来ただけで俺が出席する訳じゃあねえ」

「な、なに? なんで? だって……」


 事件の解決は、お世辞にもタオの力とは言えない。解決の一助にはなったが、大部分はアバカスの功績。自分一人で解決できたと言える程、タオは自惚れ屋でもない。


「だってもなにもねえだろ」


 そう言ってアバカスは続ける。冒険者を雇い騎士を側につけたのは、蜥蜴トカゲの尻尾の確保でもあり、解決したならしたでそれを自分達の手柄とするため。


 騎士団や聖歌隊の関わるゴタゴタを外部の者が解決しましたなどという不名誉な事などあるはずなく、身内の問題は身内で処理したという結果が欲しいから。


「そんな、なら私も……ッ」

「貰える物は貰っとけよ、別に誰が損する訳でもねえ。別に勲章の授与が悪の隠蔽に使われてる訳でもねえんだからなぁ」

「だが……」

「嬢ちゃんの杞憂を拭ってやろうか? そもそもの話、この仕事の依頼の大本は第二王子派閥だろうさ」


 目を剥くタオには目を向けず、アバカスへ丁度控えの間に入って来た女性へと体を向ける。第三騎士団長、キアラ=カイピロスカへと。


「ドランク=アグナスの動きが独断なのは明らかだ。それで一番困るのは研究を依頼した側だ。第二王子本人が関わっていようがいまいが、不祥事が下手におおやけになれば第二王子は王位継承争いで大きな遅れを取ることになる。でしょうが、団長殿?」

「さて、それは貴殿の想像に任せるとしよう。ただ、言えるのは貴殿に任せた私の判断は間違いではなかったということだ。全ては魔女に狂ったドランク=アグナスの凶行。人体の製造に関しての研究は、この先厳しく取り締られることになるだろう。これもまた、貴殿らの功績だ」


 これにより、延命を建前とした入れ替わりは合法的な手法とは認められずに終わるだろう。上層部の誰かしらの本当の目的はそれ。


 第二王子派閥がバレるのならとそれを自ら封じたのか、他の派閥が第二王子派閥を嵌めようとして、先に自らその手を閉じたのかは当人達にしか知り得ぬ問題。そしてそれをアバカスは知りたくもないので、この問題は結局これでお終いだ。


 その終わりを示す意味としての勲章授与。要らぬ棘が立たぬように、受け取るが吉。生真面目な女騎士がその正義心のまま辞退し逃げたりしないように、キアラは細長くも強靭な両腕を伸ばし、タオの両肩に手を乗せる。


「ご苦労だったなミリメント卿、貴殿をコレにつけて良かった。この気難しい暗殺者には卿のような者が一緒の方が真面目に働くというものだ」

「そんな団長殿は侵入者が第三図書室で暴れてた時はどこいたんですかね? 団長殿がいれば一撃で終わってたでしょうに」

「王族の護衛に決まっているだろう? 争いで魔女の心配などするはずもない。本当に貴殿が襲撃者だったなら別だがな?」


 細められたキアラの左目に唇を尖らせてアバカスが右手を上げたところで、その手に投げ渡される小さな革袋。その軽さに愕然とアバカスは目を見開くと、慌てて袋の中身を確認する。


 ほんの小さな密室の中で色とりどりの薄暗い輝きを放つ極彩色の小さな石達。金色に輝く丸い銭貨ではなく、大粒の宝石。錆びついた人形のようにぎこちなく首を動かし顔を向ける不良冒険者の姿にキアラは苦笑する。


「前金の十倍を支払うとなると金貨では重いだろう? それらは間違いなく帝国内では前金の十倍ほどの価値がある。確かに支払ったぞ?」

「最悪だ‼︎ 成金の玩具おもちゃが報酬⁉︎ これじゃあ飯も食えやしねえ⁉︎ 詐欺だ詐欺ッ‼︎ 俺に石を眺めて過ごすような趣味はねえぞッ‼︎」

「物を確認しなかった貴殿の落ち度だ。金貨がいいなら宝石店にでも行って換金するのをお勧めしよう? その分の金貨が一般の宝石店にあればだが」

「暴力魔人め! くそったれガメット‼︎」


 古い地方言葉で罵倒を口にする不良冒険者の頭に落とされる第三騎士団長の握り拳。久し振りの拳骨の感触に呻きながら、潰れたスライムのように石の床にアバカスは倒れ込む。


 線の細い見た目とは裏腹に、肉体に凝縮された膨大な魔力量。その一撃の感触を拭うように頭を摩りアバカスは立ち上がると、軽くタオの肩を叩いた。


「嬢ちゃんは俺よか騎士に向いてるぜ。じゃあな嬢ちゃん」

「あ、ああ! またなアバカス!」


 背に掛かる再会を約束するような言葉に僅かに足を止め、言葉は返さず軽く手を挙げてアバカスは控えの間から外へと出る。


 授与式の最後の準備で慌ただしく動いている使用人達の間を縫って進んだ先、人に姿形が似ているが、人ならざる容姿をした少女の集団が通路の端に立っていた。


 全部で四人。


 幾つもの赤い三つ編みを揺らすマタドール。


 宙に浮き、背が小さく若草のような髪を多くの装飾で飾ったシャムロック。


 糸目で薄い水色の長い髪を折り畳み編み肌の上を薄透明なうろこで覆うブルームーン。


 最後にひょっこりと顔を伸ばし銀髪を揺らす尖り耳、ニコラシカがアバカスを目に顔を笑顔に歪めると、二人の魔女の背を押して広間へ向けて姿を消した。


 一人残されたマタドールは赤い薔薇を一本手に持ち、アバカスを手招くように首を傾げた。無表情の誘いに無視して道を変え帰ろうかとアバカスは一瞬悩むが、それも逃げるようで気分が悪いと結局足を向ける。


 アバカスが目の前に差し掛かると、魔女はその行く手をさえぎるように前へと出た。


「……なんだ? 邪魔なんですがねマタドール卿?」

「これ」


 そう言ってマタドールは手に持つ一輪の薔薇を掲げた。


「……それが?」

「親しい者が亡くなったら墓所に花を手向けると聞いた。外出の許可は取ってある。ただ、墓地の場所が分からない。私は宮殿の外にあまり出ないから」


 あげるとでも言われなかった事に感謝するが、それはそれ。ニコラシカあたりの入れ知恵だと察し、アバカスは気怠そうに肩を落とす。


「……アルサ=ドレインとバム=チャングに?」

「それとドランク=アグナスに」


 魔女は躊躇ためらわずにその名を口にした。


「……そうかい、愛の意味でも悟ったか?」

「愛の意味? 意味ならもう知っているわ」

「で? 実際どうなんだ? ドランク=アグナスを愛してたのか?」

「幸福を祈ってはいたわ、それを愛と呼ぶならそうなのかもしれないわね、ただ言えるのは嫌いではなかった」


 新たな知識の配達人として。とでも聞けば頷くのだろうと予想しながら、敢えてアバカスはそれを聞かなかった。そこまで聞くのは非道く酷だ。既に死んだ人間に罪はない。


 何よりも、ダルク=アンサングの名が出なかったからこそ。


 マタドールの中では、ダルクは人間として数えられていないらしい。魔女の気を惹きたいが為にドランクの死を敢えて告げ、娼館街で殺しみそぎとまでしたにも関わらず。


 ただ、それがドランクの意思だったかはアバカスをして疑問だ。


 ダルクはドランクの意識を複製した存在であって、ドランクの記憶は引き継いでいても、同一人物であっても同一存在ではない。


 ひょっとしたら、ドランクは最早習慣となっていた娼婦街での巡察を普段通りしていただけなのかもしれない。全てはダルクの計画で、ドランク自体は蚊帳の外。


 ダルクが生み出された後も数多くドランクが魔女の下に通っていた事で、それにダルクが嫉妬したとも考えようと思えばできる。


 だがそれは、永遠に推測の域を出ない。既にダルクが作り上げた事件の舞台の上で踊っていた役者達はそのほとんどが天へと旅立ったのだから。


「……ドランク=アグナスにか、ハっ、俺もそこまでいのちの価値が低いとは思わねえさ」


 例え存在しない心でも、目に見えないモノであればこそ、あると信じたい者が信じたところで個人の勝手。死んだ者にとっては尚更だ。


 何より、死後には現世とを隔てる川を渡るのに、渡し守に銭貨を渡さなければならないとはアバカスも聞くところ。


 手持ちが足りない時にはドランク=アグナスから貰おうかと考えながら、その分の貸しを作るのも悪くないとアバカスは魔女の背を叩く。


「墓地までだったら、案内してやってもいい。ほんのそこまでな」

「帰りは?」

「自分で帰れ」


 赤い魔女をともなってアバカスは歩き出す。ほんの短い死者への手向けの道を。







 


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