第15話 白雪姫の裏事情
「ご馳走様でした」
「それはどうも」
その後、間もなくしてチーズケーキを食べ終えた冬木さんは満足そうに紅茶を啜っている。
無表情ながらも先程と比べて憑き物が落ちたような表情をしているのは、おそらく彼女自身が抱える苦悩を晴人に吐き出せたからか。
晴人としては彼女と近しい両親の立場ならともかく、多少話すようになったとはいえ会話して間もない高校の同級生にデリケートな悩みを打ち明けるのはどうかと思う。しかし他人の方が悩みを打ち明けやすいという人間もいるのも確かなので、きっと彼女もそういう部類に当て嵌まるのだろう。
いずれにせよ、少しでも冬木さんの悩みが薄れたのならば良いことである。
「あ、そういえば聞きたいことがあったんだ」
「何かしら?」
「うちの母さんとすれ違わなかったか? ほら、冬木さんが来たのが丁度母さんが買い物に出掛けて行った後のタイミングだったからさ」
まるで入れ替わるように冬木さんが自宅に訪ねてきたので、晴人の母にばったり遭遇していてもおかしくはない。
「えぇ、正にお邪魔しようと門の前で佇んでいたら玄関から出てきた風宮くんのママ……お母様と顔を合わせたわ」
「あー、すまん。なんか変なこと言ってなかったか?」
「……いえ、高校の同級生と伝えたらあっさり歓迎してくれたわ」
「母さん……」
何故か冬木さんが話す前に一拍間があったものの、それよりもこの度の我が母の防犯の緩さに頭を押さえる。
まず前提として、母と冬木さんは面識が無い。きっと冬木さんが晴人の通う高校と同じ制服を着ているという判断材料があったので通したのだろうが、それにしても安心するには程遠いだろう。
そもそも母は親しみやすそうに見えるが、一人親という事もあり防犯意識や他人に対する警戒が人一倍高い筈だ。勿論相手が美少女だろうが美男子だろうが贔屓などしない。
そんな母が珍しくも冬木さんを歓迎したという事は、それはきっと母の中にある直観とも云うべき、何かしらの琴線に触れたという事なのだろう。
その何かしら、というのが何か、明確には分からないが。
「それと妙に嬉しそうにしながら、一時間後に帰ってくるって言っていたわね。ちょうど芋煮が出来上がる頃だろうからって」
「マジか……」
「でも、やっぱり風宮くんのママね」
「うん? 何がだ?」
「私を見ても、一切不気味がったり怖がる様子は無かったわ」
「……そっか」
こちらを見てそう話す彼女の瞳には、微笑ましげなものを見るような優しい光が宿っていた。
似た者同士、と暗に言われたような気がしてむず痒い。親子なので何かしら通ずる部分はあって当然なのだが、それを彼女に指摘されるのは何処となく気恥ずかしかった。
このままでは冬木さんに微妙なマザコンと認識されそうで正直怖い。晴人は軽く首筋を撫でつけながら、なんとかその羞恥から逃れるために親関連の話を逸らそうと試みる。
「あー、あともう一つ気になったんだけどさ……渡と話すとき、やっぱり緊張してた?」
「当たり前でしょうに」
冬木さんはじとっとした視線で晴人を見つめながらすぐさま返事を返す。若干食い気味なのはそれほど焦っていたという証左か。
「そもそも玄関に風宮くん以外の靴が置いてあるんだもの、その時点で緊張していたわ。意を決して扉を開けると、まさか風宮くんのお友達がお見舞いに来てるだなんて考えてもみなかったわよ」
「おい待て、俺に友達がいるとは思わなかった的なニュアンスで説明するな」
「……他にいるの?」
「…………いないけれども」
こてん、と首を傾げた冬木さんに晴人は力無く答える。
現状、晴人にとって高校で友達と呼べる人物は渡以外にいない。クラス内で他の生徒に何か用事がある場合は話し掛けるが、それは流石に友達とは言えないだろう。
今まで高校生活を過ごす上で然程気にならなかったが、白雪姫のこの指摘は中々に痛かった。
「話を戻すわね。当然私は緊張して固まったわ。それと同時に様々な考えが浮かんだ。―――何を話せば良いのか、そもそも声を掛けても良いのか、相手を怖がらせてしまわないか、風宮くんとそのお友達の二人の関係に罅が入ってしまわないかとか、色々」
「……あぁ、だから最初に渡の反応を見て、自分で嫌われているって判断したから口数が極端に減ったのか」
「えぇ。だって私、人見知りだもの。それに、誰かと一緒にいて気まずい思いをさせるくらいなら、いない方が良いから」
そう言って冬木さんは寂しげに目を細める。
晴人がケーキを準備すると言った際に冬木さんが渡へ視線を向けたのは、つまるところ"私が居ても大丈夫?"という意味合いだったのだろう。それを勘違いした渡は気まずくなって帰ってしまったというわけだ。
実は優しいのになんともまぁ不器用というか、世の中を生きるのに苦労しそうな考えである。彼女の言う事も多少なりとも分かる晴人なので、決して人のことは言えないが。彼女らしいと言えば、彼女らしい。
晴人が小さく苦笑を洩らすと、彼女はどこか拗ねたような視線でこちらを見てくる。
「……何よ」
「いや別に。ただ、優しいなって思って」
「違うわ。優しいじゃなく臆病の間違いよ」
「それでも、だ。他の誰がなんて言ったって、冬木さんは優しいよ」
でなければ数回会って話した程度の男の家に来て看病なんてしない。事実、晴人は冬木さんが献身的な看病してくれてとても助かったと思っているし、その過程で彼女が配慮の行き届いた優しい女性であることを知ったのだ。
無表情だの冷たいだの言われていたとしても、彼女に対しての晴人の思いは変わらない。
晴人が冬木さんを見つめ返しながら本音を伝えると、次第に頬が薄赤く染まっていくのが分かる。彼女はそのままふいっと視線を逸らすと、ほっそりとした指で濡れ羽色の綺麗な長髪を静かに耳にかけた。
「……風宮くんのせいよ」
「どういう意味?」
「知らない。でもありがとう」
冬木さんは頬を赤く染めたままこちらに目を合わそうとしない。どうやら優しいと言われたのが恥ずかしかったようだ。
そこまで反応されると、こちらまで反応に困ってしまう。
すると、隣に置いていた鞄をすぐさま手に取った彼女はすくっと立ち上がる。冬木さんの咄嗟の行動に驚いた晴人は思わず目を丸くするが、先程から晴人と目を合わせない彼女はといえば何故かすぅ、はぁ、と軽く深呼吸をしていた。
彼女なりに普段通りの平静を取り戻そうとしているのだろうか。
「……それじゃあ私、帰るわ」
「もう帰るのか?」
「あまり長居して風宮くんの体調を悪化させてしまったら目も当てられないもの」
「別に気にしなくても……ってあぁ、わかった。せめて玄関まで送らせてくれ」
完全には平静を取り戻す事が出来なかったのか、そのままリビングを出て行こうとする冬木さんを見て晴人はソファから急いで立ち上がる。若干まだ熱とだるさが残ってはいたが、見舞いに来てくれた相手を最後まで見送らないというのも失礼な話だろう。
もはや慣れたのか、玄関へ続く廊下を淀みなく歩く冬木さん。そして玄関口に到着。腰を曲げながらこげ茶色のローファーを履いていた彼女だったが、やがて履き終えて背筋を伸ばしながらそっと振り返った。
案の定、ばっちりと冬木さんと視線が合う。先程のこともあるので途端に気恥ずかしくなるが、どうやらそれは彼女も同じだったみたいだ。
こちらを見ないように努めていた反動だろう、無表情ながらもさっきよりも顔が赤い。
「その、今日は見舞いに来てくれて嬉しかった」
「えぇ、私も風宮くんが元気そうで嬉しかったし、安心したわ」
「……おう」
「……えぇ」
会話の中に僅かな空白が生まれるも、次の言葉が上手く出ない。
―――そして何より、冬木さんの綺麗な瞳から視線を外せなかった。
「……じゃあ風宮くん。また明日学校で、ね?」
「あ、あぁ、また明日」
「うん、待ってる」
その言葉を最後に玄関の扉ががちゃん、と閉められた。
たんたん、という低い段差を下りる音や足音が次第に遠ざかっていくのを確認した晴人は、ほっと一息を吐きながら壁に寄り掛る。
額に手を当てながら軽く顔を上げた晴人は、未だ胸の奥に残る浮ついた感情に対して、静かに口を開いた。
「…………あんなの、反則だろ」
間近かつ短くない時間、頬を真っ赤に染める美少女な冬木さんをじっくり眺めたのだ。
しばらくの間、放心状態になっても仕方が無かった。
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