第12話 白雪姫のお料理
間もなくピピピ、と体温計の音が鳴る。瞼を持ち上げると、脇に手を差し込んでから表示されている温度を確認した。
「三十七度九分……。まぁまぁ高い方か……」
三十八度に達しなかっただけまだマシであるが、それでもこれからもっと酷くなる可能性もある。念の為、また本格的に体調を崩したら明日病院へ行く事も視野に入れておこうと頭の片隅でそっと考えた。
暫くしてベッドへ横になって安静にしていると、トン、トン、トンと階段を昇る音が遠くから小さく聞こえてきた。そしてその音が途切れて数拍後、ゆっくりと部屋の扉をノックされる。
「入っても良いかしら?」
「どうぞ」
身体を起こしながら返事をすると、お盆に茶碗と大きめのスプーン、そして水の入ったコップを載せたお盆を持った冬木さんが部屋に入ってくる。
彼女は両手に持ったお盆をそっとテーブルの上に置く。すると何やら白い湯気と共にふと
気になってその匂いの元であろう茶碗に盛られたお粥へ視線を辿る。
「……卵お粥、よ」
「おぉ、美味そう」
そこにはふんわりとした見た目の掻き卵のお粥があった。お粥の入ったお椀の中心には鮮やかな緑色の小ネギが小口切りで散りばめられており、見た目的にも見栄えが良い。
そしてこの卵と一緒に香る匂いは出汁だろうか。和風の良い香りがすきっ腹を直撃し、これでもかと食欲を刺激した。
先程までは食欲が無かったのだが、このお茶碗サイズの量ならば食べきる事も出来るだろう。
「お熱は測ったかしら?」
「あぁ、三十七度九分だった。取りあえず様子見で、明日も下がらないようだったら病院に行くよ」
「風邪のお薬、さっき買って来たからあるけれど」
「じゃあ食べたら飲む」
風邪薬を買ってきたという折角の厚意、無駄にするわけにはいかない。
家を探したら恐らく風邪薬くらいはあったかもしれないが、碌に動けない晴人では見つけるのは難しかっただろう。仕方ないので明日まで寝て様子を見ようと考えていたが、風邪薬を買って来てくれていたのはとてもありがたい。
のそのそとベッドから降りると、お盆に載っている卵粥に向き合う。じっと注視する晴人だったが、視界の端に映る冬木さんがどこかバツが悪そうな雰囲気を醸し出していることに気付く。
「……ねぇ風宮くん、因みになのだけれど」
「ん、なんだ?」
「男の子にとって、料理が苦手な女性ってどう思う?」
突拍子も無くそう言い放つ冬木さんは、何故か一度もこちらに顔を合わせようとしない。
冬木さんが言う"料理が苦手な女の子"というと、彼女自身のことを言っているのだろうか。
仮にそうだとしても、キッチンを借りてこのように美味しそうな卵粥を作って来てくれたのだから、少なくとも料理が出来ないという訳ではないのだろう。
となるとそんな問い掛けをする理由が分からない。いまいち要領を得ないが、何気ない場繋ぎの会話の可能性もあるので晴人は素直な感想を伝える。
「……たぶん、自炊出来ないよりかは出来た方が男は喜ぶんじゃないか? もし俺なら別にどっちでも気にしないけど」
「そう、なの……?」
「というか食べ物を準備してくれるだけでもありがたい。冷凍食品、レトルト、店で売ってる惣菜や菓子パン、なんならカップラーメンでも良いくらいだよ。……でも急にどうしたんだ?」
正直腹が減って我慢の限界なのだが、冬木さんは冬木さんで何か思うところがあるようだ。
晴人が常々思っていることを彼女に伝えると、一度こちらを伺うような瞳を向けてくる。まるで何かに怯える様な、自信が無いような感情を滲ませながら視線を彷徨わせるもそれは一瞬。冬木さんは意を決したかのように綺麗な唇にぎゅっと力を入れると、再びこちらを向いた。
その瞳はどこか、何を言われても逃げまいとする覚悟のような光が宿っているように見えた。
「風宮くん、それ食べてみて」
「おう……? じゃあ、いただきます」
「えぇ、召し上がれ。それと早く食べるとお腹が驚いちゃうから、ゆっくり食べて」
晴人の反応を見逃すまいと見つめる冬木さんに苦笑しつつ、置いてあるティースプーンを手に取る。このサイズならばお粥をたくさん掬うことは出来ないし、口に含むとしても一口分という最小限の量だろう。
カレーなどを食べる大きいスプーンもあっただろうが、どうやら晴人が空腹に耐えきれずにお粥を口に掻き込む可能性を考慮して、この小さいサイズのスプーンを用意したようだ。
至れり尽くせり。どこまでも配慮に行き届いた白雪姫様である。
真ん中の小ネギを軽く広げ、卵粥を静かに掬う。食欲が戻りつつある今、お椀のお粥含めぺろりと平らげてしまいたい気持ちが湧き上がるが、そうしてしまえば冬木さんの気遣いが台無しになってしまうだろう。
今更だが、白雪姫と呼ばれる冬木さんの手料理が食べられるのだ。あまり考えず、ここは大人しくゆっくり味わうとしよう。
お粥を口元へ運ぶとそのまま口へ入れる。そして咀嚼。
「―――なんだ、美味いじゃん」
「……本当?」
「あぁ、てっきり味に自信が無いのかと思っていたけど、滅茶苦茶俺の好みの味だよ」
「………………そう、良かった」
水気のある柔らかいお米の食感と小ネギのシャキシャキ感が心地よい。出汁の風味が効きつつも、お粥に使用されている卵の淡泊な味わいがちゃんと残されている。
味付けは恐らく出汁を除いて塩だけなのだろう。お粥自体だいぶ薄味だったが、そのぶん出汁の風味がしっかりと支えており優しい味わいに仕上がっていた。
見た目は勿論、味も文句の付けどころが一つも無い。彼女が何故あのように問い掛けてきたのか、ますます晴人は分からなくなった。
晴人の返事を聞いた冬木さんはどこか安堵するように柔らかな眼差しになるが、その表情はまだ固い。
「……実はね」
「おう」
「それ、レトルトなの」
晴人は思わずきょとんとした表情になると、その後幾つか目を瞬かせた。
そんな晴人の様子を見て勘違いしたのだろう。冬木さんは表情こそ変えなかったが、どこか慌てて弁明するかのように口を開いた。
「レトルトといっても、何も最初から卵お粥のレトルトを買ってきたわけじゃないわ。何も味付けされていない白がゆタイプのお粥を買って来て、溶き卵と顆粒出汁、塩、小口ネギを入れて私なりにアレンジしてみたのよ。パパやママによく買い出しを頼まれていたからお粥に必要な材料はだいたい把握していたし、スマホでレシピを調べればなんとかなるでしょうって。本当は風宮くんの為にお米からお粥を作りたかったけど、私お料理出来ないし……」
「……ははっ」
「そう、よね……。簡単なアレンジでも出来物のレトルトを料理だなんて
「いやそうじゃなくて。白雪姫様でも苦手なことはあったんだなって」
相手は白雪姫と呼ばれているクールで魅力的な美少女。その上勉強も運動も出来るとなれば、なんでも完璧に物事をこなせるのだろうという先入観がこれまであったのは否定しない。
だが最近話すようになって彼女は人見知りだという事を知った。白雪姫だなんだの言われているが、普通の少女らしく料理が苦手でもおかしくはないのだ。
きっと彼女なりに、料理が出来ない羞恥心やアレンジしたとはいえレトルトのお粥を晴人に食べさせる罪悪感を抱えていたのだろう。
どうやら晴人のその言葉に対し冬木さんは意外に思うと共に、自らの勘違いに気付いたようだ。一瞬だけ僅かに口を開けてきょとんと目を丸くさせると―――次に仄かに顔を赤らめておずおずと言葉を発した。
「……当たり前、でしょう。完璧な人間なんてどこにもいないわ」
「冬木さんの事、最近までてっきりそう思ってたんだが」
「…………幻滅した?」
「んなわけないだろ」
晴人はそんな弱弱しくも思える彼女の言葉をすぐさま否定した。
「風邪引いた俺とわざわざ家まで付き添って、必要な物を揃えて看病もしてくれた上にレトルトをアレンジしてこんな立派な美味い料理まで作ってくれたんだ。感謝するならまだしも、気遣いも出来て優しくて綺麗な冬木さんに幻滅するだなんて絶対にありえない」
「そ、う…………」
「だから、ありがとな。今度何かお返しさせてくれ」
「……どういたしまして。考えて、おくわ」
暫く無言の空気が流れる。
未だ頬を赤らめて時たまこちらへチラチラと視線を向ける辺り、きっと彼女は褒められたことへの気恥ずかしさを感じているのだろう。かくいう伝えた晴人自身もそうである。
何とも言えない甘酸っぱい雰囲気だが、会話を続けるにはどうにもむず痒い。まだお粥が残っている茶碗にそっと手を伸ばすと、黙々とスプーンで掬って口へと運んだ。
やがて完食。用意してくれたお粥を全部食べるのは然程時間は掛からなかった。
「ご馳走様」
「お粗末様でした」
そして最後に水をごくごくと飲んで食事を終えた。
正直に言えば少しだけ物足りない。だが食欲が戻ったとはいえ、晴人の体調はまだ完全に良くなったわけではないので、空っぽの胃袋にはこれくらいの量が丁度良いのだろう。寧ろ食べる行為自体が身体のエネルギーを消費するとも聞く。
どうやらここは水分を多めに補給しつつ、大人しく明日まで様子を見ている方が良さそうだ。
「食器、洗ってくるわね。まだ無理出来ないのだからベッドで横になって」
「あ、あぁ。そうする」
テーブルに置かれた空っぽの茶碗とスプーンをお盆の上に乗せた冬木さんは、そう言って一度も目を合わせようともせず部屋から出て行く。ばたんと扉を閉め、足音が遠ざかるのを耳にしながら言われた通りベッドの中に入り込むと、大きく溜息をついた。
「…………はっず」
風邪を引いて気が緩んでいたのだろうか。
ただ否定するだけで良かったのに、"幻滅するだなんて絶対にありえない"だなんて言ってしまった。まるで彼女に好意を寄せているような言葉を、さらっと容姿を褒めた挙句に無意識に言ってしまったのだ。
面と向かって言ってしまい、きっと彼女を困らせてしまっただろう。
晴人は反省しなければ、と思うと同時に、そのままひんやりとした枕へと顔をうずめたのだった。
「……じゃあ、そろそろ帰るわね」
「一人で大丈夫か?」
「安心して、ママがこの近くのコンビニの駐車場まで車で迎えに来てるみたい」
「そうか」
それから時は過ぎ、夜の午後九時を過ぎた辺り。鞄を持って帰りの支度を済ませた冬木さんはベッドに座る晴人の部屋の扉付近で言葉を交わす。
外はもうとっくに暗い。もし一人で帰宅するならばとても心配だったが、母親が迎えに来てくれたのならば安心だろう。
あの後ほどなくしてキッチンの洗い物から戻ってきた彼女。差し出された風邪薬をありがたく頂戴して水で呑み込むと、冬木さんお手製のはちみつレモンティーを作って来てくれた。
彼女の説明によると、どうやら小さい頃から熱を出して体調を崩す度に母親が作ってくれる定番の味のらしい。
勿論ありがたく全部頂いた。紅茶の中にあるレモンの酸味と、何よりはちみつのほっとする甘さ……そしてこの時間は決して忘れそうにない。
晴人は口元を緩ませながら彼女の方へ視線を向けた。
「看病やら料理やら色々世話になった。ありがとう。……正直、冬木さんがいてくれて安心した」
「気にしないで。私も、次こそお料理を勉強してちゃんと風宮くんにとびきり美味しいのを作るわ」
「え、また作ってくれるのか?」
「………………あ」
表情が変わらないまましばらく固まっていた冬木さんだったが、晴人に対し何を言い放ったのかようやく理解したのだろう。冬木さんらしからぬ気の抜けた小さな声が口から洩れた。
失言をしてしまったのできっと恥ずかしかったのだろう。視線を彷徨わせながらじんわりと頬を赤く染めると、すぐさま彼女は何を言わずに晴人に背を向けて扉の取手に手を置く。そして―――、
「それじゃあお大事に。……ばか」
最後に挨拶と共に可愛らしい文句を残して、静かに扉を開けて帰って行ったのだった。
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