第4話

 夏休み直前のテストが終わり、半日授業だったせいで茹だるような暑さの中を歩いて帰らなければならなくなった。男子達は男護による車の送迎があるので、この暑さとは無縁なのだろう。実に羨ましい。

 前世のテストが終わった日は結果のことで憂鬱になっていたが、今は別の事で憂鬱な気分になっている。実は、学校で前にも増して避けられるようになってしまったのだ。以前は避けられる程度だったが、今は顔を見ると小さな悲鳴を上げられる程避けられてしまっている。

 やっぱり、屋上から飛び降りたのがマズかったのだろう。よく考えれば、屋上から平気で飛び降りる奴なんて誰も関わろうと思わない。一時のテンションに身を任せてはいけないと学ぶ事ができた。


 幸運なことに、暫くすれば夏休みだ。都会の喧騒を離れて、母さんと二人でキャンプに行くのもいいかもしれない。


 今後の予定を考えながら家へ帰ると、知らない車が家の前に駐まっている。いや、正確には見覚えはある車だ。春頃出会い、遊び、そして別れた理莉、彼との別れの際に乗っていたのと同じリムジンだ。

 なんで?今頃になって訴えられたりしないだろうし、訴えに来るのにリムジンを使うことは無い筈だ。

 もしかしたら、理莉の母親が私を殺しに来た、というのはあるかもしれない。この世界で未成年男子を連れ回したことは、それぐらいの出来事だったのかも。


 リムジンの運転席の女性に会釈して家に入ると、玄関に見覚えの無い革靴が一足あった。これで少なくとも、怒り心頭の親が待ち構えている線は無くなった。もしそうなら、数人の護衛がいるはずだ。


 次に考えなければいけないのは、理莉の親に雇われた殺し屋が待ち構えている可能性だ。リムジンで向かいリムジンで帰る、そんな成金殺し屋がいないとも限らない。

 もしそうなら非常に不味い、今日は半日で学校が終わるので何処かへ食事に行こうと、有給を取った母さんが家にいるのだ。


 リビングの電気が点いているので、手鏡の反射によって中の様子を窺う、どうやら母さんが人質に取られているということはなさそうだ。母さんありがとう、持たせてくれた手鏡役に立ったよ。いらないって言ってごめんね。


「何してんの?」


「殺し屋が待ち構えてる可能性があるから様子を見てた。」


「バカなことしてないでさっさと入りなさい。あなたのお客さんよ。」


 来客用のお盆にお茶を載せた母さんが先にリビングに入ってしまったので、大人しく従う。正面から顔を見れば、この前見た理莉の護衛官だ。


「突然の訪問で申し訳ありません。私、理莉様の専属護衛官を務めております、梅見節と申します。」


専属護衛官?普通の護衛官とはなにか違うのだろうか?


「通常の場合、男性側が時間や場所などを指定し、それに合わせて護衛官が派遣されます。専属の場合は1年以上の期間、契約した護衛官のみがこれらの業務を行います。」


 なるほど。つまり信用できる相手と長期契約を結べるわけか。恐らく私の母さんも、父さんとこの契約を結んでいたのだろう。


「それで、一体何の要件で?」


「はい。理莉様が先日の出来事をご両親にお話ししたところ、お二方が興味を持たれまして。是非一度お会いしたいとのことで、お迎えに上がりました。」


「なるほどなるほど。しかしまた急ですね、せめて数日前に言ってくれればもう少し準備もできたのに。」


「申し訳ありません。つい昨日、ご両親の許可が出まして、理莉様がどうしてもすぐに会いたいと⋯」


 それで断ることもできず、今日の訪問となったわけか。


「もしご都合が悪ければ、また日を改めてお伺いしますが、いかがなさいますか?」


 母さん、にやにやしながら脇腹を突くのは辞めてくれ。地味に効く。

 当日になったのはどうかと思うが、また会えるのが嬉しいのも事実。母さんの方を見れば、口パクで『行け』と言われた。こうなれば断る理由も無い。久しぶりに可愛い弟分に会いに行くとしよう。


「分かりました。行きましょう。」


「ありがとうございます!理莉様もきっと喜びます!」


 とてもいい笑顔だ。この人理莉のこと好きすぎない?なんというか、『普段はクールだけど弟相手にはポンコツな姉』の空気を感じる。


 あ、でもその前に服着替えて来てもいいですか?




  ◆◆◆




 生まれて初めてリムジンに乗った。ちなみに服装は中学校の制服だ。親以外と外出することがなく、余所行きの服を持っていないのでこれが一番マシな服装だった。制服は礼服としても使えた筈なので、失礼にはならないだろう。


「すみません。次の角にあるケーキ屋に寄ってもらっていいですか?」


 友達の家に行くのに手土産を忘れてはいけない。前世ではポテチなんかを持って行ったが、金持ち相手にそうもいかないだろう。

 このケーキ屋は長方形のチーズケーキ美味しく、我が家でも評判の一品だ。店内に、なんとか賞を受賞したと書いてあるので、味も保証されており安心だ。


 6個入りの物を買いまたリムジンに乗る。隣に座った節さんに聞くと、理莉の家はそう遠くない場所にあるらしい。


「あの後理莉は大丈夫でしたか?家出して女と遊んでたなんて、こっぴどく叱られたんしゃないですか?」


「ええ、それはもう。あんなに理莉様を叱るお母様は、専属契約をしてから初めて見ました。」


 やっぱりか。となると私も、一度や二度怒鳴られることを覚悟しておいた方がよさそうだ。


「そういえば気になってたんですが、何で理莉は名前呼びで、母親の方はお母様なんですか?」


「それは私が昔、お母様の後輩だったからです。当時私は先輩と呼んでいましたが、雇用関係になった以上そうはいかず、かといって今更名前で呼ぶのも不自然だったのでお母様と呼ぶようになりました。」


 なるほど。人となりを知っていたからこそ、専属契約を結ぶ程信頼できたのか。


「高校が同じだったんですか?」


「はい、正確には男性護衛官学校で一緒でした。」


 いい関係を築けていたようで、羨ましい限りである。

 ふと窓の外を見ると、不自然な程長い塀が視界いっぱいに広がっている。もしかして、ここですか?


「はい、ここです。」


 電子ロックの門を抜けると、日本風の庭と立派な日本家屋が見える。

 警備員に左右を挟まれながら玄関を開けると、凛とした立ち姿の着物姿の女性と、これまた高そうな着物を着た理莉が出迎えてくれた。


「ようこそお越し下さいました。突然のことになり申し訳ありません。当家の当主を務めております、如月佐代利と申します。」


「如月理莉でございます。」


 上品という言葉がそのまま当てはまるような佐代利さんと、この数ヶ月で身につけたであろう、多少体は強張っているがちゃんとした言葉遣いの理莉は実に様になっている。

 ちゃんとしたお土産買っといて良かった。この空気でポテチは絶対出せない。


「初めまして、睦月スミレと申します。本日はお招きいただきありがとうございます。お口に合うか分かりませんが、チーズケーキです。ぜひご家族の皆様でお召し上がり下さい。」


「これはどうもご丁寧に。」


 理莉がとてつもなく驚いている。なんだ?私にマナーなんて考えはないと思っていたのか?失礼な奴め。伊達に第二の人生を歩んではいない。ビジネスマナーは一通り勉強済みだ。正しいかどうかはわからないが⋯。


「理莉、お客様を客間へご案内してさしあげて。」


「はい、お母様。スミレさん、どうぞこちらへ。」


 我に返った理莉と佐代利さんに挟まれて客間に向かう。通されたのは、外観に違わず荘厳な和室だった。


「改めまして、先日は理莉がお世話になりました。」


「いえいえこちらこそ。」


 ここら辺は序盤のジャブみたいなもの。大きな一発よりも、隙を見せないことの方が大切だ。何の勝負かは分からないが。


「それにしても驚きました。理莉さんには頑張り次第と言ったが、正直な話、許可がもらえることは無いと思っていました。」


「え⁉︎」


 理莉が目を丸くする。さっきまでのキャラが崩れてるぞ。


「私も許可を出す気はありませんでした。しかし理莉が、あまりにもスミレさんスミレさんと言うので、一度会ってこき下ろしてやろうかと思いまして。」


「お母さん⁉︎」


「こら!はしたないですよ、理莉」


「まったくですね、これはまだマナーの勉強が足りないんじゃないですか?」


「スミレさんまで!もう!」


 どうやら素直な所は変わらないようだ。元同性の私でも可愛いやつだと思うのだから、親としては心配で堪らないだろう。


「驚いたのは私もです。家出から帰ってきたと思ったら、どうすれば信頼してもらえるか、何て言い出しまして。今までろくに勉強もしてこなかった子がですよ。おまけに女と一緒にいたと聞いて、はらわたが煮えくり返るかと思いましたよ」


 冗談めかしているが、目がマジだ。なんなら、今も煮えくり返ってますって目をしている。針で刺すような目線と鬼の様な形相、おまけに煮えくり帰るはらわたで、一人地獄みたいな人だ。

 この世界の男子を持つ母親はみんなこんな感じなのか?だとしたらら、結婚の許可を貰いに行く女は命懸けだ。


「ま、まあ、『男子三日会わざれば刮目して見よ』とも言いますし。これくらいの年齢の子供の成長は早いものですからね。」


「男子?刮目?なんですかそれは?」


「あ、いえ、何でもないです。」


 そうか、この言葉はこの世界に存在しないのか。また一つ世界の違いを学んでしまった。


「僕の話はもういいよ。それよりさ、スミレさんはこの数ヶ月どうしてたの?」


「私か?別にこの前話したのと変わらんよ。相変わらずボッチだし、怖がられてるし。⋯でも、サボりは少し減ったかな。」


「どうして?」


「理莉に格好つけた手前、自分だけサボってる訳にもいかんだろ。それにあの後私も結構叱られてな、暫くは信頼回復に努めてた。」


「そうなんだ⋯エヘヘへ。」


 おい、今度はだらしない顔になってるぞ。指摘されて頬をむにむにと触るあたり、あざとさが極まっている。これを天然でやっているのだから恐ろしい。


「スミレさん、お昼がまだの様でしたら、もしよければ食べて行かれますか?」


 口調は柔らかいが目線がより鋭くなっている。


「いえ、流石にそこまでしてもらう訳には⋯。」


 うわ、更に顔が険しくなってる。反対に、理莉の顔はなんだかしょんぼりしてしまった。


「そう言わずに。聞きたいこともいくつかありますから、どうぞ遠慮なさらず。」


「そうですか、では御相伴に与らせていただきます。」


 この状況で断るという選択肢は私には無かった。理莉は嬉しそうな顔になったが、佐代利さんの方は一層険しい顔になった。話に乗っても断っても険しくなるって、どうすればいいんだ。


「じゃあ僕準備してくる!スミレさん、楽しみにしててね!」


 もはやマナーも何もなく、小走りに部屋を出て行く理莉。扉を閉めていくくらいの落ち着きは欲しいところだ。


「まったく、あの子は⋯。」


 佐代利さんもため息をつく。息子を思う横顔は、私の知っている親のそれと同じだった。


 さてここで重要なのは、理莉が準備をすると言っていたので、暫くは佐代利さんと二人きりということだ。怒れる獅子と一対一、正念場だ。

 気を引き締めていこう。



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