第18話 まどろむ鬼と最後の緋劇


「私があなたに初めて会ったのは、まだ私が違う名を名乗っていた二十歳ごろだったわ」


 四人目の『顔なし女』はそう前置くと、体の自由を奪われた俺を見下ろしながら話し始めた。


「その頃の私は女性とも男性ともつかない自分の心を持て余し、戸惑っていたわ。女子高を出た反動で男性寄りの性を生きようと髪形や服装を男性の物にして、名前も変えていた。あなたがわたしの前に現れたのはそんな時、私が夜の街で働いていたころよ」


 麻利亜は冷たい目で俺を見ながら、口元にうっすらと笑みを浮かべた。


「当時、ホストだった私に入れ込んだ女の子が詐欺に手を染める事件があって、あなたは刑事として私に近づいてきた。あなたは私が女性であることを見抜くと、巧みな言葉でくどき始めた」


 俺は目の前の女が一つ過去を語るたび、封印していた暗い記憶がこじ開けられるのを感じていた。――やめろ、それ以上口を開くんじゃない。


「私は奇妙な魅力を持つあなたになぜか興味を持ち、「男の姿のままでいい」というあなたと関係を持つようになった」


 俺は麻利亜の語るおぞましい物語を必死で否定しようとした。だが、話が進んで行くにつれ、封じ込めていた物語が血のように記憶からあふれ出すのだった。


「でも『呪われた血』を持つ私にとって、あなたは出会ってはいけない『魔物』だった


「出会ってはいけない魔物……俺がか」


「そろそろ、思いだしてくれてもいいんじゃない?あなたも私とは別の『呪われた血』を持つ一族だってことを」


 俺は言葉を失った。やはりそうだったのか。もっと早く思いだすべきだった。


「まず私の一族のことを話しておくわ。私は『毒の血』という殺人衝動を引き起こす血を持つ一族の一人なの。もちろん、そのことをあなたが知らなかったはずはない。――だって、私を見染めて殺人鬼に仕立て上げたのは『あなたの血』だったのだから」


 俺は自分の中の何かが、麻利亜の言葉に反応するのを覚えた。俺の奥底にいる何者かが、彼女の糾弾に対して「それがどうした」と叫んでいる気がしたのだ。


「俺が……俺の血が殺人鬼たちを生みだしたと言うのか」


「そうよ。私たちは若い時期に『毒の血』の濃度が極度に高まって強烈な殺人衝動に襲われる体質。それを防ぐために同じ一族の男性から選ばれるのが『吸血鬼』と呼ばれる人たちなの」


「吸血鬼だって?」


「そう。吸血鬼たちは私たちが一定の年齢になり、危険な時期が来ると私たちの身体から濃度が高まった『毒の血』を抜いて安全な状態にする役割を担っているの。血を抜かれた私たちは肉体的にも精神的にもダメージを負い、療養や入院を余儀なくされる。そして世間からしばらく身を隠した後、何事もなかったかのように元の生活に戻るの」


「だったら連続殺人事件など、起こるはずがない」


「それが、時間が経つとまた血が騒ぎ始め、殺人衝動を取り戻す子が何人かいたの。それが『顔なし女』と呼ばれる女性たちよ。私を含むその女性たちは無差別殺人を防ぐため、「死にたがっている人」をネットで探すようになった。これは自殺ほう助であって、殺人ではないと自分に言い聞かせてね」


「そういうことだったのか……」


「結果、集まった子たちは『顔なし女』の手によって願望を成就させ、欲望を満たし終えた『顔なし女』たちは灰になっていった」


「灰にだと?」


「ええ。私たちは血の性質が変わると体の組織そのものが特殊な繊維質に変わるの。一度火がつくと、燃焼性のガスを出すことなくあっという間に燃え尽き、灰になるってわけ」


「信じられない。そんな人間がこの世にいるなんて」


「あら、あなただって普通の人間じゃないのよ」


「俺が……?」


「忘れたとは言わせないわ。あなたの『血』は、私たち一族の女と交わると相手の精神に殺人衝動を起こさせる性質がある。私たちの『毒の血』とあなたの血から作られる体液とが体の中で化学変化を起こすと、脳にある種の変化が生じて眠っていた殺人衝動が甦るの」


「そんな馬鹿な……」


「あなたはそれを承知で『儀式』を交わした。つまりその四人が『顔なし女』ってわけ」


 麻利亜の告白は、俺の麻痺した脳に容赦なく注ぎ込まれた。


「稲森仁美を殺した女、青柳逸美を殺した女、小山内希を殺した女……全て『毒の血』を薄められ、元の生活に戻ろうとしていたわ。そこへあなたが現れて言葉巧みに近づき、『儀式』を行った。……結果、消えかけていた『毒の血』の成分が、あなたの体液で甦った」


 麻利亜は憎悪と憐みのこもったまなざし目で俺を見た。俺の中に彼女の話を否定できる材料は微塵もなかった。


 ――結婚しよう、俺は君を決して裏切らない……そうだ、俺は身体の奥でたぎるなにかに突き動かされるように、女性たちに囁き続けたのだ。


「私はあなたの『最後の妻』として、他の三人を救わなければと思った。それで不破里士という昔、男性を装っていた時の名を使って『コーディネイター』を始めた。サイトに集まった女性たちには、本当に死にたがっているかどうか念入りに確かめたわ。その上で、私は『顔なし女』の噂を広めつつ悪魔の計画を実行に移したの」


「じゃあ、俺が『標的』の女性たちを調べ始めることも想定済みだったのか」


「ええ。刑事の時のあなたはいわば『野獣』。それをなんとか中和しようとあなたが産みだしたのが探偵のあなた。元々、ほのかさんもあなたの獲物の一人だった」


「なんだって……」


「でもほのかさんの朗らかな性格を知るにつけ、あなたの中でこれ以上、過ちを繰り返したくないという思いが大きくなっていった。それで、付かず離れずの距離を維持するために、あなたは探偵となって彼女を助手に迎えた」


「じゃあ、ほのかも『毒の血』の……」


「そう、私と同じ一族よ」


 麻利亜はそう言うと、ナイフを手にしたままベッドに近づいた。


「やめろ、彼女には自殺願望などないはずだ」


「うふふ、そうだったわね。……じゃあ、こうしましょうか。これなら理不尽な犠牲を出さずに全てを終わらせられるわ」


 麻利亜はそう言うと、動けない俺の前に立った。


「俺を殺すのか」


「死ぬのはいや?これだけ犠牲者を生み出しておいて」


 麻利亜はそう言うと、ナイフを振りかざした。仕方ない。好きにするがいい。俺が死を覚悟した次の瞬間、麻利亜は振り上げたナイフを勢いよく自分の胸に突き立てた。


「なにっ」


 麻利亜は両目を大きく見開くと、悲鳴も上げずその場に崩れ落ちた。


「いったい、どういうことだ……」


 俺が絶句していると、背後でドアが開く音がした。やがて、床の上を歩く靴音が部屋にこだまし、仰向けになって絶命している麻利亜の傍らに長身の人影が現れた。


「あんたは……」


「やはりこういう結果になりましたか。残念です」


 ナイフを胸に突き立てた女の傍らで俺を見下ろしているのは大学教授、万象鉄魅だった。

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