第8話
* * * *
「————グラムがレイバッハ侯爵家の餓鬼に打ち勝った? それは、なんの冗談だ?」
目を丸くさせながら、男は呟く。
そこには隠しようがない程の驚愕の感情が込められていたものの、それは、間違っても「打ち勝った」事に対する驚愕ではなかった。
「そもそも、なぜあいつが
男の名を、ヴェルグ・ラルフ。
ラルフ侯爵家の次男にあたる人間であり、グラムの血縁上の兄にあたる人物であった。
「あいつの事は、殺した筈だろう。なのに何故、まだアカデミーに通っている? 果てには、レイバッハのとこの餓鬼に打ち勝った? それは、一体何の冗談だ? そもそも打ち勝ったというグラムは、
ラルフ侯爵家の現当主である父から勘当を告げられたグラムに、暗殺者を差し向けたのはヴェルグであった。
そして、間違いなく死んだと報告を受けた。
なのにどうして、生きているのだとヴェルグの頭の中が疑問符で埋め尽くされる。
考えられる線としては、単純に、グラムを殺し損なったか。
はたまた、今しがた報告に上がってきたグラムは、単なる偽物か。
その二択だろう。
しかし、ヴェルグからすれば前者だけは「絶対」と言って良いほどにあり得ない選択肢だ。
あるとすれば、殺し損なったのではなく、
「……よもや、情でも湧いたか?」
「それこそまさか。間違いなく私はあの時、ラルフ様の胸を貫きました。念には念をと毒まで塗り、死亡した事を確認してから言われた通り、家の近くに放ってきましたとも」
威嚇するように睨み付けるヴェルグの言葉に反応したのは、黒の外套に身を包んだ男性。
つい先日。
グラムを襲った張本人である男であった。
「ですが、困りましたね。ヴェルグ様。事実確認はまだですが、グラム様が死んでないともなると、貴方様の
「……馬鹿にしてるのか貴様」
「いえいえ、ですが、不幸中の幸いか。あのリエント公爵家の麒麟児がグラム様に目をつけたようで。パーティーに誘ったそうです」
「リエント公爵家の麒麟児メノハ・リエントか」
『特級魔法師』の称号は、政治的観点でも強く意味を持つものである。
故に、その名はヴェルグも勿論知っていた。
「確か、あの娘がこの国に留学してきた理由は、」
「————アカデミーが保有するダンジョンの調査、ですね。表向きは知見を広げる為、となっていますが、アカデミー側が何やらキナ臭く、ダンジョンに隠してる何かを内々で処理する為にメノハ・リエントを呼んだとかなんとか」
そして、その対処の為に呼ばれたメノハがパーティーメンバーにとグラムを誘った。
ならば、十中八九、死亡するだろう。
あえて『特級魔法師』を呼び寄せる程だ。
ダンジョンに隠されているものは、生半可な何かでない事は間違いない。
「……ならば、下手に危険をおかす理由もないか」
待てば死ぬのだ。
あえてこちらから手を出す必要はもうないだろう。そう言って会話を締め括ろうとしたヴェルグであったが、
「ええ。……ただ、一点だけ気掛かりな事がありまして」
「なんだ?」
「もし、あの状態のグラム様が何らかの手段によって息を吹き返したのであれば……それは一体、どのような手品を用いたのでしょう?」
出血大量。
意識も手放し、身体には毒が。
仮に誰かが駆け付けたとしても、間違いなく助からない重傷であった筈。
「あれは、たとえ世界一の名医が場に居合わせていたとしても、匙を投げる程のものであった筈。とすると、考えられる線は————魔法。それも、
あの〝落ちこぼれ〟と蔑まれていたグラム・ラルフが、実は
その線はラルフ侯爵家の血筋を考えれば、十二分にあり得る。
果たしてその場合、メノハ・リエントに巻き込まれたとして、本当に失命をするのだろうか?
ヴェルグの味方である筈の外套の彼の、面白おかしそうな呟きに、ヴェルグは青筋を浮かばせる。
「何が言いたい」
「いえいえ。これは、なんという事はないただの
あくまで、最悪の事態の為の保険なのだと言い放つ彼を前に、ヴェルグは歯をぎり、と鳴らす。
「しかし、ラルフの御当主も実に愚かだ。病弱の長子を後継ぎとせず、末の子をラルフに相応しくないからと追放し、側室の不義の子を次期当主に据えようとしているのですから。ラルフの血は優秀でなくてはならない? ふふは、アッハッハッハッハ!!! いやぁ、笑えますねえコレ。真実を何も知らない御当主は、実に愚かなピエロだ」
グラムは知らない。
己が殺されかけた理由を。
殺されてしまえば、家に戻す事も出来なくなる。
もし、偶然が重なってヴェルグの秘密を現当主が知ってしまったとしても、どうにも出来ない。
たとえその時に、ラルフの血族として相応しいだけの才能をグラムが開花させかけていた未来が本来であればあったとしても、全てが手遅れ。
ヴェルグは完璧主義故に、グラムを殺そうとした。ただそれは、目障りだからという理由ではなく、己の地位をいつか脅かす障害になる得るからという理由であった。
「……少し、だまれ」
「おっと。これは失敬。私とした事が少々喋り過ぎてしまったようですね」
「そうだ。お前は暗殺者。余計な事は喋らなくて良い。必要な事だけ口にしていろ」
神経を逆撫でする発言をした彼をクビにする事は容易い。結局のところ、彼とヴェルグの関係は雇い主と、雇われた人間。
ただそれだけなのだから。
しかし、雇われた彼の能力は、暗殺者として特に秀でたものであった。
故に、ここはヴェルグが我慢をする事にしていた。
「……だが、そういう事なら話は早い。今夜にでも、グラムを今度こそ殺してこい」
不安要素があるならば、全てを封殺するまで。
そう言わんばかりに命令を下すヴェルグであったが、外套の男はその言葉に首を縦には振らなかった。
それどころか、
「いえ。これだけ言っておいてアレですが、今はやめておいた方が賢明でしょう」
「何故だ」
「色々と面白おかしい噂が出回ってまして」
「言え」
「……グラム・ラルフは、ラルフ侯爵家から〝落ちこぼれ〟を演じるように強いられていた。ラルフ侯爵家は見る目がない、等。まぁ、極々一部の声ではありますが……最悪、疑いの目がラルフ侯爵家にまで向き、暴かれる予定でなかった事実までそのせいで暴かれるやもしれませんが……」
それでも良いというならば、私はその命令に従いましょう。
要するに、藪蛇になっても私は知らないぞと平気な顔で外套の男は雇い主であるヴェルグに脅しをかける。
「俺を、脅すか」
「いえいえとんでもない。私はただ、可能性を言っているだけです。雇い主である貴方の為を思って言っているのですよ、ヴェルグ・ラルフ殿」
「……チ、少し様子を見る。グラムについては何かあればすぐに連絡を寄越せ」
「懸命な判断です」
喜悦に塗れた声を残し、外套の男は姿を消した。
「……面倒な事になったな」
グラムがラルフに籍を置いていた時にヴェルグが手を出せなかった理由は、グラムに監視の目があった事に加え、貴族殺しと家族殺しが禁忌として知られているから。
いくら〝落ちこぼれ〟とはいえ、殺されたとあっては当主もその原因を突き止めようとした事だろう。
ただ、勘当されたあのタイミングであれば、勘当された事実に絶望して、自殺を試みた。
この事実で誰もが納得出来る。
故に、あのタイミングであったのだ。
しかし、殺された筈の当人はのうのうとアカデミーに通学をしていると。
「あの、愚弟めが……!! これ以上俺に手間を掛けさせるな……!!!」
さっさと死んでいれば良かったものの。
そんな内心を隠そうともせず、ヴェルグは己の計画に狂いが生じた事に対する苛立ちを言葉に変えて吐き捨てた。
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