1:きれいでかしこい瀬名くんはうまく地雷を回避する

 うちの社長はおんなのひとだ。

 年齢はよくわからないけど四十歳手前くらいだろうか。小学生の息子さんがひとりいるけれど、一緒には住んでいないらしい。俺はただの契約社員というか、プログラマ見習いなので、正直彼女のプライベートなんてどうでもいい。彼女以外のスタッフのプライベートだってそうだ。だって俺は仕事をしに、仕事場に来ているんだから。


「仕事場の人間との関係なんて、そんなに深くしないほうがらくだよなあ」

 俺の師匠もよくそう言う。師匠とは俺が勝手にそう呼んでいるだけだ。師匠は以前から、CEDECなんかで基調講演をしたりしていて、Twitterでも業界の技術情報をよく発信していた人だ。俺は運がよかった。師匠をフォローしていてゲームの仕事をしたい人間は、たぶんものすごくいっぱいいたと思う。あと師匠と付き合いたいオタク女子とか。


 俺はたまたま師匠が卒業した専門学校に在籍していて、学祭に師匠が講演に来てくれた時、つい気軽にTwitterで講演の感想を述べてしまった。だって他の参加者もおなじようなツイートをしていた。師匠はそのたくさんの、有象無象のさえずりの中から、俺を見つけた。そして今いる職場で一緒に仕事をしないか、と言ってくれた。俺はその打診のメンションを見た時、すごくびっくりした。一番最初はDMじゃないのも胡散臭くなくてよかった。詳細はLINEでもメールでもdiscordでもいいから話せれば、というものだった。


 そして俺は今、この職場にいる。師匠は社長をあまり好きではないようだ。社長はもともと大手ゲームメーカーで働いていて、師匠曰く「トウが立って『女』だけじゃ通用しなくなったから辞めた」らしい。師匠は割と容赦がない物言いをするが、社長については嫌いというよりも呆れているようだった。それなのに社長の下で仕事をしているのは「長年の友人に頼まれたから」らしい。変なところで義理がたいひとだ。


「あのねぇ、昨日から息子が遊びに来てるから、クッキー作ったの」

 社長がそういって、開発ルームのおやつ置き場に、クッキーののった皿をおいていった。そして同じ契約社員の瀬名くんにニコニコ笑顔を向けていた。わかりやすいひとだなあ。瀬名くんは新卒2年目で顔がよくて体もほどよく鍛えていて、ゲームの仕事をしている男子の中ではなんていうか「モテそう」なタイプだ。プランナーだし。それは関係ないか。


 瀬名くんは曖昧に笑って、モニターに顔を向けた。もう御用はありませんよね、と言わんばかりに。彼のそういう、社長へのあっさりした対応は、俺には面白い。別に社長のご機嫌を損ねても構わないんだろう、師匠もそうだ。この会社にいる必要なんて本当はない。俺は師匠がいるからここで働いているし、師匠は人間関係の機微を多少気にかけて業務委託を請けているだけだ。だから今担当しているプロジェクトが終わったら、俺らはおそらくこのオフィスを去るだろう。もっと楽しい戦場を求めて。傭兵みたいだ。


「息子さんが来ているなら早く帰らないとですね」

 瀬名くんの声音はやわらかかったけれど、どこか有無を言わせない雰囲気があった。

「平気平気。どうせあの子ゲームしてるわ。あたしより全然うまいの」


 社長は身バレなどをおそれないのか、MMO用のTwitterアカウントでも自分のプライベートを隠していなかった。自分の職業も居住地もわかりそうなツイートばかりしていた。いやそれゲーム用のアカウントだろ? 個人情報とか大事じゃないのかな?


 社長がそのMMOを遊びはじめ、ゲーム用のTwitterアカウントを作った時、社内チャットで社員や開発スタッフ内に回されてきた社長のアカウントは「わかりやすいネトゲの女」そのものだった。俺は思ったものだ。ばかだなあ。ゲームの中のキャラクターとしてだけでどうしていられないんだろう。どうしてゲームの中のかわいいアバターに、よけいな属性をつけるんだろう。結婚経験あり、バツイチ。元旦那はイケメンでゲイ。


 そういう、赤裸々で自慢げなツイートを眺めながら、俺と師匠は居酒屋でおそい夕飯をとっていた。師匠はビールを、俺はジンジャーエールを飲みながら、やたら大きくてジューシーなからあげをほおばる。

「この、社長の元旦那さんって、師匠の友達なんですよね?」

「ああ」

「簡単に個人特定できちゃうのに、性的指向をなんでSNSで元嫁に全世界に発信されなきゃいけないんですかね。ゲームシナリオの仕事をしていて、イケメンで、年齢もだいたいわかっちゃうし、子供がいてバツイチってバックグラウンド全部バラされて」

 俺の非難に、師匠はちょっとびっくりしたようだった。ごくん、とビールをのみくだして「はは」と笑った。


「あの女にそんな思慮なんかないよ。『ふつうとは違う自分』を語りたいだけだからな」

「俺は別にネトゲでのフレにそんなもん求めませんね」

「俺だってそうだよ」

 師匠はどこか傷ついているようなかおをしていた。とっくにふさがったはずのかさぶたに、指先がひっかかってはがれて、思っていたよりも血が出ちゃった、みたいな様子だった。

「前に、業界仲間で遊んでたネトゲのギルドに、あの女が乗り込んで来て、あの調子でプライベートを吹聴した。ギルドマスターはあの女の元旦那だ。当然、女はかわいそうな奥さんで、旦那はみんなに『キモい男』って呼ばれた」


 そんな、ゲーム上のうすっぺらいチャット(もしかしたらブログとか、SNSもやってたのかもしれないが)の言葉をかんたんに信じちゃうなんて、それはそれで軽率だ。

 人間なんていくらだって嘘をつけるし、視点を変えれば被害者と加害者がひっくりかえることなんてネット上にはゴロゴロ転がっている。

 でも世間には軽率で、あまりものを考えず、調べず、思考しない人がいっぱい存在しているのだ。

 俺だってそうだ。俺は社長の物言いや何かと瀬名くんみたいな若い男や媚びる態度や、やたらと元夫をくさすのが気に入らないというだけで、彼女を嫌悪している。彼女の中に(おそらく)存在するであろう、感情や葛藤については一切無視して。


「『キモい』かぁ」

「語彙が豊富な人間ばかりがネットやってるわけじゃないしな。俺らなんか特に理系出身だし」

「異質な相手に対して『キモい』って自分の感情だけで排除しようとするの、浅はかじゃないですか」

 俺がいうと師匠は目をまるくした。ふだん俺はそういう不快を言語化しないせいだろうか。社長のふだんの言動は嫌いだし、ゲームの1プレイヤーとしても、リアルを匂わせて人気を得ようとする姿勢も好きではなかった。


「おまえ、社長のこと『キモい』って思ってるだろ?」

 師匠はほがらかに笑った。

「思ってますよ、あの人は周囲にいる全てを『特別なあたし』の小道具に使ってるから」

 俺はスマホのアプリに着信したメッセージの通知を見て、愉快な気分になる。

 そこには社長のゲーム用アカウントからのDMが表示されていた。

 そう、俺は彼女とゲーム内でのフレンドだ。彼女の悩みを何でも聞いてあげる、小柄でずんぐりむっくりの、ドワーフの女の子。彼女の人気を損ねない、都合のいい『おともだち』だ。


 ──今夜、新しいダンジョンにみんなで行こう?

 そうだね、行こうか。そしてあなたがゲームの中で、男のキャラクターに囲まれて『ゲームがへただけどかわいらしいあたし』を演じているのを、そらぞらしい気持ちで俺は見るんだ。

 

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