第15話 吸血鬼

喉が渇く……


自分を匿い、育て、そして血を与えてくれた両親は事故で死んでしまったらしい。

日々喉の渇きが酷くなる。それはどんなに水を飲んでも癒えることがない。


ついに、耐えきれず外に出てしまった。

気がつくと近くの家に忍び込み、寝ていた女性の腕に牙を突き立てていた。

口の中に、久方ぶりの血の味を感じた瞬間は、堪らない幸福感を感じ、しかし喉の渇きが和らいだところで、我に返ると、自分のしたことに恐怖した。


その女性が家に訪れるようになった。あなたを助けたいのだという。おれはただ血が飲みたいと望んだ。そして申し訳ないと感じながらも、その日から彼女で喉の渇きを癒した……。




「おねえちゃん、どこかいたいの?」


診療所を飛び出した私が、外で蹲っていると、先ほどの子供たちの中にいた女の子の1人が、心配そうに声を掛けてきた。

ちらりと目に入った、彼女の腕に、小さな針の跡があるのを見て、カッと頭に血が昇る。


「せんせーなら、なおしてくれるよ。いかないの?」


ふるふると頭を振って、その感情を抑え込む。

全て私のこと思ってやってくれたことである。

自分でも理解しているはずなのに、知らないふりをして何もしなかった私の代わりに、彼はどうにかしようと行動してくれたのだ。


「大丈夫よ」


私はそう言って女の子の頭を撫で、そして遠ざけた。

さっきの小瓶を見た時から、意識しない様にしていた喉の渇きが、衝動が、抑えられなくなって来るのを感じる。

辺りが暗くなり始めている。虚脱感の感じる体を引きずる様にして起こし、どこへともなく歩き出しだ。




「その後は、女性の異変に気づいた町の人が家に押し入り、そして引きづり出された彼は陽に当たると消えたらしい。」


それは、吸血鬼と思われるものの記録だという。

彼らの様な存在は、この世界では一般的には知られていない様で、この日記も、貴族の伝手を使ってようやく手に入れたらしい。


「おそらく吸血鬼は、他者の血液なしでは生きられない。大人2人で何年も育てたのだから、それほど量は必要ないかもしれないがな……。それから直接吸われた場合は、魅了の様な状態になってしまうのではないかと考えている。」


外を自由に歩けない彼らは、そうやって、向こうから来てもらうように仕向けるのだという。


「どうにか……ならないんですか?」


「おれには今の症状を軽減する方法しか思いつかない。」


イッセイは机に並んだ赤い液体の入った小瓶を見つめる。

小瓶自体が何かの魔道具なのか、透明なガラスの様な素材で出来たそれの中で、怪しく光が揺らめいている。


「おまけにアカネは不死だ。死なないというのがどういうものか分からないが、我慢したとして、永遠にその苦しみが続くんだ。……耐えられるわけがない。」


イッセイは理解が及ばないものに対して苛立ち、それを呑み込むように追加のタバコに火をつけた。

いっそ死ねた方が楽かもな。と呟いたのが聞こえた。

医師をしていたという彼は、数えきれない程の生の終わりを見てきたのだろう。そしてそれの中には、彼の選択によって迎えたものもあったのかもしれない。

自分の無力を知り、だからこそ出来ることがあればそれをやらずにはいられない。

放っておけば、彼女はいつか壊れてしまうのだ。

いつかとは、それは今日かも知れない。


「探してきます」


居ても立っても居られなくて、おれは彼女を追って部屋を出た。


ひとり残された部屋で煙を吹かしながら考える。

彼女は、元はただの人間だった。つまりこちらに来た時に、一度、作り直されたことになる。

そこを辿られれば何か分かるかもしれないが……。

最初に訪れたあの空間……しかしあそこが何なのか、この世に存在し、我々が立ち入れる場所であるのかすら分からなかった。




外に出た時には、すでにアカネの姿は無かった。

女の子が、古い居住区の方へ歩いていったと教えてくれる。

すえた臭いのする路地を走り、時々、すれ違う人々にアカネの特徴を伝えて周る。この辺りでは目立つ容姿をしている彼女のあとを追うのは難しくなかった。



そこは共同墓地のようだった。

名前の刻まれた墓石が並び、雲のかかった月の光にぼんやり照らされるなか、アカネの姿を見つけた。

彼女はこちらに気づくと逃げるようにして、大きなガラスの嵌められた、背の高い建物に入っていく。



「こないでよ……」


背中を追いかけて、その建物の中に入ると、彼女は弱々しく言った。

強く拒絶されるかと思っていたおれは、彼女の目を見る。

その彼女の声が、眼差が、助けてくれと云っていた。

ここへ辿り着くまで、おれは、走りながら自分に何ができるのかと考えた。

おれたちがやろうとしている事は、本当に正しい事なのか。彼女を、さらに追い詰めるだけの結果にはならないだろうかと。


「それでもおれは、おまえの笑っている顔が好きだ。」


だから、苦しんでると知って放ってはおけない。

おれはナイフを取り出すと、自分の掌に刃を当て、切り裂いた。

ズキリと痛みが走る。診療所を出てくる時、あの小瓶を持ってこなかったことを少し後悔した。


ナイフが床に落ちる音が建物に反響する。

アカネは、その行為を目を見開いて見ていた。

少しずつ近づいていくおれに、彼女はイヤイヤをする様に頭を振る。

さらに距離を詰め、涙を流す彼女の瞳を見つめた。

動こうとしない彼女に意識を集中する。しかし何かに妨害される感覚を感じた。

彼女の腕に光るプレスレットをチラリとみる。おれは、ふたたび視線を戻し、さらに集中を高めていく。

バチリと頭の中で何かがはじけ、そしておれの目に、彼女の状態が浮かび上がった。



ミヤノ アカネ


【ステータス】

飢餓、吸血衝動



「おれの血を飲め、アカネ」


おれは優しく彼女の名前を呼んだ。

ぽたぽたと、掌から落ちた血液が床に染みをつくっていく。

彼女は何かを押さえ込むように、自分の肩を抱きしめる。



「わたしが、恐ろしくないの……?」


俯き、表情を隠しながら彼女は言う。


「……血を吸う生き物なんかいくらでもいるだろ。元の世界でも……蚊、とかな。」


それに対して、おれはできる限り明るく努めて返す。

ふふっ。と彼女が笑ったような気がした。


彼女の姿がゆらりと揺る。そして視界から消えたと思った次の瞬間、気づくとおれは床に押し倒されていた。

打ちつけた背中と後頭部が痛む。


「……バカ」


彼女が耳元でささやき、そして……おれの首筋に噛みついた。

それを、おれは力を抜いて受け入れた。



痛みは感じなかった。熱が抜けていき、体の芯が冷たくなる感覚を覚える。

そして反対に、彼女から、ズルリと何かが入ってくるのを感じた。

それが吸血鬼の能力のひとつだと、おれは理解した。

朦朧とする意識を、結局無駄になってしまった掌の傷を握りしめて、無理矢理覚醒させる。そして、体に入ってきた異物を、拒絶した。

頭の中でカチリと音がして、メッセージが表示される。


“異常を検出、隔離しました……”




少しぼーっとする頭で、彼女の体を支える。

彼女は、おれの胸に頭を預け、徐に手をとり握った。

そして、いつか見た炎を出現させると、重ねた2人の手を優しく包み込んだ。

ナイフで切り裂いた傷が癒えていく。

同時に、夜になると吸血鬼の存在が強くなるという彼女の手は、黒く焼け焦げていくのだが、彼女が炎を消すと、みるみるうちに、元の透き通る様な肌をした少女の手に戻っていった。

それを見て、満足そうに笑うと、彼女は静かに目を閉じた。



蚊って……寝てる時に耳元で鳴る、あの羽音ほど憎たらしいものってないわよね。

彼女が寝言を言うように、ポツリと呟く。

それに比べたら、まだわたしの方がマシかしら。と続けた。

おれはその答えずらい呟きに無言で答え、彼女の手を握り返した。




“異常を検出、隔離しました。

対象:魅了

削除を実行。成功。”



先程の表示の続きを確認する。

おれはそれを見て、ほんとに役に立たないスキルだなと思った。

いつのまにか雲は晴れたらしい。大きな窓から差し込む、明るさを増した月の光に照らされた、彼女の横顔をそっと見る。


なんせ……おれはとっくに、彼女の魅了に掛かっているのだから。

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