憧れの歌い手クラスメイトに原稿を見せたら、彼女の曲の作詞をすることになった。

虹元喜多朗

プロローグ

 第二次選考通過者のなかに、『三角四角みすみしかく』の文字はなかった。


「――また落選か……」


 僕は『北洋高校ほくようこうこう』一年三組の教室――僕が所属するクラスで、自分の机の上にグダー、と突っ伏した。


 大きく溜め息をつく僕の右手には、水色のスマートフォンが握られている。


 高校進学をに機種変したスマホ。その液晶画面ではブラウザが開かれていて、とあるWebページが表示されていた。


KADOSAWAカドサワライトノベル新人賞』――僕が自分の作品を投稿した新人賞の、結果発表のページだ。


 そう。三角四角こと僕、皇啄詩すめらぎたくしは、ラノベ作家を目指している。


 けれど結果は……まあ、このようなわけでして。


「うあぁぁ……久しぶりに一次選考に通過できたのになあ……」


 僕は左頬を机の上でむにっとさせながら、弱々しくうめいた。


 KADOSAWAライトノベル新人賞には、受賞に至るまでに四回の選考が行われる。


 第一次選考、第二次選考、第三次選考、そして最終選考。


 僕が目指しているのは、当たり前っちゃ当たり前だけど、デビューが確約される最終選考通過だ。


 だけど、そこまでは遠いなあ……。


 しとしたうだるような暑さと、汗で貼りつく制服のシャツが、僕の不快感を何倍にも増幅させている。


 僕以外に誰もいない教室では、せみの声がやけに大きく聞こえた。





 僕が新人賞への投稿をはじめたのは中三の春だった。


 小学校に上がる前から本の虫だった僕がライトノベルと出会ったのは、中学生になった直後のことだ。


 漫画雑誌を立ち読みするため、中学校の近くにある書店を訪れた際。雑誌を読み終えた僕は、ついでに面白そうな本を探そうと、本棚と本棚のあいだをフラフラとしていた。


 そうしたら、たまたま可愛い女の子のイラストが目に入ってきて、ためしに手に取ってみたわけだ。


 僕は引き込まれた。


 いままで読んだことのなかった軽快な文章。


 それでも失われることのない言葉選び。


 りに練られた斬新ざんしんな設定と、心躍るストーリー展開。


 そしてなにより、いまにも本の世界から飛び出してきそうな、イキイキと立ち回るキャラクターたち。


 感動だった。


 それから僕がライトノベル――ラノベにハマったことは、想像にかたくないよね。


 中学二年生に進級してから、読むだけじゃ物足りなくなってきた僕は、自分でラノベを書いてみようと思い立った。


 お気に入りの作品を参考に、自分が面白いと思える設定を考えて、加筆・修正を繰り返し、試行錯誤しながら。


 いま読み返してみたら稚拙ちせつ極まりない作品だと思うけど、書き上げたときの喜びは忘れられない。


 それから二作目、三作目と書き進めていくうちに、僕のなかで願望がむくむくと膨らんでいったんだ。


 僕の書いた作品を、ほかの人にも読んでもらいたいっ!


 ラノベに挟まっていたチラシのおかげで新人賞の存在を知っていた僕は、父さん母さんの許可を得て初投稿。


 その結果、驚くべきことに第一次選考を通過!


 新人賞の一次選考を通過できるのは、大体、一割から三割の作品だ。


 当時の僕にとって、そのなかの一つに選んでもらえたっていう事実は、とてもとても大きいものだった。


 流石さすがに二次選考通過とまではいかなかったけれど、初投稿でこれならっ! と僕は勢いづいた。


 二度、三度、四度と、意気揚々いきようようと投稿していったんだけれど――


 いずれも、一次落選なわけでして……。


 なまじ通過の喜びを知り、期待が膨らみに膨らんでいた僕のヘコみ具合といったらもう……いまの僕を見れば、わかるでしょ?


 この、炎天下に置き忘れられてデロっと溶けたアイスクリームみたいに脱力している僕を見れば。


「はあぁぁぁ……」


 あまりの情けなさに、また溜め息がでちゃったよ。


 ぶっちゃけなめていました。天狗てんぐになっていました。申し開きもございませんです。


 高々となっていた僕の鼻っ柱に空手チョップを叩き込んでくれたのは、編集部さんが送付してくれる、作品に対する評価シート。


 審査員からのありがたいコメントがしたためられている、客観的視点からの評価・アドバイスだった。


 審査員さんいわく、




『いずれの登場人物も魅力的で、文章も非常に読みやすく、親しみを持てます』

『ただ、ストーリーがありきたりで描写されているシーンも少なく、ヒロインが主人公に好意をいだいたことに対しての説得力にも欠けます』

『物語としてのスケールも小さいので、もっと盛り上がるように意識して、読み応えのある構成を心掛けましょう』




 いや、ありがたいよ?


 そりゃあ、僕なんかの薄っぺらい作品をキチンと読み切ってくれて、その上に適切なアドバイスをしてくれる。




『次回作に期待しています』




 とか、スゴくやさしいコメントまでくれるんだから。


 なんでわかんないかなあっ! なんてこと、思っていない。


 むしろ、なんてやさしいんだろうっ! って、涙ぐむレベルだよ。


 うん。そうだ。否定されたわけじゃない。けなされているわけでもないんだ。


 ――けど、さ?


「……ツラい、なあ」


 現実を、突きつけられる。


 もしかして、僕という存在自体が認められていないんじゃないかな? って錯覚してしまう。


 もしかして、僕は一生、ラノベ作家になれないんじゃないかな? って考えてしまう。


「諦めた方が、いいのかなあ?」


 そんな考えが、頭をよぎってしまう。


 七月一四日。一学期ももうすぐ終わり。


 ムワァ、と蒸し暑い空気が僕の気だるさを助長して、僕以外、誰も教室に残ってないっていう状況が、僕をひどくむなしい気分にさせる。


 近くから聞こえる、野球部員の快活な声出しが、どうしてだろう? どこか遠いものに感じて仕方ない。


 僕だけが置いてけぼりにされているような感覚。


 孤独感と劣等感が、僕を襲い、むしばんでいく。


 心がへし折れる寸前だった僕は、ゆっくりと身体を起こし、手にしていたスマホを操作した。


 画面をタッチして、あらかじめブラウザのブックマークに保存しておいた、とあるサイトへと向かう。


 世界に名高い大手動画投稿サイト。


 サイトに移動した僕は、登録してあるチャンネル――『上月姫子こうづきひめこ』さんのチャンネルを開いた。


 動画リストのなかから一つ選択して、タップする。




 シャラララララ――




 流れてくるウィンドチャイム。それはまるで、暗闇を駆け抜ける流れ星のよう。


『――――――』


 続いて届いてくる、姫子さんの歌声。


 姫子さんの声以外の音が消えた、いわゆる『アカペラ』ってやつだ。


 姫子さんの歌声だけが聞こえる。だからこそ、歌詞に込められたメッセージが、そのまま僕に贈られる。


 ――まだ終わってなんかいないよ?


 そう、訴えかけてくる。


 ドラムの勇壮ゆうそうな打音が、姫子さんの歌声に応えるように連続した。


 身体のしんが、ジン、と熱くしびれる。鼻の奥が、ツン、として、視界が少しだけ潤んだ。


 嬉しくて嬉しくて堪らない。泣きたくなるほどに。


 それは、僕が一番掛けてほしい言葉だったから。


 いま姫子さんが唄っているのは、あるアイドルグループのシングル曲だ。


 バンド形式で発表されたアップテンポな一曲。逆境に生きるすべての人々に贈られたような、力強い応援歌だ。


 姫子さんの伴奏を務めているのは、音楽制作ソフトで作られたとおぼしき、アレンジが施された電子音楽だ。


 ちゃんと自分で演奏したり、データを一から入力して作ったりした曲に関しては、動画の投稿が許されているらしい。


 実際、姫子さんが作成したデータ音源は、本来の曲調よりも柔らかくて、オリジナルのものとは印象が異なっていた。


 もともとは力強く胸を打つような楽曲なんだけど、姫子さんが唄うそれは、手を差し伸べてくれるような、やさしく背中を押してくれるような感覚がする。


 ――わたしも諦めないから、笑って?


 そう、見つめられている気持ちになるんだ。


 僕の頬を涙が一筋、伝った。


 スマホの画面に映る、首下から胸の辺りまでしか見えていない、けれど、間違いなくやさしい心の持ち主だろう姫子さん。


 白い清楚せいそなブラウスをまとう黒髪の歌姫に、僕は勇気づけられているんだ。


 長く伸びる弦楽器の音色が細くなっていき、僕の心に余韻よいんを残した。


 動画が終わったところで僕はブラウザを閉じる。


 ぐし、と目元を拭って、僕は一言口にした。


「――――ありがとう」


 心の奥が、抱きしめられたみたいに温かい。


 大丈夫。僕はまだ、歩いていける。


 僕は、姫子さんの歌声に、いつも励まされているんだ。




          ♫  ♫  ♫




 自転車を漕いで住宅地までやって来た僕は、ハンドルを左に切って坂道を下りはじめた。


 流れ行く風が、短く切った僕の黒髪を乱暴に撫でる。


 海から運ばれてくる潮の香りが、胸の内側を満たしていった。


 木造の日本家屋。三〇年以上前から続く理髪店。ほとんど駄菓子屋みたいになっている小売商店。


 次々と通り過ぎていくレトロな風景。僕が向かう先にあるのは日本海。


 自転車を押して帰る道は、急勾配きゅうこうばいで正直地獄だ。下半身の筋肉が悲鳴を上げることは間違いない。


 だけど、いまの僕にはどうしても訪れたい場所があった。


 地元でも知る人ぞ知る――と僕が勝手に思っている――スポット。


 日本海を水平線まで見渡せる、絶景のオーシャンフロント。それを心行くまで楽しめる小さな公園が、入り組んだ道の先にあるんだ。


 三ヶ月ほど前に偶然見つけてから、気分を一新したいとき、悩み事を抱えているとき、執筆に行き詰まったとき、とにかくボーっとしたいときに、僕は訪れている。


 姫子さんから勇気をもらった僕の目的は、一番目――気分を一新して、前に進むためだ。


 曲がりくねった路地を走る僕。


 住宅と住宅のあいだをうように進み、公園まではあとわずか。




「…………――」




 そのとき、聞こえたんだ。


「――えっ?」


 僕は呆気に取られた。


 だって、その歌声は、ついさっき耳にしたばかりのものだったから。


 たどり着いた海辺の公園。


 眼下に広がる、青い海と青い空。


 そこに、いた。


 海風に揺れる水色のワンピース。


 ブラックパールみたいにつややかで美しい、肩甲骨けんこうこつの下まで伸びた黒髪が、サラサラとちゅうを遊んでいる。


 季節はもう夏なのに、その肌は処女雪のように白く瑞々みずみずしい。暑さも湿っぽさも忘れて、見取れてしまうくらいにキレイだ。


 ブラウンのミュールをはいた足はほっそりとしていて、だけど、ちゃんとした丸みを帯びていた。


 もはや芸術品だとしか思えない。後ろ姿を見ているだけで心を奪われる、やや長身の女の子。


 海と空の青。芝生の緑。雲と肌の白に、艶髪の黒。


 大自然とその少女の美しさが、得も言われぬハーモニーを生み出している。


 彼女は海へと向けて、朗々ろうろうと唄っていた。


 昨年大ヒットした映画の主題歌。


 四人組ロックバンドが書き下ろした名曲を、僕が何度となく聴いてきた歌声で。


「――――――――」


 その歌声は不思議なくらい透き通っていて、日の光のように無垢で、けど、そのなかに確固たる『自己』を持っていた。


 ただ歌を真似るでもなく、なぞるでもなく、自分というフィルターを通して表現しているような。


 ささやくでもなく、訴えるでもない。


 ミックスボイスを用いることもなく、ビブラートを利かせているわけでもない。


 ハスキーボイスでもウィスパーボイスでもない、至極ストレートな、テクというテクを持たない歌声。


 彼女の歌声は、洗練されたピアニストのかなでのようだった。


 たった一人の声という、たった一つの楽器。その声色だけで、歌に込められたすべてを解き放っている。


 彼女の歌声は、歌というかたちをしたラブレターのようだった。


 たった一曲のためにつづられた、たった一人からのメッセージ。『歌詞』という想いを、僕の心に届けてくれていた。




          ♫  ♫  ♫




 彼女の歌が終わるまで、時を忘れたみたいにして眺めていた。


 これは夢なんじゃないか? そう思いながら。


「――――――――」


 ほけー、と突っ立っていると、唄い終えた彼女が両手を下ろし、一呼吸分、肩を上げ下げした。


 そして、ワンピースの裾を揺らして振り返り、


「――――あ……」


 僕と目が合って、一言。


「――――あ……」


 僕も返答のように、一言。


 そのまま二人で見つめ合う。


「……う、うぁ……」


 彼女のブラウンの――ヴァイオリンみたいに深く滑らかな、惚れ惚れする色味の瞳が、大きく見開かれる。


 真っ白くて透き通っていた肌が、ほのかに赤く染まっていった。


 きっと暑さのせいじゃない。


 やや赤みを帯びたローズピンクの唇が、かすかに震えている。


 多分、恥ずかしいからだと思う。


 だって――


「え? 上月、姫子さんって――」


 ビクン、と彼女の肩が跳ねた。


「――――文月さん……だったの?」


 その女の子は、北洋高校一年一組の女子生徒。


 僕もちょっと憧れている美少女――文月乙姫ふみづきおとひめさんだったから。

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