落とし物は何ですか?

涼月

彼は今日も森を歩く

 むかーしむかし、あるところに木こりが住んでいました。木こりは毎日せっせと木を切ってはたきぎにして、週末にはそれを背中に担いで町に売りに行っていました。町に売りに行くといっても、たきぎはそう高くでは売れません。それに、木こりは木の大切さを知っていたので、町に住む人に「もっと木を切ったらいいのに」と言われても、うなずくことはありませんでした。そんな風でしたから、木こりは森の中でも一番に貧しい暮らしを送っていました。もしかすると、森に住むリスの方がおなかいっぱいごはんを食べていたかもしれません。それでも、木こりは楽しく暮らしていました。木こりは鼻歌を歌っていれば、どんなにつらくても少しは明るくなれることを知っていたのです。


 木こりは今日も鼻歌を歌いながら、木を切ります。その歌は森の中に広がって、お歌の上手な小鳥もうっとりと耳をすませるほどでした。


 *


 その日、木こりはたまには気分を変えようと小さな池の近くへと行きました。ちょうど木こりが一人泳ぐのにぴったりな、小さな池です。木こりは、ぐるりと回りに伸びた木を見わたしてどの木を切ろうか考えました。彼は木を切りすぎてはいけないことと同じくらい、切る木をよおく見きわめることが大切だと知っていたのです。木こりは斧を肩に担いだまましばらく考えると、腰の曲がったおばあさんのような木を切ることに決めました。たくさんのたきぎが必要になる冬のために、しゃんと背筋の伸びた働き盛りの青年のような木は残しておかなければならないのです。なぜって、そんな木を切ってしまったら、困るのは自分自身ですからね。


 木こりはいつものように名前のない鼻歌を歌いながら、えいや、と斧をふり上げました。にぶい音がして、ぐさりと斧がつきささります。彼はもう一度斧をふり上げようとして、おや? と首をかしげました。ささった斧がなかなか抜けないのです。ぐんにゃりと曲がった木は、本当におばあさんみたいに筋張っているようです。そういえば、よろよろと伸びたほそい枝はなんだかおばあさんのしわくちゃな腕に見えます。木こりは少しだけもうしわけないような気持ちになりながら、斧の柄に手をかけて、思いっきり引っぱりました。

 すると、木こりが、あ、と思う間もなく斧は音も立てずに木から抜けて、木こりの手からも抜けて、一直線に池に飛びこみました。その勢いといったら、町一番の勇敢な少年が崖から海に飛びこむよりはやいぐらいです。木こりは思わず尻もちをついてしまいました。頭がくらくらとして、目の前には星が見えてきそうでした。

 彼が一度、二度とまばたきをして、ずきずきと痛むお尻を抱えて立ち上がると、斧はすっかり池に沈んで見えなくなっていました。木こりは、困ったな、と言うかわりに頭をぽりぽりとかきました。貧しい暮らしをしている彼の頭から、白い雪のようなものがこぼれます。木こりは肩についたをはらうと、せっかくなら水あびをしよう、とくつをぬいで池に向かって歩きはじめました。今はまだ、夏の始まりです。体が丈夫なことと正直者で明るいことだけが取り柄の木こりは、少しくらい水がつめたくても大丈夫、そう思いました。


 はだしで歩くと、やわらかい草が木こりの足をくすぐります。彼は、まるで子どもに戻ったような気になって、小さくステップを踏みました。お城の中だったらすぐに追いだされてしまうようなふしぎなステップでしたが、ここは森の中です。だれも文句を言う人はいませんし、見ているだっていないでしょう。動物が見ているかもしれませんが、彼らにはそんなことわかりっこないのです。そういうわけですから、木こりはなにも気にすることなく軽くはずみながら池のふちまで行きました。

 木こりは池のふちまでくると、右のつまさきをちょんと水につけました。ひんやりとした感触がここちよくて、彼は目をほそめました。料理をするとき以外で水にふれたのは数日ぶりです。木こりはしあわせそうに息をはきました。そうして、反対の足も水につけようと足を伸ばしたとき、さあっとさざ波が立って彼の右足をうちました。


 「あなたが落としたのは金の斧ですか?それとも銀の斧ですか?」


 しん、とした森に鈴のような声がひびいて、水面をながめていた木こりはびっくりして顔を上げました。見ると、池のまんなかにはっとするほどきれいな女の人が立っています。彼の心臓が、どきん、と女の人に聞こえてしまいそうなほど大きく鳴りました。女の人は、ゆったりとおだやかにほほえんでいます。

 「どちらでもありません」

 木こりはひどくどぎまぎしながら、なんとかそう答えました。さっきも言ったように、彼は正直者でした。嘘をつく、なんてことを思いつくこともありませんでした。女の人の手に握られた二つの斧が、おどすようにきらりとまたたきます。

 「それは本当ですか?」

 女の人がそう木こりにたずねると、彼は「はい」とうなずきました。何度も言っているように、彼は嘘をつくこと自体思いつきませんでしたし、思いついたとしても嘘をつく理由がありませんでした。女の人はほほえみを浮かべたまま頭をたてに振ると、すうっと池の中に消えてしまいました。木こりはもう一度びっくりして女の人を引きとめようと口を開きましたが、うまく声が出ません。思わず伸ばした右手が宙をさまよいます。木こりはすっかり困ってしまいました。

 すると、池のまんなかからきれいな円をえがいて、また波がさあっと彼の足をうちました。まるで太陽が山の向こうから昇ってくるように、女の人は水面から姿を現しました。

 「それでは、あなたが落としたのはこの斧ですか?」

 女の人はまさしく木こりが落とした斧を持っていました。使いこんで柄には手あかが、刃はさっきのおばあさんのような木のせいでしょうか、少しだけ刃こぼれしています。

 「はい、落としたのはその斧です」

 彼がそう言うと、女の人はとびきりほほえんで、「そうですか」と言いました。その顔は、本当の太陽のように木こりには見えました。

 「あなたは正直者ですね。正直者にはすべてさしあげましょう」

 女の人は持っていた斧をそっと宙に浮かべると、斧はふわふわと漂って木こりの目の前で止まりました。彼はそうっとそれを掴むと、斧はとたんに翼を失った鳥のようにずしりと木こりの手に落ちて、ぴかりと光りました。刃こぼれはしていますが、とっても切れ味がよさそうです。

 女の人は、どこからか金の斧と銀の斧を取り出すと、さっきと同じように宙に浮かべました。二つの斧はまたふわふわと漂うと、やっぱり木こりの前で止まりました。

 「ありがとうございます」

 彼は礼儀正しく、そうお礼を言いました。子どもの頃、お母さんに「お礼はきちんと言いなさい」と何度も言われていたので、その言葉はすんなりと口から出てきました。女の人は、

 「あなたは嘘をつかなかったので、そのご褒美です。大切に使うのですよ」

 と言って、すうっと池の中へ消えてしまいました。木こりは何か言おうとして、口を開けたまま、しばらくそこを見ていました。けれど、女の人はもう姿を現すことはありませんでした。二つの斧は、木こりの目の前で浮いたままでした。


 *


 その日の夜、なんとか三本の斧を持って帰った木こりは、決してふかふかとは言えないベッドに寝転がって、窓の外をながめていました。静かな小屋の中、ぱちぱちと火がはぜる音がします。森の夜というのは、案外さむいものなのです。こうして小さくても火をつけておかないと、すきま風のぴゅうぴゅう吹く木こりの小屋は凍えてしまいます。木こりは、ちらりと向かいの壁にかけた三本の斧を見ました。そうして、昼間のできごとを思い出しました。

 きれいな人だったな、と木こりは思いました。女の人は、木こりが今までに見たどの女の人よりもきれいだったのです。池の上だけぽっかりと空いた森の穴からさしこむ光が、女の人の金色の髪をてらし、何色とも言えないような目はきらきらとかがやいていました。真夏の雲のようなまっ白い服は、ひらひらと風に吹かれていました。

 木こりは少し顔を赤くして、女神はきっとあんな風なのだろうな、と思いました。それから彼は、今日も一日楽しく過ごせたことに感謝すると、ゆっくりと目を閉じました。


 *


 木こりの彼は知りませんが、女の人は本物の女神でした。そして、彼の心に芽生えた小さな感情は、”恋”と言うのでした。

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