第33話 彼の視点② 後編(2)



──王宮内にある自室へと向かい、鎧を脱ぎサッとシャワーを浴びて体を清潔にする。


ノアが開発した、“濡れた髪を一瞬で乾かす温かい風がでる魔法“を利用して髪を乾かす。


この魔法はその名の通り一瞬で濡れた髪を乾かすことが出来て非常に便利だ。王都にも魔力を少し込めれば何度でも使用出来るスクロール(魔術を書き込んだ巻物)として流通し始めているらしい。


この様に日常生活などに非常に有用な魔法の開発をしているノアは王都の魔法技術を数十年は早めたと言われている。


彼は生まれつき非凡な魔法の才があったが、その才能を生かしおごることはなく、日々研究を怠らない姿勢が彼の天才性をさらに引き出す。


ノアは自慢の弟だ。




「……服はこれでいいか」



決まりすぎていないラフな服装に着替え、急いで身支度を整える。


王都のスミレが働いているというアシュク診療所へと向かう。


アシュク診療所は王宮に定期診察へとやって来る“元宮廷医師“のマーシュが開院している小さな診療所だ。行ったことはないが場所は分かる。


王宮から王都へ定期的に往復している馬車へ乗り、時間にして20分ほどで到着した。


王都で2番目に大きい商店街のビゴール商店街の中心部にある、この街では特に特徴的でもなんでもない朱色の屋根の建物。


……ここに彼女がいる。



浮つく心と少し上がった息を整えて、二枚扉のドアの取っ手を引くと、異様に軽い。


向こう側で誰かが同時にドアを開けてようとしているようだった。



「扉はこちらで開けますので手を離して頂いて大丈夫ですよ──」


扉を離すように言われた為ドアノブから手を離すと、扉が開く。


自分の頭1つ分目線を下げると夜空のように真っ黒で美しいセミロングの髪が目に入った。



──スミレだ。



「こんにちわ、スミレ」

「──れ、レイ!?」


目を丸くして驚くスミレ。

会う約束などしていないし当然だろう。


「……こ、こんにちわレイ。ど、どうして診療所ここに?」

「ルーからスミレがここで勤務をしていると聞いてな。顔を見に来たんだ。診療がもう終わる頃だと思って来たんだが……今は大丈夫か?」

「全然!だ、っだいじょ……」

「スミレ?……大丈夫か?」


固まる彼女を他所に、開かれたドア越しではあるが銀髪の男の有無を確認する。


……いない。ルー独特の魔力も感じない。

ホッとして胸を撫でろす。


ノアの意味深な発言はルーのハッタリだったのだろうか。


突然の訪問にスミレが固まっている。彼女に、事前に俺が来るという話もなかったのだろう。


これではいきなり訪ねてきて、返事を貰いに来たと捉えらるのは当然だろう。



「──うふふ。こんにちわ。貴方様は氷の騎士様……ことアルジェルド様ですわね?」



固まる彼女にどう声をかけようか迷っていると、彼女の後ろからひょっこりと小柄な白髪のご婦人が顔を出した。


「確かスミレちゃんのこいび──」

「──あ、アンナさん!!!」


アンナさんと呼ばれた婦人の口をスミレが慌てて塞ぐ。


なんだかよく分からない状況だが、このアンナさんという婦人はこの場をを繋いでくれた様に見えた。


「……初めましてご婦人。私はレイ=アルジェルドと申します」


アルジェルドの名を呼ばれた為、反射的に貴族式の挨拶をしてしまった。


「私はアンナと申します。スミレちゃんにいつもお世話になってますのよぉ。おほほ……」

「そうでしたか。私も彼女とは仲良くさせてもらっていまして……」


軽くアンナさんと世間話をした後、スミレからの問いで本題へと移ることにした。


「仕事は今終わったところだから大丈夫だけど、突然どうしたの?」

「スミレ。スミレが良ければだが、これから食事にでも行かないか?」


単刀直入に要件を伝える。

本当はルーがスミレを誘うのを阻止するだけのつもりであったが、あの男に一杯食わされた。この状況で顔を見に来ただけ、とは流石に言えなかった。


「……ご、ご飯ですか!?」


動揺を隠せていないスミレ。

やはり返事を急かしていると思われても仕方がないだろう。


どうしようかと考えていると、スミレの横に立っている白髪の婦人が目に入った。


「……あ、それとスミレだけじゃなく、もし宜しければアンナさんも一緒に如何ですか?」


我ながらずるいと思うが、ここは彼女アンナさんを利用させてもらう。2人きりでなければ、返事を急かしているようには見えない……という安易な考えだ。


「いいですね。アンナさんも良ければ一緒に行きませんか?」


案の定スミレはアンナさんが食事の席を共にすることに乗り気であるようだ。


「お誘いは嬉しいのですけれど、2人の邪魔はしたくないですし……」


しかしアンナさんは遠慮している。当然だろう、男女二人の食事であるし貴族と食事を共にするなんて気を使って落ち着かないだろう。


「邪魔だなんてことはありませんよ」

「アンナさんがいてくれたら、もっと楽しい時間になりそうです」

「そうですか……。しかし私はただの平民ですわよ。アルジェルド家の方と食事を囲うなど……」

「アンナさん、そんなこと言ったら私も平民ですよ!!」

「私は身分などは気にしませんので。アンナさんが良ければ是非」


今は貴族や騎士としてではなく、ただのレイとして街に来ている。


貴族としての立ち振る舞いが必要とされる場面では身分差というものはやはり意識しなければいけないのかもしれないが、今は違う。街に来ているただの男、レイだ。


「そうですか。そう仰ってくださるのであれば、是非」

「それとアンナさん、私はここでは騎士でも貴族でもないただのレイです。お互いに気を使っては食事も楽しく頂けないでしょう?気軽にレイとお呼びください」

「……うふふ。いいんですの?それではそう呼ばせてもらいますわねぇ。レイ」


嬉しそうに微笑む婦人に少しホッとする。

スミレを急かさない為とはいえ、彼女を巻き込んでいるので彼女にも今日は楽しんでもらいたい。




***






ビゴール商店街を抜け、2ブロック程区画を過ぎて細い道に面した一見民家のように見える建物。


アルジェルド家の腕の立つ専属料理人が惜しまれる中辞めて、新たに開いた小さな店。


地味で特徴のない扉を開くとそこは、優しい朱色の明かりで照らされ、天井に吊り下げられたガラス製のウォールランプがゆらゆらと優しく揺れてとても美しく居心地のいい空間が現れる。


内装もこだわり抜かれており、シャルム王国有数の家具職人の手によって施された上品でありながら他にないデザインのテーブルや椅子、壁に飾られた絵画は抽象的なデザインだが店の雰囲気をそこなわない。


俺だけではなく、ルーも定期的に通うこの店の料理は、王族である彼の肥えた舌すらも唸らせ、選び抜かれた酒が至福のひとときを与えてくれる。




「──いらっしゃいませ。アルジェルド様、本日は如何されますか?」

「こんばんわ、ジャック。はじめてこの店に来た人達がいるから席に着いてから決めるよ」


髪を七三に分け、ぴっちりとしたジャック《この男》はこの店の優秀な案内人ウエイターだ。とても気が利くし、口の硬い男で貴族王族御用達の店には欠かせない存在である。



「かしこまりました。……こちらの席にお座り下さい」



「……凄い、いい雰囲気のお店だね。それにもう、いい匂いがする……」


鼻をくんくんさせ、店内に充満した空腹を促す様な匂い嗅ぐスミレは子犬のようで愛らしい。


2人とも食べれない物はないようだし、メニューはシェフのお任せにすることにした。



アンナさんはともかく、異世界の住人であったスミレの口に合うかは分からないが、ここのメニューは何を食べても美味しく外れたことがないので安心して任せることが出来る。


そして、折角なので3人でワインでも開けたいところだ。

普段は付き合い程度でしか酒は飲まないが、嫌いではない。ほろ酔いの体がふわふわしたような感覚と皆で楽しく時間を過ごせる事が好きだ。



「何か……お酒でも飲みますか?」

「え、お酒あるの??」


ぱぁっと目を開き輝かせるスミレ。

彼女は酒が好きなのか。酒に酔い、目がとろんとした彼女を見てみたい気もするがこの国の酒のアルコール度数は結構高いので悪酔いしたり、翌日に響かないか心配である。



「……結構強いですが、二人とも大丈夫ですか?」


この国の酒は本当にアルコール度数が高いと思う。社交の場で他国のワインを輸入した物を口にしたことはあったが、普段のアルコールの強さと比べてしまい輸入酒がジュースに感じてしまう程だ。


「まぁ。年寄りを舐めたらいけないわよぉ?」

「わ、私も弱くはないはずだから大丈夫だよ」


しかし、強気なアンナさんと自分もいけるはずだと控えめに主張するスミレを見て、自分が様子を見ながらであれば大丈夫だと判断し今日のメニューに合わせたワインを用意してもらうことにした。



「お待たせしました。シェフのオススメコースでございます。ワインはプルミエ・ラモールをご用意させて頂きました」



がれたワインの品名を聞いて思わず身体が固まる。


よりによって用意されたワインがプルミエ・ラモール初恋の味とは。


アンナさんは意味を理解しているのかワインの名前を聞いて少し口角が上がったような気がする。


メニューに合わせたワインを選んでもらったし、シェフがあえて……というわけでは無さそうだ。


幸いにもスミレはワインの品名の意味を理解していないようで、ワインと同時に運ばれてきた料理を見て目を輝かせていた。



「──それでは、乾杯しましょうか」

「「乾杯ッ!」」



本日のメニューは、正にシャルム王国王道の料理達で来客やパーティーで諸外国の国賓が来たらまずこれを用意すれば間違いがないといった料理たちだ。


特にメインのステーキはとても柔らかく舌でも噛めてしまいそうなぐらいだ。


どの料理も味に間違いはなく、非常に美味だ。これは料理ではなく、皿に彩られた芸術作品のようにも見えるくらいに彩りも美しい。



「これ……美味しい」

「うん、とっても飲みやすいわぁ」


アルコール度数が高すぎて飲みにくくないかと心配していたワインはとても好評だった。


注がれたワインをペロッと飲み干すアンナさんとスミレの様子を見ながらグラスを満たしていく。




「それにしても若くしてあの第一騎士団の団長だなんて立派だわぁ。魔法も使えるんでしょう?カッコイイわねぇ」

「ありがとうございます。でも魔法は弟の方が得意でして」


つい弟の自慢をしてしまう。

ノアは天才でこの国の魔法技術を数十年は早めたと言われている逸材で、そんな彼の兄であることが鼻が高い。


「えっ、もしかして百年に一人の天才と言われている第3騎士団の団長とご兄弟だったりする?」


その言葉に思わず固まる。

街中を歩けば噂になる兄の姿を見てなのかノアは目立つことを嫌い、第3騎士団の団長が彼である事は王宮内部の一部の者と一部の騎士団員しか知らない。本人は不本意であるが女性の様な見た目から、第3騎士団の団長はうら若き貴族令嬢だなんて噂もあるくらいだ。


今日1日関わって感じたことは、アンナさんは勘が鋭い。

彼女とは出会ったばかりだが、平民の彼女が貴族の噂話を周囲に話して回るということもないだろうし、今一瞬固まった表情を見抜いてノアが弟であるということはバレてしまっている気がする。彼女には話してもいいだろう。


「……勘が鋭いお方ですね」

「驚いたわ。アルジェルド家のご子息は優秀なのねぇ。第3騎士団の団長は第1騎士団団長のレイや第2騎士団団長のルー=サブマ=シャルム様とは違って噂程度しか聞いたことがなかったの。うら若き貴族令嬢とも聞いたことはあったけど、まさか男性でレイの弟さんだったなんて」

「推測でよく当てられましたね」

「長年生きてくると勘が冴え渡るのよねえ……フフっ」

「流石です。しかし弟は目立つことを嫌いますので、街中で声をかけられたりしたくないようです。女性と思われていることも都合がいいと思っているのでこの事実は是非内密にしてくださいね」

「ふふ、もちろんよぉ。現第3騎士団団長様が開発した魔法にはとてもお世話になっているのよぉ!」



会話が弾んでいき、お酒も進んだ頃。




「……2人ともとてもお似合いよねぇ」


アンナさんがポロッと零した一言。

彼女はスミレと自分がお似合いだという。


昨日彼女へ想いを告げて、返事待ちをしている立場としては非常に嬉しい言葉である。酒が少し身体を巡っているせいか、彼女がその場にいるにも関わらず、


「本当ですか?そう言っていただけると嬉しいです」


と躊躇なく答えてしまった。

チラッと横目でスミレを見ると顔を赤くしており、こちらまで少し恥ずかしくなった。



「──2人を見てると旦那と出会った頃を思い出すわぁ」


アンナさんは既に故人である旦那さんのことを話してくれた。


シャンデリア王都より北西に進み、王都周辺では比較的強い魔物が出現する魔の森を抜けた先にある、瑠璃色の花が咲き誇る丘。


そこでアンナさんは、当時冒険者であった旦那さんと出会い恋に落ちて夫婦となったという。


ロマンティックな創られた物語の様な話にスミレは思わず“映画“のような出会いだといってはしゃいでいたが、この世界に“映画“というものは存在しない為困惑するアンナさんを見てスミレも焦っているというなんともおかしな様子につい笑ってしまう。



「最期にまた行きたいわねぇ……」



最後……いや、最期といったのだろうか。

それを聞いて悲しそうなスミレの表情。

アンナさんはもしかして病気なのだろうか?しかし治癒魔法が存在するこの世界では基本的には病で亡くなる事は稀だ。治癒魔法はそれ程に万能であるのだが、スミレの顔色は暗く、もしかしたらアンナさんは不治の病に罹患しているのだろうか。


「アンナさん。瑠璃色の丘、一緒に行きませんか」

「スミレちゃん、ありがとうねぇ。……でもあそこは少し遠いし、強い魔物も出るから腕の経つ護衛を雇わなければいけないし行くのは現実的じゃないのよぉ」

「護衛なら私が雇います!!」

「そんなのダメよ。スミレちゃんのお金は自分の為に使いなさい」

「これが私の為になります!!」

「……ふふ。ありがとうね。でもそれなら行かないわよぉ」


瑠璃色の丘自体はそこまで危険度は高くないが、問題は丘を囲う間の森だ。あの森に出る魔物は能力が高く危険である為、腕利きの冒険者を前衛2人、中衛1人、後衛1人の最低でも4人以上は雇う必要がある。


それに、歳を召したアンナさんを連れ歩くには相当の手練でないと正直厳しいだろう。


そうなるとかなりの高額な費用が必要となるだろうし、平和なシャンデリア王都の冒険者ギルドに適任がいるのかも分からない。


いままでが平気だったとしても最近は魔物の活性化もしている事だし、今回は戦力不足になるかもしれない。



「──なら俺が行こう」


彼女達の護衛は自分が行く。

冒険者ギルドの実力をおごっている訳では無い。しかし、騎士団の戦闘経験は王都のギルドよりも豊富であると思う。それに、自分の手で大切な人を守りたいという気持ちも大きかった。


「え?いいの?」

「勿論。瑠璃色の丘は1度行ってみたかったし、いい息抜きになる」

「レイ、こんな年寄りを守りながら向かうのは大変だと思うわ」

「そんな事はありませんよ。それにこれでも騎士団の団長を務めているんです。鼻にかける訳ではありませんが、冒険者を雇うのと変わらないかと」

「……そうねぇ。本当にいいのかしら?」

「はい。非番の時になるので、後日予定が定まり次第お伝えしますね。3人の都合が合う時に行きましょう」



2人を守りながらとなると、1人では魔物に囲まれた際に対処出来ないかもしれない。


氷面世界アイス・エイジだって強力ではあるが万能ではない。ありったけの魔力を一気に周囲に放つので細かい調節は出来ず、魔物だけではなく周囲の人を巻き込み命を奪ってしまう。


万全の体制で向かえるようにルーやノア、トランの休暇が合えば護衛に着いてきてもらえるように頼んでみよう。



***




「──レイ、ご馳走様でした。2人ともありがとうねぇ。楽しかったわぁ」



3人での食事会を終えて、アンナさんを自宅まで送る。


「はい!私も楽しかったです!!ありがとう御座いました!!」

「いいえ、お礼を言うのはこちらの方です。当然の誘いだったのに来てくれてありがとうございました。また良ければ3人で食事をしましょう」


この言葉に嘘はない。

スミレを急かしたくないという自分勝手な都合でアンナさんを急遽誘ったが、アンナさんはとても話の引き出しが豊富で会話が弾みとても楽しい時間を過ごすことが出来た。


「ふふ。ありがとうねぇ。機会があれば是非」


アンナさんは去り際にスミレの耳元でなにか囁き、スミレは何だか慌ただしく別れを告げていた。




アンナさんを見送り、次はスミレを自宅まで送り届ける。


夜の王都をこうして歩くのはかなり久しぶりかもしれない。


昼の活気があり華やかな街中も素敵ではあるが、夜の静けさと僅かな街の灯りは心を落ち着かせ頬を撫でる涼しい風が心地いい。


少し遅い時間だからか人気もなく、たまに人とすれ違ったとしても暗くてよく見えないので氷の騎士だと注目されることも無い。


この広い広い街が、今だけは彼女との2人だけの特別な空間に感じた。


「──……っあ」


スミレが道路の石畳につまずきそうになる。


歩いたことで体内にアルコールが回り始めたのだろう。フラフラしながら歩く彼女はとても危なっかしい。


「スミレ、大丈夫か?少し酔いが回ってきたか?」

「……だい……じょうぶだよ?確かにちょっとふわふわはするけどね?」


久しぶりのお酒と喜びどんどん飲む彼女を見て微笑ましかったが、ここまで酔いが回ってしまうのであれば途中で止めるべきだったかもしれない。


「少し……危なっかしいな」


彼女の手を取った。


……温かい。

彼女はこの手で沢山の命と向き合ってきた。

この小さな小さな手で。

前の世界でも、この世界でも人の命と真面目に真っ直ぐに向き合ってきた素敵な手。


「……レイの手はあったかいね」

「……スミレの手もとても暖かいな」


こちらを見て微笑む彼女の瞳は街の光に反射して夜空の様にきらきらと輝いていた。


「れ、レイ。私ね、レイの事……」


愛しさからつい見つめてしまい、無言の時間が続いてしまった時、彼女が切り出した。


「スミレ。今日は返事が欲しくて誘ったわけじゃない。だから……急がなくていい」


返事が早く欲しい訳では無いと言えば嘘になるが、今日は純粋に彼女と食事をしたかっただけだ。


「……急いでないの。お酒の力を借りてないって言ったら嘘になるけど……。今すぐに返事を言わせてって言ったら聞いてくれる?」


そうか。

むしろ急かさなくていいって思っていたのは、もしも返事がノーだった時が


スミレも返事をしたくてモヤモヤしていたのかもしれない。


酒の力を借りていたっていい、彼女の口から返事が聞きたい。


「……構わない」


心臓の鼓動は高まり、胸が締め付けられるように苦しい。呼吸の仕方も忘れてしまう。


そして、彼女はゆっくりと話し出す。



「わ、私もね。レイのことが好きなの。だけど、こんなに素敵な人が私の事を好きになってくれるはずないって思ってて……。だから昨日、レイからの気持ちが信じられなくて夢だと思ってしまって……。最低なことをしてごめんなさい」




──スミレと同じ気持ちだ。



そう分かった瞬間、身体の隅々からじーんと熱が込み上げ鳥肌が立つ。


自分的には彼女へのアピールは沢山したつもりだったのだが、異性としての好意として受け取られていなかったとは。


行動で示すことも大切だとは思うが、想いは直接言葉で伝えなければならないようだ。



「……スミレ。もう一度言わせてくれるか?」



もう一度、彼女にしっかりと自分の気持ちを伝えたい。




初めて出会った時は不思議な人間だと思った。


謎の呪文を唱えて失敗して落ち込んでいるし、庭園で見かけた時は一人でブツブツとなにやら呟いている。



最初に声をかけたきっかけは、彼女への興味や異性としての好意ではなく、異世界への単純な好奇心からだった。



話してみると彼女は話の波長がとても会う人間だった。


そして、関わっていく中で真っ直ぐで、誠実で真面目で、とっても優しい人間だと知った。


命と向き合うことが出来る。



彼女は暗くて地味だと言っていた髪や瞳も、俺にとっては夜空の様に美しい。


食べ物は何でも美味しそうに食べて、満腹で苦しそうな様子であっても絶対に残さずに食べきる。


楽しそうに笑う姿を見るとこちらまで楽しく幸せな気分になる。


スミレが愛しい。愛しくてたまらない。


こんな感情を抱いたことはこれまでなかった。


自分でも自分の感情をコントロール出来ないほどに彼女が好きだ。



その全てを伝えよう。



「……俺はスミレが好きだ。真面目で真っ直ぐなところ、優しいところ、真剣に人と向き合えるところ、その夜空のような美しい髪も瞳も、食べ物を美味しそうに食べるところも、笑顔も何もかも……全て。スミレがいいなら俺の恋人になって欲しい」



スミレは一言一句、目を滲ませながら全てをきっちり聞いてくれていた。




「……私もレイが好きです。否定し続けたこの性格も生き方も認めてくれて、一緒にいて気が楽で楽しくて。こんな私でよければ恋人にして下さ……──っ!!」



彼女の返答に気持ちが昂り、思わず抱きしめてしまった。


今にも折れてしまいそうな華奢な身体。


ほのかに香る、甘くて優しい香り。



「もちろんだ」

「少し、苦しいよレイ」


少し強く彼女を抱きしめてしまっていた。


「す、すまない。嬉しくて……だな」


ドッ、ドッ、ドッっと彼女の心音が高鳴っているのがこちらまで伝わってくる。


「……スミレの心臓の音がこっちまで響いてる」

「えっ……あ、あのごめんなさい」

「ふ。なぜ謝るんだ?」

「え、えっと……」


「……スミレ」


彼女の頬を撫で、そのまま肩にかかった髪を後ろへ流す。


少し猫っ毛である彼女髪は柔らかく、触り心地がいい。


潤んだ目でこちらを見つめる彼女が愛しくてたまらない。







──そして俺は、そのまま彼女の唇へ自分の唇をそっと重ねた。

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