第5話
テオシベは新しいオサになったことを皆の前で告げ、戦の準備をすると宣言した。
その日から里の中心に武具が集められた。鉄のもの、青銅のもの、木のもの、石のもの。材質はばらばらだ。すべて鉄で揃えられれば言うことはないけど、そこまでの備えはオオムロの里にはなかったし、ヤマト側についた里や、ヤマトににらまれることを怯えている里は交易でも武具を出してはくれなかった。おとうは遠く北のコシの里まで赴いて、武具を調達した。
新たにテオシベがオサになってから一月半、前のオサだったお婆さんが亡くなった。型どおりに殯をしても息を吹き返したりもしなかった。ここまで人が急激に老いてしまう人を私は見たことがない。
おかあはオサに選ばれる人はカミから力を授かるのだと言った。そのカミの力が抜けてしまえば、人はまた元の弱いものに戻るのだと。だとしたら、テオシベもオサをやめれば、元のようになってくれるのだろうか。
もっとも、テオシベがオサとしてどれぐらい変わったのか、実のところ、私にはよくわかっていなかった。テオシベが馬を洗ったりすることは、もうなかったからだ。それはオサの仕事ではない。
時折、テオシベが剣や槍を若い者にも学ばせているのを見た。いつ、そんなことを覚えたのだろうというほどに、テオシベは剣も槍も見事に扱い、里の男たちも降参するほどだった。
姉のように思っていたテオシベはずっと離れたところに行った。いや、私が何か勘違いをしていただけだ。あれが本来のテオシベなのだ。
そして夏も盛りになり、陽の光がツカマ川をきらめかせる頃――
ついにヤマト側の軍勢が動き出した。
オサのテオシベから、そのように伝えられた時、もう私たち里の者に驚きはなかった。オミやハイバラの里の様子はずっと探っていたからだ。
ヤマトから派遣された兵はキソの国を北上し、オミの里の西にあるツカマの国の拠点に兵を集めている。ツカマの北のニシナの里からもヤマトへの援軍が来ているという。これがオミとハイバラの里の兵と合流して攻めてくる。
「敵のほうが数では多い。ひとところに固まるな。少数ごとでいいから転戦し、いざとなれば山に登れ。敵は山がどこに通じているか知らない。山まで連れ込めば、こちらに分がある」
里の中にテオシベを小娘と侮る者は一人もいない。里の誰よりもテオシベは堂々としていたし、春から夏の間に背まで伸びていた。
だから、私も誰か腕っぷしの強い男に率いられて、山を背にして戦うものだと思っていた。
テオシベとの約束を思い出したのは、タチに来るようにと下働きの女に呼びつけられてからだ。
タチにいるテオシベに出会うまで、私は少しだけ期待していた。二人きりの時は元のテオシベに戻ってくれるんじゃないかって。
でも、テオシベは私にこう言った。
「クルヒ、わたしと一緒に戦ってくれ。ついてきてくれればいい」
どうしてだか私は涙が出てきて、止まらなかった。
「何がそんなに悲しいんだ、クルヒ?」
「いえ、悲しくなどない……んです、オサ」
これで私はテオシベと同じ場所で死ねる。
体が敵の剣でばらばらにされても、魂(タマ)は同じようなところに行けるだろう。テオシベの魂を見失うことはないだろう。
部隊をいくつにも分ける策は里の皆の前でも聞かされていたが、まさかその中にテオシベと私だけの部隊なんてものまで含まれているとは考えていなかった。
私は革の鎧で胸を覆った。兜は重いから諦めた。心もとないが、大軍相手を前にすれば、たいした差にはならないだろう。
「どれが本隊かわからないから、敵はどうしていいかと迷う。やむをえず、深追いしてこちらの陣地にやってくる。遠くの里やヤマトから来た兵はこれで仕留められる」
開戦前にテオシベはこう語っていた。
「敵が寄ってくるまでは部隊は分けない。極力、死者を出さないように、なんとか敵を引き付けてくれ。決して死に急ぐな。長く生き延びて敵を苦しめることが、里のためになる」
各部隊の将は勇ましい声を上げた。誰にとっても人生最大の戦だろう。自分が死ぬかもしれない戦は味わったことがあっても、里が滅ぶかもしれない戦などしたことはないはずだ。
里一つで大軍相手にどれだけのことができる?
答えはない。その答えも自分たちで作っていくしかない。
テオシベと私は高台の牧にこもって、戦の様子を見守る。ここから川沿いの氾濫原(はんらんげん)を進軍してくるヤマト側の姿がはっきりと見えた。馬たちもいつもと風が違うことに気付いているらしく、落ち着きがない。
もっとも、それは戦の直前にしてはおかしな光景なのだ。
「オサ、どうして馬を戦に使わないのですか?」
「うかつに使えば無駄死にになるからだ。敵には馬の恐ろしさを知らせる必要がある。逆に言えば、馬という武器がないとわかれば、敵は攻勢を強める」
オサがそう言うからには信じるしかない。オサよりも賢い者も強い者も里にはいないのだから。
ヤマトの兵といっても、本当にその中心地から来た者がどれだけいるのかはわからない。大半はキソやイナで集められた者たちだろう。
だとしても、同じこと。オオムロの里の女として存分に戦ってやる。
しかし、ヤマト側の兵装を目にして私は心底ふるえた。
遠目でもはっきりとわかる。敵の主力は全身を鉄の装備で揃えている。その鎧も錆(さび)が目立つようなものではなく、板状の鉄をびっしりと敷き詰めたものだ。盾まで金属製にしているらしい。
一方で、こちらは鉄の装備もあるとはいえ、数は知れている。何十年も前から使っているのを修理して持ってきた人も多い。兜や盾にいたっては、金属製でない人のほうが多い。
「ハイバラの連中もオミの連中も、あいつら、鉄の装備をヤマトからもらったな! あんな立派な装備一式で戦に来たことなんてないよ」
すっかり強きになびきやがって。だけれど、それが戦の正しい戦い方だ。負け戦を繰り返せば何も残らない。
早くも戦闘がはじまった。
鬨(とき)の声の中に悲鳴が混じる。装備だけなら、圧倒的に敵が上だ。もう、何人も里の人が死んでいるだろう。
だが、テオシベは顔色一つ変えずに高台から様子を見ているだけだ。
戦に冷静さは大事だ。でも、オサを守るために死んでいく人を見てもたたずんでいるテオシベを見るのは気持ち悪かった。それは優しいテオシベらしくない。
「オサ、このままだと一気に大軍に攻め込まれて、おしまいです!」
「そうだな。もっと残しておきたかったが、やむをえないか」
テオシベは一頭の馬の顔に手を当てた。
いったい何をしているんだ? 目隠し?
だが、尋ねるより先に変化があった。
その馬は思いきり前脚を振り上げた。
地面が深くえぐれた。鳴き声は怒声そのものだった。極度に荒ぶっている。
「行け」
テオシベが命じると、その興奮した馬は交戦中の兵に向かって突っ込んでいく。
「馬が正気に戻る前に討たれるおそれがあるが、温存は無理だな」
ほかの馬にも、テオシベは手をかぶせていく。同じように馬は暴れだし、それぞれの戦場へと突っ込んでいった。
これまでと違う種類の悲鳴が風に乗って響いてくる。里の者と違って、敵は暴れ馬からの逃げ方も知らないし、敵のほうが固まっている。何人もが蹴られて、踏まれているはずだ。
「オサ、いったいどうやっているんですか……?」
「酒を酔うと暴れる者がいるだろう? それと同じだ。馬は人間ほど複雑ではないからな」
それは答えになってない。手をかざすと酔わせることができる人間なんていないだろう。
でも、私が何か言う前にテオシベは私の手を引いた。
「わたしたちも行くぞ。今のうちに敵の主力を叩く。後方にオミの里の将軍とヤマトから遣わされた将軍がいる。それを討てば敵は退却する。こちらの里の奥にまで入り込みすぎた兵を見殺しにしてでもな」
乱暴な力に私は無言で従うしかなかった。
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